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手荒れの私だけど、こうなりたい、理想の手がある。

日々死んだり生き返ったりを繰り返している手を見ていると、将来はどうなるんだろうとネガティブな想像をしてしまう。ものすごく症状がひどい時は、ケロイド状の手で目覚める。こんな手は思い切って切り落としてしまいたい。でお、もし手を切り落としたら、どうやって仕事を続けようか。

ネガティブな想像を繰り広げる一方で、「こうなりたい」という理想の手もある。
それが小学2年の時から通っていた習字教室の先生の手だ。出会った時は70代中盤だったろうか。田舎町では珍しいくらい上品なご婦人だった。習字教室に行くといつも決まって、隣にちいさな私を座らせ、お手本の習字を書いて見せてくれた。その時、ちょうど私の目線に入るのが、先生の手。あの手の甲の艶たるや!
真っ白な肌で、きれいなしわが寄っていて、たぶん、つまんでみると気持ちいいんだろうな。なんて考えていた。あれこそが、私がなりたい理想の手だ。
時々、畑仕事もしている先生だが、爪にはいつもピンクのマニキュアを塗っていて、大きなルビーがついた指輪を大事そうにはめていた。どんなに田舎でも、女らしさ、色気を忘れず・・・

私は12年間、先生のもとで習字を学んだ。週に一度しか顔を合わせる機会はなかったが、時を重ねるにつれ、私たちの絆も深まっていった。
子どもの私が心をひらくというより、先生のほうから心を近づけてくれた気がする。先生は時々、昔話をしてくれた。学生時代、京都の赤十字准士官学校で従軍看護婦をしていたころの話だ。当時の同級生とは、離れた後も縁が続き、年に一度、京都で同窓会を開くのが楽しみだと毎年話してくれた。
先生が83才で亡くなった後、従軍看護婦について京都の図書館で調べたことがある。東京・上野駅に集まった金の卵のごとく、全国から10代の女の子が京都に集められ、戦時下のナースとして働いていた記録だ。名簿の中に先生の名前を探そうとしたが、結局見つけられなかった。でも、そこで気になったのは、新潟・富山・長野・・・北陸地域の出身者が多いということだ。私も同じ、新潟出身。やっぱり雪国の人って、頑張り屋だからても荒れたりするのかな?


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