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ワイ、散骨依頼をする、の巻。

■とりあえずアンタの願い叶えたろ精神


1月23日、父親が他界しました。



色々ありましたなあ・・・


上の日記を読んでてしみじみそう思う。


親が死ぬ


たぶんいわゆる普通のご家庭ならば本当に衝撃的な出来事で、たとえば


「ご臨終です」

「いやあああああああ!!パパァーーーーー!!!」

「お父さん!!お父さん!!死んじゃいやあああああああ!」

「おい!!起きろよ!!いつまで寝てんだよ!目ぇ覚ませよオイ!!!!」


みたいなシーンが思い浮かぶんですけど、自分の場合は全然そんなことはなくて、病院に到着したときにはもう死んでいたも同然でしたね。

人工呼吸器と人工心肺装置で辛うじて生きている状態になっていたというか。


もう、電気ショック心肺蘇生法、カンフル剤などなど、手を尽くした後、でありました。


目にライトを当てても瞳孔が開いたままですし、どうします?このまま様子見ますか?私としてはもうこのまま回復する見込みは無いと思っておりますが・・・


そうですか。そうですよね。仕方ないですよね。


そして、そのまま何となく、ただ何となく今日を迎えた感じ。


前にも書きましたがうちは極めて特殊な家庭環境で育ち、多感な思春期や青春時期、大人になりたての時期、そのすべてを父親不在で育ちました。

家庭崩壊してたしね仕方ないね。


だからそうなのかは分からないけども、今に至るまで涙は出なかった。


ただ淡々と事実を受け入れて、日々やらねばならない業務をこなす、みたいな感じで時間が過ぎていきました。


そうした人間形成に大事な時期に、同じ同性の人生の先輩でもある父親が居ないのが果たして今の自分にどのような影響を及ぼしているのか、自分ではよく分からないけれど、このある意味一歩引いた目線というか、ややもすればドライな感覚は影響しているのかも知れません。


小さい頃はお父さん子だったので、そのまま父の愛情を受けてすくすくと育ち

「尊敬する人物は父です!!」

みたいに胸張って言えるような今だったら、たぶんその場で泣き崩れて、ショックで数日間寝込んでいたかも知れないので、結果として良かったんだか悪かったんだか自分には分からないけど、それも父なりの愛情だったのかもなあ、と思うしかありません。(そうでも思わないとやってられない)


そしてなんやかんやあって、生前に「俺が死んだら散骨してくれ」って言ってたなあ・・・と思って分骨からの散骨をお願いしていたのですね。


超久しぶりに海へ・・・


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いやあ、それにしても寒かったなあ。


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海はいいよね。


海のニオイって好きですね。


こうしたところで釣り糸を垂らしたら最高だろうなあ。(絶対すぐに怖いおじさんが来て怒られそうだけど)

川よりも海、こうした場所(防波堤)で釣りをするのが好きでした。


そして午前11時、遺骨を乗せた船が出発


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散骨を代行してくれる業者の方からペンを渡されて、お父様に何かメッセージを書いてあげてください、と言われたので、父の骨が入った紙袋(水で溶けるらしい)に、少し悩んでこう書いた。


東京オリンピックは見られなかったけど海に散骨して欲しいという願いは叶えたからな

ありがとう



そしてオレは黄昏た表情で骨を乗せた船を見送った。


せっかくの休みに朝早くから来させやがって、と思わなくもないけど取り敢えず「散骨して欲しい」という願いは叶えてやったからな。

だから末永く恩に着ろよ。

これだけやったんだからさあ、とにかくオレの守護霊的な働きというか、とにかく恋愛運とか仕事運とか金運とか何でもいいから出来る範囲でオレに見返りを寄越せよ。


もしも東京オリンピックが開催されたら向こうで見てくれ。

向こうで好きなもん食って、巨人戦とかゴルフ中継とかマラソンとか見て、本読んで、末永く達者に暮らせよ。


じゃあな。





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