ドライビング miss デイジー の裏テーマ

ヒューマンドラマの名作。

人種差別への柔らかな批判がテーマである本作のような映画は、コンプラ揚げ足取りが一般的になった現代では、もう新たに生まれることはないのかもしれない。

本作の表テーマ

人種も身分も違う二人の老人が、主人と使用人の間の、最も心地よい関係を見出してゆく話

裏テーマ

人種差別はあなたの中にもありませんか?
職業差別はどうですか?
宗教差別はどうですか?
その他の差別は? 
と問いかける

表テーマは、先輩家政婦のアデラの急死後、ミスデイジーがホークをより重宝してゆく形で、ひとまず完結する。

たとえばこんなシーン。

ミスデイジーがチキンの唐揚げをするとき、ホークは「もっと弱火にしたほうがいいですよ」と忠告する。しかしデイジーは「私はこのやり方がいいの」と、一旦無視する素振りをみせる。ところがホークが離れた後、こっそり弱火にする。

互いに認め合う主従関係がそこにはある。そして、雪の日や停電の日、デイジーは「無理して仕事に来なくていいのに」と思いやりを見せ、「仕事はいいから、二人で話をしましょう」と語りかける。

主従関係を保ちながら、仕事を離れた時は友人にもなる関係である。

ここが、表テーマの終着点で、最大公約数的な、一つの解決法が提示されている。

その後、ユダヤ教の協会がKKK団に爆破され、憤慨したデイジーはホークに辛く当たる。

デイジーの宗教観は誠実なものである。

自らは敬虔なユダヤ教徒だが、白人のキリスト教のクリスマスイベントもしぶしぶながら認める。召使いの葬式では、ユダヤ教の整然としたハーモニーとは全く違う、ノリノリのゴスペルソングを尊重する。

これらの流れを経て、ホークはやはり使用人であり、友人としては見ていないことがあからさまになるキング牧師の説教会。

ここで語られるキング牧師説教の内容と、露骨ではないけれど散りばめられてきた伏線から、裏テーマが浮かび上がってくる。

悪しき人々の過激な言葉や暴力だけはなく、善良な人々の沈黙と無関心も大きな問題だと。

人種差別はあなたの中にもありませんか?
職業差別はどうですか?
宗教差別はどうですか?
その他の差別は?

と問いかけてくる。

人種差別が裏テーマの一つにすぎないのは、デイジーには人種差別の意識も表面化も無いから。

単純な話である。ミスデイジーは運転手が白人だろうがアジア人だろうが、同じように扱ったはず。キング牧師の演説会に運転手を予め誘わなかったのは「黒人だから」ではなく「使用人だから」。

裏テーマの提起も終わった。

終幕では、ミスデイジーに痴呆症が訪れる。

ミスデイジーが生涯で最もやりがいを感じていたのは、教師としての仕事だった。

子どもたちへの責任感を常に感じ、後ろ指をさされない人間であろうと努力してきた。

彼女のとっている「扱いづらい婆さん」に見える行動が、さして不快には映らないのは、自身への厳しさが先にあって、その上でそれを他人にも求めているから。

そして今では、ホークを一番の友人と感じている。

すべてを内包した老人医療施設での食事シーンで、静かに幕を閉じる。

息子と同じくらい大切な存在。(たまにしか来れないホークを優先)
あくまで、主人と使用人。(一緒に食事は取らない。あくまで給仕)

けれども、本物の友人。

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