わたしはわたしが
「私は私のこと、好き」
死ねと思った。
臆面もなくそう言い放った彼女。何が楽しいのかも分からない笑顔。耳障りな声で奏でるご高説。それに呼応するように広がる談笑の輪。
うるさい。何が大好きだ、気持ち悪い。心底気持ち悪い。早くこの場を逃れたい。何だこの茶番劇は。
「みなさんは自分のこと好き?」
教授の一言から始まったセルフ告白大会。失敗した、と思った。何が心理学だ、人の心を理解する?なんておこがましい。「楽単」の評判は裏を返せば、下らない雑談に終始する下らない授業、ということだったらしい。浅慮な自分を呪い今更意味の無い後悔をした。苦痛という感想以外の一切を持ちえなかった。
「理由は特にないですけど……好き?って訊かれたら、嫌いではないし、普通も違うし……と思って、そうしたらもう、好きだなぁ!って」
加えてあの女。下らない問いに屈託なく答える、頭の軽そうなあの女。何が好きだ、よくもそんなにしゃあしゃあと言えたものだ。苦労なんて知らないような顔、愛されて当たり前という表情、拒絶などされたことがないと言わんばかりの身振り、何もかもが気に入らない。自分が好き?だったらもう人の心なんかどうでもいいでしょうに、なんでこんな授業とっているんだよ。毒付いてから、そうか、私と同じ理由かと心の中で舌打ちをした。最悪の気分だ。
「私は別に……普通です」
なんで生きてるの?と思った。
俯きぎみに吐き捨てた彼女。何が楽しいかも分からない真顔。耳障りな聞かせる気のない独りごち。それに汚染されるように広がるつまらない空気。
「というか考えたことがなかったです、好きとか嫌いとか」
嘘をつけ、と思った。考えたことがないだなんて、そのツラでよくも言えたものだ。愛なんて知らないような顔、全て下らないという表情、自分も他人もどうでもいいと言わんばかりの身振り、何もかもに虫唾が走る。深い追及を免れるための「普通」、本当は自分のことが、
「え、意外。好きなんだと思ってました!」
目の前の女が何を言っているのか一瞬分からなかった。好き?馬鹿を言え。極力話を広げないように普通と言っただけで、私は自分のことが大嫌いだ。人に誇れるものもない、人から好まれるところもない、きっかけがないから生き続けているだけの人間、それが私に対する私の評価だ。どこに好きになる要素があるというのだろう。本当に苛つく。
「そんなことありませんよ……」
目の前の女が何と言うかは分かりきっていた。そしてきっとこう思っている、私は私が嫌いだと。嫌い?馬鹿を言え。人に誇れるものもない、人から好かれるところもない、それなのにこんなに堂々と私に敵意を向けているのが何よりの証左。気付かないのは幸か不幸か、私たちはとてもよく似ている。思わず私は鈴を転がした。
「それではこのあたりで、講義を始めましょうね」
歌うような教授の声で最悪の問答/楽しい会話は終わりを迎える。私たちに背を向けて滑らかに動きだす右手、ホワイトボードには漢字が三つ。
「本日のテーマは、自己愛についてです」
お題目が肉をまとったような二人を交互に見て、私はにっこりと微笑んだ。
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