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この世は残酷な世界であり同時に弱肉強食の世界


小さいころ

わたしは親のいない部屋でテレビをぼんやりと見るのが日課だった

父は月に一度ぐらいしか帰って来なかったし、帰ってきたらきたで母とケンカになった

どうしてなんだろう

近所の子のおうちや、友だちのおうちと全然違った

どうしてうちはよそのうちと違うの


わたしは、お父さんが毎日帰ってきてお母さんがいつもおうちにいる家庭が夢だった

度重なるケンカで離婚をすることになった

お父さんかお母さんか、どっちについていくのか選べ

そんな選択を迫られようとも選べるはずもなかった

だって両方いて欲しかったのだから

お父さんお母さん両方いるのが当たり前だと思っていたから

だが、それはわたしにとっては願ってはいけない高望みだったのだろうか?


お金なんていらない

ぜいたくな生活だって望んでいない

親が誰もが羨むような仕事をしているとか大きなおうちに住んでいるとか豪華な車に乗っているとか

そんなものはどれも欲しくはなかった

わたしはただおうちにお父さんとお母さんがいて、家族みんなでニコニコと笑っていられれば、それ以上の望むことはなかった

それが、そのころのわたしにとっては唯一の願いだった


母親は大酒飲みで嘘つきで金銭感覚がおかしかった

当時の父はゼネコン大手に勤めており他の一般的な家庭よりも、かなり高額な給料を得ていた

父曰く、それに手を付けずにお母さんに丸々渡していたはず、といつも言っていた。それでも家は火の車で貧乏だったのは、おそらく酒にパチンコに、見栄っ張りで外面だけは良かったから、友人へのご馳走など大盤振る舞いしていたからなのだろう

深夜まで酒を飲んで、自分では歩けないぐらいにベロベロに酔っ払って母の友人に引きずられるようにして帰ってくることが多かった


そんな酔っ払った母を父は激しく嫌った

ときには近所の人に警察を呼ばれるほど殴った

そのケンカは屋内だけでなくときに外でも続く

家の外から「助けて!」「人殺し!!」と殴られながら叫ぶ母の声を無感情で聞く

四谷怪談のお岩さんのように目を腫らした母から、そのあとに殴られることがよくあった

すでに崩壊していた家庭ではあったが、わたしに振るわれるその暴力だけがわたしと母を繋ぐ唯一のものであった

わたしは鼻血をボタボタと床に垂らしながら虚ろな目をして考える

この世は残酷な世界であり同時に弱肉強食の世界なのだと

弱い存在はこの世では生きてはならないのか


殴られて鼻血をボタボタと垂らしていても不思議と涙は出なかった

それはわたしの意識がそこにはなかったからだ

果たしてこれは現実なのか

あるいは質の悪い夢なのか

こんな家庭が存在しているこの世界が間違っているのか、わたしが間違っているのか

あるいはその両方なのだろう


家の経済状況も崩壊していたから毎晩のように借金取りが押しかけていた

今でこそ貸金業法によって『朝9時から夜8時以外で正当な理由なく電話や訪問してはならない』と定められているが、当時はそんなものはお構いなしで、たとえ10時だろうが12時だろうが容赦なく取り立ては来た

パンチパーマで深夜なのにサングラスをかけ、派手なスーツ姿に小指がないようなおじさんが幼稚園か小学校低学年の子供にドスの効いた声ですごむ

「おう、クソガキ! お前がウソつくと刑務所に入ることになるぞ。母親はどこ行った?言え!! 痛い目にあいたくねえだろ?」

わたしは何も感情を持たなかった

そのころからだろうか

常にどこか冷めていて、常に物事を上から見ているような感覚だった

借金取りに大声で脅されている男の子は、わたしであってわたしでない

その哀れな男の子が、たとえヤクザから殴られようが、あるいは刃物で刺されようとも、それは意識上のわたしとは関係ない

意識を離してその様子を上からぼんやりと無感情に眺めていた


電話やガス、電気も止められて、醤油を舐めながらご飯を食べる

割りばしに醤油を染み込ませてしゃぶってからご飯を食べると、ほんのり木の香りが移って美味しくなる

そういう暮らしの知恵を学んだのもそのころだった

真っ暗な部屋で、ロウソクの灯りでカラシを溶いた醤油を割りばしによく染み込ませてしゃぶってからご飯を味わう。たまに近所の人から恵んでもらったサツマイモがあればわたしにとってはご馳走だった

貧すれば鈍する

子供のころのわたしの心は無だった


借金取りや家賃の取り立ての相手をするのは大抵わたしの仕事だった

母はずる賢く妙に鼻が利くところがあって、そういう目に遭うのは必ずわたしだった

どうもこの人間はこれからもそういう損な役回りの人生のようだ

意識を乖離させ、金髪で派手なスーツの男の対応をする男の子を無感情で眺めていた


中学に入るころ、ついに父は家に帰って来なくなった

わたしは父親に捨てられ、母親からは借金するためのただの金ヅル、あるいは借金取りなど自分が会いたくない相手の対応をさせるためだけの存在だった


子は鎹(かすがい)

子どもは夫婦の間をつなぎとめる鎹のようなものである。夫婦の間で行き違いやいさかいがあっても、子どものことを思えば簡単には別れられない。


こういうことわざがあるが、鎹(かすがい)にもなれない子供に一体何の価値があるのだろうか

Twitterのタイムライン上に流れてくる色んな人の子供たちの姿に癒やされる

自分のような人間ですら、見ず知らずの人の子供を見てかわいいと思うのに、まして自分の子供ならどれだけかわいいことか想像に難くない

当時の親は、わたしのことは果たしてかわいいと思っていたのだろうか

離婚したいと思っていてもそれをガマン出来るほどの存在には到底なれなかった

鎹(かすがい)にもなれず、親から捨てられ何もないまま育ってしまった人間には、当時の親の気持ちは分からないし分かりたくもない


ニュースでは実の子供を死なせてしまう事件が後を絶たない

そう考えれば親だけでなく、大勢来ていた借金取りたちに殺されなかっただけマシと割り切るべきなのか

或いはいっそひとおもいに殺された方が幸せだったのか

わたしにはいまだに分からない


愛情も何もないままに年だけいたずらに重ねてしまった

わたしが死んだら、後には誰もいない

この先いくつまで生きられるのか分からないが、命の灯が消えるその日まで、わたしは何のために生きているのか

その先の真実を知りたい

わたしがを、そしてこれからを生きる意味を知りたい

ただそれだけが今のわたしにとっては心からの願い


だがそれは永遠に答えの出ないことなのだろう


先が見えない地平線を、ズルズルと足を引きずりながら無感情で歩いて行く


わたしにはそれしか、ないんだ


わたしのほんとうの居場所を見つけるその日まで


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