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LLACと煩悩

NFTは煩悩の世界。
未来への希望や、文化、つながりなど素敵な側面もたくさんある一方で、
人間、自分自身の欲深さが分かりやすい形で見せつけられる世界だ。

私はLLACは「お守り」であり、「未来へのチケット」であると捉えているし、どう考えても猫ちゃんをガチホする方が、LLACにとっても自分にとっても良いので、もともと売る気はなかった。

だから自然に無理なく座禅はできている感覚。
また、幸いなのか何なのか、数字に弱いので、自分の猫ちゃんが日本円でいくらなのかはあまりピンと来なかった。笑

ゆえに「ガチホ座禅体験の葛藤」みたいな、にゃらティブは書けない。


だけど、LLACやNFTの世界を垣間見るようになってから体験した、煩悩との戦いをにゃらティブにしようと思う。

所有欲と後悔



かろうじていただけたAL。1匹mintできた。感動。
どんなメッセージが込められているのだろう?
この子から何を受け取るのだろう?
うれしさと無事お迎えできた安心感でホッとした。

しかし、それも束の間…
Twitterをのぞくと、複数匹お持ちの方もたくさん。
私の好きなインコや縄文をお持ちの方もいた。

…その瞬間。
「もっと欲しい…」
所有欲が襲ってきている自分に気がついた。

最初はALをいただけたことに、めちゃめちゃ喜んでいたのに。
欲深いものだ。

また、このたった1ヶ月の間で、「後悔」という感情とも向き合った。

例えば、またたび屋のSBTメールを見逃したこと、(違うプロジェクトを出して申し訳ないが、)しきぶちゃんローンチの日に2次で買うか迷ってやめたこと、お年玉的なものでWAFUKU買おうと思ってたら、値上がりしちゃったこと・・などなど。

「あの時、ああすればよかった・・」なんて「後悔」が短期間で襲ってくる。
それにいちいち反応すると疲れてしまう。
これもまたNFTの恐ろしさ。煩悩に火をつけるパワーがあるなぁと感じたのであった。

本来無一物


そんなとき、どうするか?
やはり、仏教の考え方が使えると思う。

「欲しい!」「欲しかった!」そんな感情が沸き起こったときは、
「本来無一物」と唱える。

もともと私のものじゃない。
いや、もともと私は、何も、持っていない。
全ては借り物だ。

そう唱えると、欲しい、手に入れたい欲求はおとなしくなり、今「持っている」、いや、「持たせていただいている」ものを大事にしようと思えるのだった。
さらに、借り物であるならば、大切に大切にして、お返ししなければならない。

私がmintさせてもらった猫さんも、いつかはだれかのもとへ手渡されていくのだろうな・・なんて。束の間の出会いを慈しみ、楽しもうと思えてきたのである。


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