降ってくる作業の裏にあるもの
仕事が降ってきたときに、
「この仕事の本当の意味は何だろう」と
適度に考えることは必要だなあと感じる。
(適度でとどめておかないと、ただの行動できない人になりそうなので難しいところではある)
例えば、薬局などでバイトしていたとして
「ちょっと床をモップでかけてきて」と言われた時に、特に考えず、言われた通りにモップをかけるのと、床が別に汚れていないのに、モップをかけを命じられたのはなんでだろう、と考えてみるのとでは、生産性が変わってくると思う。
「なんでだろう」で頭が動き出す。
床のモップがけであれば、床が汚れているとき(閉店30分)にモップをかけるとルーチン化させた方がいいのではないか、とか
ヒマだからモップがけを命じられたということであれば、この時間のバイトの数を減らしたほうがいいのではないかという話にもなる。
社会人(会社勤め)に関しては、生産性=給料に直結すると思うので、学生の頃からそういう練習ができたらきっといいのだろうな~と思う。(わたしは何も考えてこなかった)
しかし、この「なんでだろう」は
行動が伴わないと単なる批評家になってしまう。
自分が単にやりたくないだけで
「なんでやらなきゃいけないんだろう」と問いかけてしまっているのか、「もっと生産性の高い方法はないだろうか」と建設的に問いかけているかは、一呼吸おいて、第三者の目で検証しなくてはいけない。
自分のためではなく、この組織全体のためになるのではないかな〜と思ったら迷わず相談に言ったらよさそうだ。
何か思われたらどうしよう、と思ったりするが
自分のためでなくて組織のための提案だと相手も感じられるような意見であれば、案外すんなり受け入れられると思う。
自分がどうの、というより全体的に見てどうの、で意見が言える人は強いなあと思うのでした。
おしまい
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