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約7ヶ月、本当におつかれさまでした。|アートとコピー#8(A面)

アートとコピーが終盤になるにつれて、『ちはやふる』1巻のセリフを思い出していた。

「子供はさ、どんなに好きでも かるたが強くても 友達がいないと続けられないんだ」

『ちはやふる』1巻4首より

ここで出会った人たちを友達と言えるかは分からないけど、ひとりだったら仕事終わりにドトールで、休日はマクドナルドで、7ヶ月もずーーーっと作り続けることはできなかった。

いや、ひとりでもきっと課題は取り組んだと思う。だけど、提出を目的にするのではなく、抜きん出たものを作ろうという気持ちで全ての課題に取り組めたのは、“ひとりじゃなかったから”であることは間違いない。

大阪ー東京間を毎月通ったこと、人見知りに目をつむり飲み会に参加したこと、感想のnoteを毎回書いたこと。これらも含めて、人生トップレベルの行動力だったと思う。

なんにせよ、ちはやふるのセリフは、カルタや子供に限った話なんかじゃないと、ひしひし感じている。

アートとコピーでの出会いによって変われたこと。ホントにいろいろありすぎて困っちゃうけど、全講義が終わって1週間ほど経ち、落ち着いてきたいま改めて振り返っていきたいと思う。

最終回に向かう新幹線。
運良くN700Sだった。

そもそもなんで受講したのか

自分は広告代理店でも、制作会社でもない、事業会社の小さな制作部に所属している。社内でひっそりと求人広告を作っていただけで、もちろん受賞歴はゼロ(コンペに取り組んだことすらほとんどない)。

実績も、自信も、これっぽっちもなかった。広告を作り始めて5年。自分はどこまでやれるだろうか。クオリティを会社基準から、世の中基準にアップデートしたい。コピーライターとしてやっていく自信がほしい。

なんて崇高な志しよりは、仲間に入れてほしい、追いつきたい。みんなが楽しそうに広告の面白さを語るそっち側を体感したい。そんな気持ちでアートとコピーに参加した、というのが本音だ。

ある種、思いつきのじゃじゃ馬根性。自分にしては珍しく、この講座を知った次の日からポートフォリオの作成に取り掛かっていた。

終わったいまだから言えることは、「よく応募した。でも正解だったな」だ。

知識やスキルは本を読めば学べる。この講座は「デザイナーとの向き合い方」「ものづくりに対する心構え」「同じ道を進む人たちとの出会い」といった、今後の芯になるような学びが溢れていた。きっと死ぬ前の走馬灯に出てくるくらいの経験だったと思う(さすがに言い過ぎかも)。

「デザインのこと分からない」は白旗も同然

この講座は、全部で7人のデザイナーとペアを組んで制作を行う。新聞広告から、SNSで発表する作品など、大喜利的な課題まで。ジャンルはさまざまだが主に“言葉とビジュアル”でアイディアを形にしていく。

1対1の制作。猛者揃いのデザイナー陣。「ハズレのコピーライターだ」と思われたくない。見栄を張って毅然とした姿勢で打ち合わせに臨むも、次第にボロが出てくる。不安そうに自分の考えを伝え、相手の意見にはうなずくばかり。幸い揉めることはなかったけれど、やりきった手応えは少なかった。

「デザイナーの判断を信頼している」

「デザインのことは分からないから」

「商品広告、企業広告は作ったことなくて」

こんな言葉をよく口にしていたが、いま思えば責任の放棄だと思う。組んでくれたデザイナーはみんなちゃんと言葉に向き合って考えてくれていた。

「分からない」とは「考えるのを諦めます」と同じ。自分だけ白旗を上げてどうする。テイのいい言葉でお茶を濁していたと、振り返ると反省点ばかりだった。

自信がなければ、自信持てるまで調べる。知識がなければ勉強する。デザインスキルは、どうやったって追いつけないけれど、毅然とした広告論があれば対等な話し合いがきっとできる。スキルは信頼できる人ばかりなんだから。

ペアになったデザイナーだけじゃない。ほかの同期たちも、講師の方々も、みんな相手のことをリスペクトしていた。その上で自分の芯もしっかり持っていた。(全員と話せたわけじゃないけどたぶんそう)

ぜったい丸投げにしない。でも任せるとことは思いっきり任せる。

もう少し早く気づいていれば、課題の結果も変わっていたかもしれない。反省しつつ、チャンスはまだいくらでも作れるという気持ちで次に進んでいきたい。

講座前は渋谷散策が定番だった。

「作る」は、だれにでも開かれている

「仲間に入れてほしい」なんて、情けない志望理由だったのは、作る側と作らない側、勝手に区別をしていたからだと思う。そして自分は作らない側だと決めつけていたから。

でも、そうじゃなかった。

キャリア、スキル、肩書き。これらは作品の前では何の意味もなさない。純粋なアイディアとアイディアのぶつかり合い。良いものは褒められ、埋もれたものは無視される。キラキラした楽しそうなクリエイティブの世界は、どこまでも平等で、どうしようもなく残酷だった。いっせーので、スタートラインに立たされる。こんな恐ろしいことはない。

余談だが、中学生の時に出場した23区対抗駅伝大会を思い出した。大して速くもないのにアンカーを任されダントツビリ。生暖かい沿道の拍手とともに、晴海埠頭を走った苦い思い出。そもそも地区代表に選ばれるようなタイムじゃなかったのに。

話を戻すと、評価に晒され続ける環境の中で、その評価をどう受け止めて、次につなげるのか。大切なのは評価そのものより、スタンス。勝負をモチベーションに変える人、オリジナリティを突き詰める人、純粋に課題に向き合う人。本当にそれぞれで、個性が出る大きな要素のひとつだと思った。

自分の場合は、傍観者のスタンスが多かったように思う。他のペアの作品を、シンプルに「おもしろー」と見ていた。自分と比べなかった(考えないようにしていた?)。だからか、悔しさよりも清々しさが大きかった。「その手があったかー!」と。

このスタンスが良いか悪いかは置いといて、健康的なメンタルを保つには大事なことだとは思う。他者の意見に浮き沈みすることなく、最終回まで乗り切れたから。

最終課題だけは、なかなかそうはいかなかったけど。

人生が拡張された

つらつらと振り返ったが、ひと言でまとめると「やって良かった」だと思う。

同じ目的を持って、同じようにもがく人たちがこんなにもいる。それを知れただけでとても心強い。

また一緒に作りたいと思えるデザイナーと出会えた。

すごいと思えるコピーライターと出会えた。

ずっと会社の中にいた自分にとって、ずっと社内がクリエイティブの基準だった。コピー年鑑や世界の事例は見てきたが、どこか自分ごとに思えない。規模の大きさ、視座の高さ。やってる種目が違いすぎる。アートとコピーの7ヶ月はそのレベルの高さを圧倒的に自分ごとにしてくれた。

揉まれて、混ざって、ぶつかって。クリエイティブの基準が世の中基準にアップデートされた。世界が拡張されたような、DLCをインストールして探索しがいあるマップを山ほど見つけた気分だ。自分が井の中にいるとは知ってたけど、大海はホントに大海だった。

そして、気づいたことがひとつ。自分には「何がなんでも1番になってやる」という闘争心がない。たぶん末っ子として生まれたせいだろう。

完成度を追い求めるベストアルバムより、インディーズ1stアルバムを作り続けたい。初期衝動を感じ続けたいと。

とにかく初体験ばかりで、仕事を始めてから間違いなく1番にあっという間の半年間だったアートとコピー。何度も書くけど、受けて良かったです。以上、本当におつかれさまでした。おわり。

表参道のおしゃれさには
最後まで慣れなかった。

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