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私が“今の約束”を大切にする訳

私は基本的にあまり先の約束をしたくありません。各々お仕事や用事もあるのでそんなにすぐに予定があかなかったとしても、私にとって考えられるのはせいぜい2週間先くらいです。〇〇しようねと言われたら、最短でいつ出来るか凄く考えます。コロナ禍になるよりずっと前から、何でもすぐに叶えたいと思う気持ちが強いです。

私がLGBTQ+の世界に足を踏み入れた20代前半の頃、右も左も判らない自分を最初に本当に可愛がってくれたのはFTMの年上の方でした。当時はFTMという言葉すらなくてトランスと言っていましたし、今のような胸オペとかもそんなに一般的ではなかったように思います。まだまだ入りたての世界でしたので、現在で言う治療がどこまで進んでいるかとか彼を取り巻く状況がどうのとか全くわからないまま、ただ彼が女性の身体で生まれただけなんだなぁとぼんやり思っていたくらいです。私は彼をずっと「兄ちゃん」と呼んでました。

多分地方都市ではかなり画期的だったと思うのですが、兄ちゃんは自分がトランスだと公言した上で彼女とバーをやってました。ガッチリした体型の兄ちゃんがいつもスーツでカウンターにいたことを覚えています。

お店だけでなく、様々な事で連絡取ったり会ったりしていた兄ちゃんからある時急に電話がありました。その週の週末にある花火大会(電話の時点で翌日か翌々日だったと思います)に一緒に行こうと言うものでした。彼女がいるのになんで?と聞いたら喧嘩したからつまらないし、二人で浴衣着て行こうといつもにないくらい強引なお誘いでした。

でも私はこの時、彼女から後で何か言われるかもしれないとか、花火大会は来週もあるとか、その時は自分も外出するのが難しい状況とか色々考えてしまって断ったんです。その時、兄ちゃんはそれまでとは違って珍しく何回も食い下がりました。

結局、行かないことにはなったのですが、その月の月末に兄ちゃんは帰らぬ人になりました。

長らく患っていたとかではないのですが、元々少し身体が良くなかった上に夜はお酒を飲むお仕事、お昼は清掃員をして身体を酷使した結果だったようです。彼女とご飯を食べてる時に倒れてそのままでした。まだ30歳にもならない若さだったと思います。

亡くなったことを聞いた時、兄ちゃんと最後に会話したのが花火大会のお誘いの電話だったことを思い出しました。断ったまま、会えないままで、もう2度と会うことも約束を果たすことも出来ないことに、その時になって初めて気付いたのです。

LGBTQ+の世界に入って初めて自分を可愛がってくれた大切な人でした。色んな事をよく考えていて、面倒見がよく、心配性で頼もしく、決して悩んだり困ってるその時に見放さない人でした。記事を読んでくださってる方は【短編】Promiseに出てきた人だなともう勘付いてると思いますが、本当にあの通りで、心配だと言うだけでなく心配がなくなるまで目の前で見ててくれる人でした。

悩んだ末に数日まともに食べられもせずよく眠れなかった私が愚痴を言うことも相談もしてないのに、お店が閉まるまでいるように言いおいて人払いをして、家には友だちの家に泊まると連絡するように言った上で、酔ってても眠くても最後まで真剣に話を聞いて、泣けない私を泣かせて、目の前で食べるまで諦めず、彼女と仮住まいにしてるところに連れて帰り自分は男だから不安だろうと彼女に私が寝るまでついてるように言うくらい、見放さない人でした。「心配だよ」「よく食べて寝てね」って言葉を言うことは誰でも出来るし心から心配してくれてるのは判るけれど、こうやって行動してくれたのはその時は兄ちゃんだけで、私は何度感謝してもしきれないです。

そうやって大事にしてくれたのに、彼が辛かった時に私は約束をすることも、傍にいることもしなかったんです。何でそれを叶えなかったんだろうと何度も考えました。きっと花火大会は確かに「次の週」もあるし、喧嘩の話なら「いつか」聞けるって頭の中で思ったからなんです。後悔しても仕方ないけれど物凄く後悔したし、今でもその時のことを忘れられません。

人はいつ目の前からいなくなるかなんて判らないし、明日が必ず来る保証もない。凄くマイナス思考ですが、事実です。

確かに全ての人に与えられた1日の持ち時間は24時間で体力にも気力にも財力にも限界はあるし、何もかも全部叶えられるとも思っていません。

ただ、あくまで自分があまり先の約束をしないししたくないのは、私も相手を失いたくないし相手にも私を失ったという記憶を残したくないからです。そして、今辛い、今なんとかしたいと言われたら、私は「今」なんとかするようにしています。もちろんお仕事や前々からの予定や様々あって絶対に叶えられる事ではない時もあるのですが、それにしても当日中には何とかしようと考えます。私は本当に極端で、お仕事には私の代わりはいくらでもいるし、色んな事で社会的にとか信頼を失うかもしれないですし、前々からの予定も重要かもしれない中でも、自分が大切だと思う人が自分を必要とするならそれは最優先な重要事項だと考えます。例え数回しか会ってない間柄でも、例え辛いとか悩んでる内容が周囲から見たら馬鹿らしくても、寂しいと言う理由だけでも、沢山の人間に声をかけたうちの一人であったとしても、頭に私が浮かんだなら何かは必要だったのだからと思うのです。

また、幸か不幸か私にはそんなに沢山の心から大切に思う人がいないため、じゃあそれが複数人同時に起きたら?なんてことは考えずに済みますし万一そうなったとしても応えたいです。

コロナ禍の世の中になって1年以上経ち、それまでには簡単に出来ていたことがなかなか出来なくなりました。前だったら夏休みに旅行に行こう、でも、来週末遠くに住んでる〇〇さんに会いに行こう、でも、予定を立てられたし実行もできましたが、今は緊急事態宣言が出るかもしれず、すでに出てる地域ではいつ解除になるかも判らず、ワクチンも打てる人とそうでない人がいて、打ったから感染しない訳でもなく、以前のような生活はまだまだ取り戻せないし今後どうなるかもわかりません。なので、今できることをって考える方も多くなったと思いますし、今まで以上に連絡を取り合うツールやオンラインでの関わりも重要視されてるんじゃないかと感じてます。目の前の大切な人の為に今できることをそれぞれが深く考えるようにもなってきたのではないでしょうか?

昔々に苦い経験をした自分にとっては、今、出来ることを大事にしようという考え方や直接会わなくても繋がりの為に出来る事を諦めずにいる事、実行する事が大切かなとも思います。

兄ちゃんとの約束はいつまでも心の中に深い後悔と教訓の元に残っていて、私のあれからの行動の道標です。あの心配性で面倒見のいい兄ちゃんの事なので、私がこんなに性格姉御になってて、少しは飲めるようにもなっていて、ちゃんと一人でも負けずに立ち向かえるようになってるとどんなに訴えたところで、ちょっとニヤッとして「で?話したいことあるんだろうに?」と言いそうです。兄ちゃんの歳を遥かに越えても、今の約束を大事にすることを教えてくれた兄ちゃんには、いつまでも頭が上がりません。


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