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タイムトラベル

僕は、現在、178㎝100㎏。
ベンチプレスは150kg、スクワットも180kgを挙げる。
そこそこマッチョなのだ。
しかも、頭もスキンヘッド。自分では優しさを売りにしているつもりだが、いかつく見えてしまうこともあるだろう。
そんな僕だが、当然、子供時代はあった。子供時代は、とても華奢で、しかも病弱。ガリガリで、力の弱い貧相な子供だった。その反動なのか、僕は幼い頃から「マッチョ」に憧れ、インターネットのないその時代、マッチョが出演するとされるテレビ番組をチェックして欠かさず観ていた。タイトルは忘れたが、出演者と会場の客がゲームをし、客が負けるとマッチョな集団に担がれて外に放り出されるというコーナーが観たくて、そのコーナーが始まる直前に母に起こしてもらうということもしていた。
5~6歳の子供にとって、23:00は真夜中なのだ。
父も母も、僕の「マッチョへの憧れ」は、理解してくれていたので、そのうち、ボディビルでも何でもやったらよいと言っていた。
当時、両親は和食料理屋を営んでおり、我々家族は、店の二階に住んでいた。
店の前には駐車場があり、看板と店の明かりで夜でも明るい。だから、一人っ子の僕は、夜でも駐車場で遊ぶことが多かった。今思うと、
夜に子供が一人で駐車場をうろうろするなど危険きわまりない。
まあ、今より、いろんな意味でうるさくない時代だからこその光景だろう。
そんなある日、日が落ちてから、僕は駐車場の明かりを頼りに、自転車に乗り、遊んでいた。
ぐるぐると駐車場を走るだけのことだが、その日は、両親の営む店もさほど忙しくはなく、駐車場に停められている車も少なかったので、
悠々と自転車を走らせていた。
すると、自転車に乗る僕の背後に人影を感じた。
振り返ると、そこには、男の人が立っていた。
そして、その男は、なにやら僕に物言いたそうにしている。
今でこそ、見知らぬ人には警戒するご時世であるが、当時は、そこまで神経質になることもなかった。
僕は、「こんばんは」とその男に挨拶をした。
男は「こんばんは」と返してきた。
確か僕7歳。その7歳の僕からして、その男は、かなりのおじさんに見える。
しかし、それ以上に興味をそそられたのは、
その男はTシャツを着ているのだが、そのシャツ越しにもわかるほど、筋肉が隆起している。背もそこそこ高く、幼い僕にしてみれば、大男に見えた。
そして、極めつけは、その頭。スキンヘッドだったのである。
当時、身近にマッチョなどおらず、ましてや、スキンヘッドもいなかった。
単純に剥げたのであろう頭の人はたくさんいたが、
一本も残らず髪を剃っている人はいなかった。
プロレスラーの「ストロング金剛」をテレビで見るくらいのものだった。
そのマッチョでスキンヘッドの男は、僕にこう言った。
「肉と魚と卵をいっぱい食べなさい。パンや白いご飯を食べてお腹いっぱいになっちゃうんなら、パンや白いご飯は食べなくていい。とにかく、肉と魚と卵をいっぱい食べなさい。そうすれば、筋肉ムキムキになるから。」
そう言って、去っていった。
僕は、「はい」と返事をするのがやっとで、
その男の後ろ姿を見送った。
なんだったのだろう?
何故に、その筋肉男は、僕にわざわざそれを言いに来たのか。
僕は家に戻り、両親にその出来事を話した。
母は、
「店のお客さんと違うか?あんたがマッチョになりたいのはお客さんもみんな知ってるし」
そうなのだ。僕はよく店の常連さんに可愛がってもらっていたため、僕のマッチョへの憧れも、知ってる客が多かったのだ。
だが、父が、
「せやけど、筋肉モリモリで頭ツルツルの客なんか、おれへんぞ。」
と言った。
常連でなくても、一回でも店に来ていたら、
そんな特徴だらけの男を忘れるわけはない。
父の云ったことは確かだった。
その後、その男が現れることはなく、
現在に至る。
でも、僕の根底には、あの男が告げた
「肉や魚、卵をいっぱい食べる」
がいまだに脈々とある。
僕は現在、40代半ばだが、
毎日、肉と卵を、常人の5倍くらい食べている。
たったの一言だが、僕にとっては、至極、影響力の高い言葉だ。
そして、ここ最近になって、
「あの男は一体誰だったのか?」
ということが再燃してきた。ある日突然、どこかからフワッと現れ、幼い子供に肉と魚と卵を食うように告げ、すぐに立ち去る。実害こそ見当たらないが、一歩違えば、犯罪者扱いされる案件だろう。
その男は、幼き日の僕がマッチョに憧れているのを知っていたのだろうか。それとも通りすがりに、
「お、子供がいるな。どれどれ、マッチョになる方法のひとつもおしえてやるか。」
と思いたったのか、それとも、僕の顔に、「マッチョになりたい」とでも書いてあったか、
うーん、考えれば考えるほど謎である。
店のお客の誰かが、
「あの店の子供はマッチョになりたがってるから、何か教えてやって!」
みたいなことも考えられなくはない。
うちの母も気になったのか、店に来る常連を中心にその旨、尋ねてみたそうだ。だが、誰一人、スキンヘッドのマッチョのことなど知るよしもなかった。
その男が現れたのは、夜、7:00くらい。季節は夏の始まり。外は、すでに暗かったが、駐車場と店の看板の明かりで、男の顔ははっきり見えた。
・・・はっきり、見えた・・・。
そう、顔をはっきりと見たはずだ。僕は、思い出していた。その男の顔を。その声を。
僕の父よりも、背は高かった。当時の父は、173センチほどの身長だ。その父よりも、少し大きい。そんな印象だ。それでいて、肩幅は広く、胸の筋肉が盛り上がっていた。
二の腕の辺りも、袖幅いっぱいに太さがあった。
アゴに髭を生やしている。
そして、声なのだが、喋り口調が、やや、関西のイントネーションに聞こえた。
当時僕は愛知に住んでいたが、生まれは大阪。両親は関西弁をしゃべる。
関西弁のイントネーションは、僕にもすぐにわかる。
肉や魚や卵、と、その男は言ったが、
愛知と関西では、この三つともの単語の発音は全然違うものになる。
明らかに、その男は関西弁のイントネーションで、
肉や魚や卵
といったのだ。
男の特徴をまとめると、
推定身長 178センチ~180センチ
推定体重 100㎏前後
スキンヘッドで顎髭。
関西弁のイントネーションでしゃべる。
う~ん、そのようにまとめてみると、一人の人物に行きつく。
それは誰か、そう、この僕だ。
特徴からするに、この僕そっくりなのだ。
いや、実のところ、いつからか、僕は、あの日、出会ったあの筋肉男に自分が似ているなと想ったことは、以前からあった。
幼き日に強烈な印象を残した人物のことは、そうそう忘れるものではない。
別に大人になった僕は、あのときのあの男に容姿を似せていったわけではないが、気が付いたら似ていたのだ。
そのように思えば思うほど、
あのときの光景が、上書きされていくような気がした。記憶というのはそういうところもあるだろう。
今では、あのときのあの男の容姿は、完全に今の僕なのだ。
もし仮に、僕が幼き日の僕にあったなら、
マッチョになる秘訣くらい、教えるかもしれない。
僕は15歳頃から本格的にトレーニングを始めるが、そこから現在に至るまでに、ボディビルディングにおける最も重要なことは「食べること」。
そのように結論付けている自分がここにいる。
幼い僕に一言でアドバイスするなら、確実に、食べることを告げただろう。
そう思っているうちに、
いよいよ、あのときのあのマッチョは、自分ではないかと思うようになってきた。
何らかのきっかけでタイムスリップしたとすれば、何もかもつじつまが合うではないか。
この5,6歳の頃というのは、両親が飲食店をやっており、毎日賑やかで、僕にとってとても楽しい日々だった。昭和という時代の、よいところを集めたような、そんな時代だった。大人はみんなベロベロに酔っぱらい、そこら中でたばこを吸い、今とはちがい、とても寛容なよい時代だったなあなんて、思う。
そんな楽しい時代に戻りたいとまではいかないが、覗いてみたい、そして、懐かしんでみたいというのは、今でも昭和を日々追いかけている僕にとっては、当然の感情だ。
そんな僕が、もし、タイムスリップするチャンスを与えられたなら、
まちがいなく、この時代を選んで、訪問するだろう。そうだ。きっとそうにちがいない。現代の僕は、まだ、過去には行ったことはない。だとすれば、これからいくのだろう。幼き日の記憶が正しければ、年齢は中年。例えば70才だとするといくら鍛えていても、それ相応になるはずだ。だが、衰えた感じには見えなかった。
とにかく、大きかったのだ。現在僕は100㎏越えている。子供の頃の僕からすれば、充分に大きい。仮に、タイムスリップした僕が50才だとすると、
現在45才なので、あと5年の間に過去に行く事になる。
このタイムスリップについてなのだが、僕なりに持論がある。俗に言う「タイムマシーン」というのは、おそらく、人類は作ることができない。
未来や過去が、別次元に存在するとすれば、そして、その、未来軸のどこかでタイムマシーンが完成したのなら、それに乗って過去にやって来て、もっと早くにタイムマシーンは完成するはずだ。
それだけではなく、
「未来から来ましたよ」
とかいうやつも出てくるはずだ。
僕なら、スマホを持っていくだろう。
昭和にはWi-Fiはないから使えない機能もたくさんあるが、動画の撮影と、その映像を昭和人に見せたら、それはそれはとんでもないことになるだろう。
昭和のその時代は、映像を写す機械と言えばテレビだが、ブラウン管で、しかも、でかくて重い。
そのブラウン管テレビよりも、高画質で小さくて薄いスマホを昭和人はどのように理解するだろうか。
うちの父など、ファックスは、本当に紙が飛んでいくと思っていたらしい。
とにかく、未来や過去に自由に行けるなら、
発明品も歴史もいろいろ上書きされて、変わってしまうはずだ。
だから、過去にも未来にも、タイムマシーンは作られなかったと言うことなのだろう。
ただ、時間軸の切れ目のようなものがあって、そこに、侵入してしまったらと考えると、それは、あり得る。
昭和59年辺りの僕のもとにやって来た僕であろうおじさんは、手ぶらだった。
現在の僕は、鞄のなかに、スマホ、財布、小銭入れ、等を持ち歩くが、
ほんの少し、その辺に出歩くときは、ポケットに小銭入れででかける。
おそらく、小銭入れをポケットに入れて近所のコンビニに出掛けたら、時空の歪みに足をとられて、昭和59年にタイムスリップしたのだ。
タイムスリップした彼は、
その景色をみて、自分がタイムスリップしたことをすぐに悟ったに違いない。なぜなら、もうじきタイムスリップするはずの自分がこうしてタイムスリップがどうのこうのと書いているからだ。
こんな文章書いていて、いざタイムスリップしたら、なんのことやらわからないなんて、間抜けにも程がある。
さて、では、45才から50才くらいの自分が昭和59年にタイムスリップしたとしよう。
タイムマシーンは完成しないはずだという僕の説が正しければ、僕は、偶然、タイムスリップしたことになる。自分のいた本当の時代に戻るには、また、偶然にもタイムスリップできる場所や歪みに遭遇しなければならない。
そんなことはまず不可能だろう。
時空の歪みなどは、おそらく、移動する。
そうでなければ、タイムスリップする人間が多く出るはずだ。
それに、先程も言ったように、鞄を持たない僕は、近所のコンビニにいく程度だ。
そのルート上に、過去に行ける時空の歪み等があれば、近所の散歩愛好家たちは、こぞって過去に行き、現代では神隠しにあったとかで大騒ぎだろう。
だから、未来から過去にいったとて、その場所に戻っても、もう、その歪みはないのだ。
じゃあ、過去に行ってしまった50才前後の僕は、もと来た時代に戻ることもできず、あれから38年、この時代に推定88才で存在しているということだ。
そして、相当、苦労してるはずだ。
見た目は50才くらいのマッチョだが、実際は7才の子供なのだ。
役場に問い合わせても、相手にもされないだろう。
7才と50才の同一人物が同じ時代に生存しているのだから、認められるはずがない。
彼は、アパートも借りることもできず、仕事にも就けないだろう。
生きているのだろうか?
はたまた、もう、死んでしまったのか。
どうか、まだ生きているのなら、出てきてほしい。
88才の自分を45才の僕が、きっちり面倒見ようではないか。
しかし、それでいくと、もうじき僕は過去に行く事になる。
家族にじいさんになった僕をお願いし、中年の僕はタイムスリップ。
なんだかよくわからない話だが、
このnoteの投稿がされなくなったら、
僕が過去に行ったと認識下さい。
覚悟はできた。
さあ、時空の歪みよ。
いざ現れん!!





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