見出し画像

QuestReading[5] 「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち

青春とともに、90年代のJ-POP全盛期を過ごした私は、開拓者の気持ちがわかるのだろうかとQuestReading。

書名:「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち
著者:牧村 憲一
出版社:NHK出版
出版年:2016年

「技術」と「マネジメント」、70年代に音楽の転換点があった。

60年代後半、イギリスからやったきたロックミュージックが、日本にあったニューミュージックに変形し流行し、スタイルもコピーしたグループサウンズに熱狂していた。その頃は、レコード会社=プロダクション=テレビ局のトライアングルで、職業作詞家・職業作曲家・所属歌手を担ぎ上げ、ヒット曲を作ることが商業音楽のスタイルだった。

その中で、既存の商業モデルにとらわれず、サウンドとアレンジを重視した楽曲を生み出していったのが、この本の主人公、音楽技術に長けていたた大滝詠一と音楽マニアの山下達郎であった。彼らは、音楽を取り扱うレコーディング技術の進歩を作品の中に次々と取りいれていった。
そして生まれたのが、シュガーベイブのアルバム『SONGS(1975年)』であり、三ツ矢サイダーのCM曲にも使われた『サイダー 73'(1973年)』である。
この本のタイトル「ヒットソング」とは、これらの「名盤」のことをさしている。

しかしながら、これらの名盤は当時のレコードの売上ランキングの上位には入らない。
彼らは、より高い技術を求めてロンドンのスタジオでレコーディングも行うし、ヴォーカルも楽器の1つと考え、1つ1つの音にこだわりをもっていた。
ただ、「制作」と「流通」をメジャー×メジャーで噛み合っていたわけではなく、売上をあげるための売れる機会が必要なのだ。彼らの作品も、当時はインディーズでの名盤にとどまってしまった。

このような話は、音楽業界に限った話ではない。どんなに立派な自動車も、どんなに優れた日用品も、売れる機会、買える機会が0であれば、1つも売れないのだ。
次々と売れている名盤を生み出している秋元康の組み立て方が、音楽業界において、「制作」に加えて「流通」もマネジメントできているという点で偉大なのだと思う。
本書でも、著者の体験した成功例の1つとして、竹内まりあを見出しした話が書かれている。企画アルバムに、まだ学生だった竹内まりあが参加し、そこから楽曲参加を説得しながら、『不思議なピーチパイ』で有名になっていくという話なのだが、基本は良曲だったから、成功につながったという話になっている。
実際に、竹内まりあは、自らマネジメントできるシンガーソングライターへと立場を変えており、第三者が「制作」「流通」の両方のバランスをとったマネジメントすることは難しいことなのだと思う。

マーケティングの原則にターゲティングという考え方がある。
万人受けする商業音楽ではなく、自分の作品を満足してくれる人を定義し、その人たちに目標枚数(数万枚でもOK)売れれば、それマネジメントを成功とする考え方だ。
この考えに従えば、良曲がターゲティングした人に聞いてもらえれば、「名盤」の成功と胸を張っていえるようになる。

モノの売り方として、とりわけ多様化する現代社会の中では、大事な考え方だと思う。時には、『カメラを止めるな!』のように単館映画に絞ったものが、本来の意図を越えて刺さり、ヒット映画に化けることだってある。

売れるマネジメントがビジネスを作るという点で重要と思うが、まず基本は”名盤”があって、それをどのように流通させるのかという話だと思う。
私はこの本を読み、すっかりターゲティングされ、時代に即してCD化された『SONGS』(正確には、30周年記念盤)と『サイダー73’』(正確には、Best Alwaysというアルバム)を90年代J-POPの横にコレクションしてしまった。

免責:
本を精読しているわけではありませんので、すべての内容が正確とは限りません。詳細は、実際の本でご確認ください。

ご覧いただきありがとうございます。仕事もプライベートもいろいろなモノを掘り下げていきます。