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天才児?たちとのロシアンリバー下り (1/2)

遠い、遠い、十代の頃の想い出。

年がばれてしまうが、80年代に高校生の交換留学でアメリカの田舎町に1年お世話になったときに参加した、不思議な週末のキャンプと川下りの想い出。

日記でもつけてたら、もう少し詳細を再現できるのかもしれないが、残念ながらそれは存在しない。日本の実家にいけば、どこかの押入れの箱にはいったアルバムに当時の写真とかがあるはずだが、それもコロナで今はかなわず。記憶は断片化されて、思い出せる光景は曇ガラスの向こうの霧の中みたいなってしまったが、それでも、強烈に残っているフラッシュバックのようなかけらをガイドに、その出来事をふりかえってみる。

楽しかったよなあ、という想い出というより、なにか振り返って整理しておきたいというような、ちょっとしたテーマ性を持った経験。

いま思うと、アメリカは既に80年代に子供の発達の問題について制度としての対応を導入して取り組んでいたというのがわかる。あのシャペロンのカップルを思い出すに、制度だけじゃなくて、べた褒めするようだが、その制度に「こころ」も込められていたと思う。少なくとも、あのキャンプ旅には。そのおかげで、ともすれば茨の苦難の思春期を送るかもしれなかったあのミスフィット(社会不適合者)天才児たちも、救われ、大げさかもしれないが、その後の人生での支えとなるとても幸せな想い出を作れたのではないだろうか、と今思う。

1.「MGM」といっても映画製作会社ではなかった

留学先はカルフォルニアの田舎の人口3万人くらいの街。主要産業が養鶏ののんびりしたところ。お世話になった家庭はドイツ系3世?の裕福なアメリカ人家庭で、おやじさんが建築家で、長男はすでに大学進学して、ほぼ同い年の次男がいた。

家族、とくに親父さんがえらく明るく、いつも軽い冗談がとびかっていた。次男は内向的だが、親切でいいヤツだった。最初の数カ月は、お互いの文化の違いなど語り合って盛り上がったが、だんだんと関心の方向性が違うのがわかってきて、ちょっと距離感がでた。喧嘩したわけではないが、ちょっと距離感のでたまま1年が経ち、別れを告げて、その後はクリスマスのカードの交換などはしていたが、没交渉みたいになってしまった。我が徳の無さ。その1年は、その後の自分の人生で非常に大事な、異国人との付き合い方や、どこでも住めば都なんだという価値観の出発点のような経験をさせてもらったのに。

言い訳になるが、もしかしたら明るくてミュージシャンでもあった長男に代わる兄弟のような存在が期待されていたのに、僕自身が生まれて初めて直面する異文化の洗礼に圧倒されて余裕がまったくなくなっていったのかもしれない。当時はインターネットもなく、3ヶ月くらいに一度、数分だけ親に国際電話するのがほぼ唯一と言っていい日本語に触れる時間で、まったくの島流し状態。気負いは息切れする。へんなたとえだが、ウルトラの星から地球にやってきてときどき変身しては怪獣をやっつけようと意気込んでいたが、無理な変身と数ある怪獣との格闘で、ピコピコ警告音がなっているような状態だった。

そんなときに、その次男が学校で所属していたMGMというクラブのキャンプ旅行に誘われた。

その高校はごく普通の地元の公立高校(アメリカは高校まで義務教育。基本的にその地域に住んでいる子供全員が高3まで通う)。MGMといえば、ハリウッドの映画製作会社かいなと思ったが、Mentally-Gifted Minorの略でその学校の正式のクラブ活動だった。意訳すると、「高IQの少数派のクラブ」。

念の為にぐぐったら、MGMで、こんなのがでてきた。カリフォルニア州政府が1961年から実施していたプログラム。知能テストで上位2%の生徒に年齢に関係なく大学とかの授業に参加できるようにするのがMGMと。

In 1961, the California Legislature established the Mentally Gifted Minor (MGM) program for students scoring in the 98th percentile or above on standardized intellectual ability tests. ... providing options for gifted and talented students to attend classes at postsecondary institutions regardless of age or grade level

おそらく、IQが高い生徒を素直にどんどん飛び級させたりもしてその可能性を伸ばそうという前向きの視点と、ともすれば普通の生徒の中では孤立してしまったりする Minority でもある彼らをケアしようという視点もあったということなのだろう。「Mentally-giftedな少数派」ということで。それをMGMと略しているのが、さすがハリウッドのあるカリフォルニアらしくていい。絶対、映画会社名にかけての命名だろう。

僕は自慢ではないがとくにIQが高い子供ということではなくて、語学とか歴史とかは好きで真面目にかなり勉強したが、パズルのような数学の問題を解くとかはとくにずばぬけていいということはなかった。おそらく、その次男が入っているからという配慮か、一応、IQテストを受けてみてそれでよかったらそのMGMにはいったらと言われた。

それでパズルのようなIQテストを受けたが、点数など詳細結果は知らされなかったが、MGM担当の先生がにこっと笑って「楽しいから興味あったら参加してね (join the Club if you like, it's fun)」とだけ言う。たぶんスコアが良かったというのではなくて、ホストブラザーが既にメンバーだということと、この天才集団に留学生をいれたら(田舎だったので留学生は全部で5人しかいなかった)彼らの教育上もおもしろいんじゃないかぐらいの配慮だったか。

それで、そのMGMクラブに参加したが、メンバーはたしか7、8人だった。

記憶にあるイベントは、UCバークレー視察日帰り旅とか、後述のロシアン・リバーへのキャンプとか。

バークレーでは既に飛び級して年は高校3年生なのにもう大学でコンピューターサイエンス専攻中というホスト・ブラザーのもと親友と会った。これ凄いんだよと、当時の唯一の安価な情報記録媒体だったカセットテープに録音されたアナログのコンピューターの情報の音(昔、モデムで聞こえたような)を聞かせてくれた。僕には、ピーヒャラ、ピーヒャラ、なにが凄いんだかわからんなあ、と笑うしかなかった。今思うと、当時のベイエリアはスティーブン・ジョブスやビル・ゲイツが会社を起こして奔走していたITの草創期の頃だった。

そうそう、たしか、ピザ屋のチャリティ・ナイトもあった。ピザ屋で、我々がピザをつくるバイトのような形でピザの作り方を教わってから、家族や友達などが来店して、彼らが注文して我々が店員の指導のもとに作るピザを食べてもらい、売上の一部がチャリティに行く、というようなもの。あれは楽しい思い出だった。天才児たちも手を動かし、勤労した。

記憶に残っているメンバーの面々としては、四角い顔をして、体型もどちらかというと四角い小太りのJくん。メガネをかけて、几帳面な感じで、ちょっと甲高い声で話すやつだったが、とてもいいやつだった。Dilbertというアメリカの新聞の4コママンガをみるたびに、Jを思い出す。たしか、チェスの達人だったか。

そして、小柄で濃い茶色の髪で小顔で、かなり分厚い眼鏡をかけた女性のS。舌っ足らずな喋り方をする、アメリカ人にしてはとてもシャイな感じだった。たしか、歯列矯正のブレイスをしていたか。

そして、ブルネットで短くカールした髪型のAはちょっと神経質なやつだった。すごく頭がいいんだろうなあ、でもそれが本人にとって重荷になってるんじゃないかなというようなタイプ。ことあるごとに、幅広く深い知識を披露しようとするので、まわりは辟易としてたところもあった。根っから悪いやつということではなく、周りとの付き合い方がへたな感じだった。

不思議にメンバーとしては、ホストブラザーもいれてこの4人くらいの記憶しかない。悲しいかな我が記憶。写真でもあると途切れた脳の神経がつながったりするのであろうが。目をつぶって、ぐぅっとタイムトラベルをするみたいに当時の記憶をたどるが、それ以上でてこない。おそらくこの記憶に残る4人は、キャンプにいっしょに行ったからではないか。

MGMは、エリートの天才クラブというよりも、表現は悪いが、IQばっかり高い、奇人変人が集合したオタク部屋みたいな、不思議な集まりではあった。当時、僕は、クロスカントリーという長距離走の陸上と、コーラス部に所属していたので、このMGMはそれらと違ったなんとも不思議な集まりだなあと思いながら参加していた。

2.ロシアン・リバー

ある美しく晴れた秋の週末、MGMクラブのキャンプ旅があった。

生徒5人が参加、学校がアレンジした大学生かそれよりちょっと上くらいの男女2人がシャペロンとしてキャンプを率いると知らされる。

ロシアン・リバーという北カリフォルニアを流れる川の川下りとのことだが、まず車で数時間移動して、川の下流に着いて、シャペロン2人と合流する。

ボート貸場で7、8人乗れる大きなカヌーを借りる。テントや寝袋、食料などはいった荷物をそれに乗せて出発する。我々5人は、冷たい川に体を浸かって、カヌーを押すように言われる。北カルフォルニアの秋の川の水は、ひんやりと冷たい。

「川下りといったけど、今日の予定はひたすら川を上ります。カヌーを押していきます」と、笑顔でロブ(仮称。本名忘れた)が言う。

ロブは、小柄で薄い茶色の短髪で顎髭をはやした、大学生のような人物だった。今思うと、もしかしたら、資格をもったプロのカウンセラーだったのかもしれない。「今夜はひたすら上流を目指して、川辺でキャンプ設営、キャンプ・ファイヤーします。それで明日が待望の川下り」と優しそうな声で話す。

「そして、こちらがシャロン(仮称)。僕とシャロンがこのキャンプのリーダーなので、ちゃんと言うことを聞いてください」というような挨拶があった。

シャロンも、ゆっくりとした喋り方の、優しい人だった。カリフォルニアというところはアメリカの中でも喋り方が優しくフレンドリーなんだが、さらにそのお手本みたいな優しさだった。長いブロンドの髪を後ろで結んでいて、手編みのようなセーターを着ていた。

この2人はなんなんだ?普段、がさつな人たちに揉まれてなれていたので、その天使のような優しさにちょっと混乱した。2人には、教会の聖職者みたいな、癒やしのオーラが漂っていた。

1時間ほど、ひたすらカヌーを押した後、木陰で休憩する。

地べたに座って休んでいる僕らに、ロブが語りかける。

「僕も、高校時代は君たちがはいっているようなクラブに入っていた。その時行ったキャンプが楽しかったんだよね」

多弁なAが質問する。「ロブとシャロンはどこで知り合ったの?」

ロブは静かに答える。「1年くらい前かな、シアトルの埠頭で1人で釣りをしてたんだ。そしたら、シャロンが通りかかって、ハローって声かけてきたんだ」

シャロンが続ける。「何を釣っているの?って聞いたの」

ロブが笑う。「実は、まったくなにも釣れてなかった。何時間か釣りをしていて、釣れないからもうやめようと思っていた時。シャロンが声をかけてくれた。それで、2人は出会って、おしゃべりして、今日に至る」

多動で思ったことをすぐに口にだすAにしては、そこで、なかなかいいツッコミをいれた。「シャロンが釣れたってわけか」

我々は、素直に、ワハハと笑う。

また、我々は上流を目指す。幅が広かったロシアン・リバーはだんだん狭くなっていく。Aがわざと水をばしゃばしゃやって、JやSのひんしゅくを買う。ロブが、おいおい真面目に押そうよとたしなめる。

川の周りには、さまざまな針葉樹林が生えていて、ところどころ、レッドウッドという大きくそびえる赤茶けた幹の木がすっとたっている。森を通って吹く秋の風はちょっと冷たいがとても爽やかで、気持ちがいい。カヌーを押しながら前方をみると、太陽の光が川の水面に反射してきらきらと光っていて、きれいだった。

(2/2 に続く)


「天才児?たちとのロシアンリバー下り(2/2)」の内容(予定)

3.テント・サウナと手製ポテトサラダ

4.カヌーに乗って川下り


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