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なぜ、歴史が好きか(暫定解を出してみる)

先日ライター仲間のおーつーさんに「なぜ歴史が好きなの?」と聞かれて答えられなかった。
どこにもフックがかからない感覚。

でも、ちょっとずつ何かが出てきたので、書いてみます。

歴史の「何」が好きなのか


まずは「なぜ?」の前に「何?」が好きなのかを考えてみることにした。

私が歴史で好きなのは「つながり」だ。
繋がっている感覚。
学ぶほどに点と点が繋がっていく感覚がおもしろい。

そして、全てつながって自分が今ここにいる。ことに気づく。

自分たちは現代に突如現れたわけではない。
ビッグバンからなのか、その前からなのかわからないけれど…
ものすごく昔からのつながりのなかで、今ここにいる。
たくさんのバトンが繋がった結果
たくさんの贈与がつながった結果
たくさんの奇跡が積み重なった結果、ここでこうして生きている。

感謝と畏怖を感じる。

それと、それぞれの出来事が実はつながっていることもおもしろい。
どこの国の何時代で何が起こったか、という単体でみるのではなく、もっと俯瞰してみるのだ。

人間って同じこと繰り返している…時と場所が違っても、この動きはあの時のあれに似ているなとか。

また、身の回りに当たり前にある「物」のはじまりを知ることも楽しい。
ふわっと知っていた出来事や物の背後にあるさまざまな因果関係がわかるとテンションが上がる。

これらが、私が勉強していて、うぉぉぉ!ってなるポイント。

私が歴史から知りたいこと

歴史を知って、そこから知りたいことのひとつは
「人々はどうやって生きていたんだろう?」ということ。

歴史のなかには、必ず、人々の暮らしがある、生き様がある。
富める人も、貧しい人も、権力構造の上にいた人も下にいた人も、全く関係なく生きていた人も…。人々は何を考えて生きていたんだろう?
幸せだったのかな?

それぞれが何を考えていたなんて、たぶん一番わからないことなんだろうけど、
どんなことが常識だったのか、なにを当たり前にして生きていたのか、死んでいったのか。どんな試行錯誤があったのか。
どんな失敗や発明の礎の上に自分たちが立っているのか。

…気になる。

このようなミクロの視点(土の上を歩くような視点)で、歴史を見たい一方で、
さきほども書いた「つながり」がわかる、マクロな視点で俯瞰して捉えたい。
世界地図をながめるような感じで、歴史を捉える。こちらも好き。知りたい。

書いてみて出てきた「なぜ、歴史が好きなのか」

以上、書き出してみて、暫定解のようなものが出てきた。

歴史が好きな理由は「知りたいから」なのかも。
それも、マクロな視点とミクロな視点の両方から。

ほうほう〜♪
(書き出はじめるまでは、実はぜーんぜん答えはなかった。やっぱ書くってすごい!と一人勝手に鳥肌(笑)!!)


さらに書く。
本音をいうと、世界の歴史全てを知りたいのだ。
でも、それには脳みそも寿命も足りない。
だって、人類(ホモサピエンス)が誕生してから30万年、文字が現れてから5000年くらい経ってる。私の残りの人生では太刀打ちできない。
(学んだそばから忘れていってしまうのも困りものだ。笑)

私が思う、歴史の魅力

「学ぶほどに、時間軸・空間軸が広がり、世界が、視野が広がる」
さらに「日常に感謝できる」これが歴史の魅力だと私は思う。

なぜ感謝できるのか、というと、あまりに今の私たちは恵まれているということに気づくからだ。

例えば…
たくさんの情報に触れられる(大昔は口伝、印刷技術ができても書物は身分の高い人しかアクセスできなかった)
食べ物がたくさんある(飢えなくなったのは戦後)
自分の人生をある程度選べる
自分の好きなこと発信できる(焚書坑儒とか蛮社の獄とか、弾圧は枚挙にいとまがない)
電気も水も、水栓トイレもある。
冷暖房つきの家がある(竪穴住居と比べてみて)
…などなど挙げればキリがない。

もちろん、失ってきたものもあるだろう。
でも、歴史を学べば、それを考えることもできる。

まとまらなくなってきたので、この辺でおしまい。

また変化や気づきがあれば、歴史について書きたいと思います!





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