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MCEI Review:スポーツ来し方行く末~時代の要請と役割の変化~

大阪での学び直し。7月はミズノの神野さんから「スポーツ来し方行く末」を伺った。
来月は、私の夏休みと重なって参加できないのが残念。。

スポーツは未来投資産業

首相官邸に設置された「日本経済再生本部」が発表した<未来投資戦略2018>には、2015年に<5.5兆円>だったスポーツ市場を、2020年までに10兆円に、2025年までに<15兆円>と、10年で約3倍を目指すと書かれている。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/kettei.html#tousi2018

2019年ラグビーワールドカップ、2020年東京オリンピック・パラリンピック、2021年ワールドマスターゲームズ関西と、今年からの3年は、日本のスポーツ市場にとっては千載一遇のチャンスが巡ってきている。
では、市場を3倍に、どこで伸ばそうとしているのかいうと、それは、スタジアムや体育館などの施設やスポーツ用品ではなく、<スポーツ周辺産業>という、案外ふわっとしたソフト面を成長させていくのだという。

<体育>から<スポーツ>への転機

ソフト面へでの成長につながるキーワードが、ずばり<スポーツ化>である。スポーツ化??と聞こえるが、これが「体育化」や「運動化」の促進ではしっくりこず、ずばり<スポーツ化>なのである。

国民体育大会も、国民スポーツ大会に名前を変えるように、旧来の「体育」「運動」から<スポーツ>への転換が政策レベルで進んでいる。
神野さんはスポーツ庁に出向していた経験があるが、省庁名として珍しく、外来語の<スポーツ>を利用しているぐらい、この言葉が大事なのだ。

<体育>では教育の一環となり、<運動>では人間行動の1つにか過ぎない。これらで市場形成しても、それは設備や用具などハード面の強化にしかつながらない。
それは、例えば、旧来<体育館>と呼ばれて建設されていた施設、「スポーツアリーナ」という名称にすることで、単なる運動や体育をやる場所から、様々なイベントと組み合わせた場所へと変えている。運動会も、スポーツイベントになれば、それは親睦&一体感のためのコンテンツになる。

このように外来語である「スポーツ化」することが、ソフト面の強化につながると考えているのである。

野球の観客が増えている

同じ流れで、野球観戦の在り方も変わってきている。
「晩ごはんの後は、巨人戦を見る」のが、90年代の茶の間の風景だった。当時の巨人ファン・アンチ巨人、どちらのお父さんも巨人戦を見ることで晩酌から寝るまでの間を楽しんでいた。

それから20年、視聴率が取れないからだと、いわゆるキー局といわれる地上波でプロ野球が放映されることはめっきり減った。ただ、大阪では、どんな飲み屋でも阪神戦は放送されているから、これは東京の論理ではないかとも思うが、テレビ放映が減っていることは事実だ。

一方で、球場でプロ野球観戦をする人は右肩上がりに増えている。
もちろん、住んでいるそばに球場がなければ、なかなか観戦に行くことはできないが、プロ野球チーム以外にも、Jリーグの地元チームなど、何かと応援する熱はやはり強い。それは強さではない、勝っていようが、負けていようが変わらない。万年Bクラスだった阪神を愛してした関西人の気持ちを、何で弱いチームのファンなのかとバカにしていた当時の自分の視野は狭かった。

つまり、「巨人・大鵬・卵焼き」と言われるように、もともとスポーツはヒーローショーだった。でも、今は、遠い存在のヒーローではなく、自分たちも楽しめる娯楽に変わってきているということなのだ。

プロ野球の話に戻せば、各地の球場で歌われる選手の応援歌は、選手を応援している以上に、ファンの間のでの一体感があり、遊びがあり、動きがあり、総じて楽しい。
だから、最近の少年野球に打ち込む子供たちは、投球フォームやバッティングフォームを真似するのではなく、応援歌の真似をしたが。
でも、巨人の応援歌はヒーローを遠くみる応援歌で古臭い感じがある。子どもたちも巨人の応援歌は真似せず、憧れの選手だけがいる。でも、そういうチームがあってもよい。

技術を競うことではない

それでも、スポーツはヒーローを讃えるというものから、楽しむものに変わったことが大きい。
そういう意味で、ゲーミングといわれる「ぷよぷよ」「ウイニングイレブン」「グランツーリズモ」を題材とした<eスポーツ>は、勝った負けたに偏ってしまっているの点で、最近の流行りを神野さんも、取り扱いに困っていた。

勝負の世界で、ストイックに技術向上に取り組みこともスポーツである。ただ、それは一面であって、それ以上に段々とできることが増え、カラダを動く、喜びを感じる楽しさがある。
eスポーツから、ストイックさを抜くと、それは<ゲーム>になってしまう。ゲームも楽しいが、それがスポーツかと言われると、う~ん、もうひと工夫のように思う。もうじき、これぞeスポーツというコンテンツが生まれてくるのではないだろうか。

2021年に開催される<2021年ワールドマスターゲームズ関西>には、ボーリングやダンスも種目に入っている。楽しめれば、スポーツだよね、ということであれば、ゲームだけでなく、絵画も、吟行句会もスポーツになるんじゃないかと。

単に極めし者を見るだけではなくも、より多くの人が参加することを目指していることが大事なのではないか。

コストから収益に

効果の面からみると、教育というお金を払って学ぶというコストから、得たものを生かしていくプロフィット発想に変わってきたと言える。

私は、ウンテイはできず、跳び箱をとべず、さかあがりはできず、バレーボールのレシーブの意味はわからず、バスケットゴールにボールが入るなど想像もできないほどの運動音痴だった。コストをかけて、克服したいとも思わない。

でも、今は、少年野球で子どもたちのためのコーチをし、そのための道具をそろえ、時間があれば家族でプロ野球の観戦にも出かけ、戦力分析のためのスコアブックも書く。何よりも子どもたちが、少しずつ好プレーを見せるようになり、一緒に私もうまくなっている(気がする)のが楽しい。

次は、なかなか痩せないお腹周りを見ながら、自転車漕ぎのイベントに参加してみようかなと。別に、自転車を漕ぎたいわけではなくないが、楽しめるなら、お金を払ってもよいと思うし、そういう人が増えているに違いない。

私にとって

Jリーグのスポンサー企業が、ライザップやメルカリになどに変わって来ているのも、<スポーツ化>の流れを汲んでいるのではないか。

高度経済成長の流れで成長重視の時代は、はるか昔の話である。
90年代のお父さんは、巨人戦をテレビで見るだけで、寂しい楽しみだけだったのかもしれない。
今の時代のお父さんになれて本当によかった。

ご覧いただきありがとうございます。仕事もプライベートもいろいろなモノを掘り下げていきます。