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2022年始まりの‥‥‥

昨年の3月に父が亡くなったため、新年のあいさつは出来なくとも、今年も前進して進みたい気持ち。

最愛の家族を失った喪失感は、結構大きかった。

私自身、13歳の時に母親が再婚し、亡くなった父は養父だった。
でも、父は養父、実父は関係なく、この世で唯一無二の私の大好きな父であり、本当の親だった。

そして、とっても‥‥‥気性が荒く、優しい人で、感情が一気に吹き出る涙脆い人。

昨年末、とても寂しい気持ちになり、このまま立ち直れないのではという気持ちになっていた。

何が寂しいのか、何が悔いなのかわからない。

年が明ける前から、自分で決めたことがある。
「家族」を持つこと。

一旦は、諦めていたその想いも、また再度決心出来たのは、とても晴れやかだったけれども、何か後を引く感覚。

「なんだろうな‥‥‥。」と、ずっと悲しみを抱えるそのままをしている時に、何となく思い出すのは、「お父さん」。

「お父さん、私は幸せになっていいのかな?」
「お父さんには、見えているのかな?」

そんな想いで、初めて家族に対する「情」というものを感じ、そして、寂しいと思うこと自体は、悪いものではないと思えるようになった気持ちを受け止める。

「そのまま」でいる事が許される場所に、やっと来たから、私は「そのまま」でいられる。

1月2日は、喪中なので、神社ではなく、お寺へ行ってきた。

冷たく張りつめた空気と、澄みすぎて胸の奥が痛くなるほどの奈良の真冬の空気。

人の少なさや、厳かな雰囲気、そしてお線香の香りに心が落ち着く。
お寺の唱和を聴き、やっと「これでいいんだな。」と思える安心感。

「ああ、いいんだった。自分の人生を自分で選んでいくことを、家族も、父も望んでいる。そして、私も家族にそのことを望んでいる。」

遠く離れた時に感じなかった寂しさは、父の残してくれた「愛情」。

慣れていない、その受け取り方に、困惑したのだと思った。

2022年は、「燃える」とか「全力」ではなく、「柔らかく」「笑う」。

もう少し、副交感神経優位にしたいw

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