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【書籍紹介】吉村昭さん「破獄」「漂流」など5作品

少し筆が乗ったので好きな作家さんシリーズ2つ目を紹介します。3年前くらいの時に当時のボスに勧められて読んでハマった吉村昭さんです。東日本大震災より前に「三陸海岸大津波」という史実小説を書いていて震災後話題にもなった方ですね。

「歴史記録小説」というジャンルと言われるように、緻密な取材内容に対して脚色を最小限に留めて淡々と事実を記し続ける吉村昭さんの魅力を一言で言えば「歴史をその場で目撃したような臨場感と説得力」のようなもので、もし未読の方は、「破獄」「漂流」の2作だけでも読んでみて頂けるとその魅力はよくわかると思います。どれも淡々とした文体なのであっさり読めますよ。

1.破獄

脱獄4回の「昭和の脱獄王」と、彼に頭を悩ませる刑務官達の葛藤の話。ただの逮捕と脱獄の繰り返しと思いきや、両者が心通わせそうになる終盤から一気に面白く読めました。あまり語るとネタバレになるのですが、「脱獄を抑止すればするほど脱獄される」というジレンマを乗り越えるにはどうするのか、そもそも「脱獄の目的が脱獄」になってしまっている状況をどうブレイクスルーするのか、非常に味わい深い話です。以下引用。

"佐久間の過去をふりかえってみると、獄房にとじこめられている間、かれの頭を占めていたのは、いつ、どのような方法で脱獄しようかということにつき、そのことのみに生きてきた、と言っていい。 鈴江は、それをつきくずすことをしなければ、またも佐久間がすぐれた頭脳を駆使して府中刑務所からの脱獄方法をねり、たくみに成功させる確率が高い、と判断した。”(16.10.16)

2.漂流

江戸時代に漂流した船乗りの、12年間に渡る無人島生活の試行錯誤と自力脱出までの道のりを淡々と描いた記録小説。無人島での生活だけで小説になるんかいなと思うのですが、島にあふれていたアホウドリが渡り鳥だと気付いて飛び立つ前にできる限り捕まえて燻製にした話、毎日の仕事ができると生きる活力が生まれてきた話、希望をなくした人から死んでいった話等、「未知の状況に遭遇した人間がいかに生きる希望を持ち続けるか」ということについての示唆に富んだ小説です。漂流者の後輩に対して「一生をこの島で暮らす覚悟ができて初めて、心の平静が訪れる」という旨の話をしたあたりが個人的なハイライトでした。そして帰還後にはまた平和な人生を送ったというところも、吉村昭さんらしい淡々とした話で良かったです。以下引用。

”「そのさとりとは?」  吉蔵という水主が、長平の顔をうかがった。 「さとりとは……、口に出すこともおそろしいことだが、この島で一生を暮らそうと思うことです。しかし、私には、まだそのようなさとりの境地に達することはできません。どうしても故郷へ帰りたいと強く願っています。そこで、せめて帰郷は神仏の意におまかせしよう、それまではあせることも泣くこともやめて達者に暮らそうと思うようになりました。このように考えてから、気持がひどく楽になりました」  長平は、しんみりした口調で言った。”(17.2.12)

3.高熱隧道

昭和13年から3年かけて掘られ、総計300名あまり死者を出した黒部第三発電所のトンネル(隧道)工事の話。宇奈月温泉駅から黒四ダム行きのトロッコに乗ったことがあるのですが「こんな山奥でどんだけ難工事だったんだ」と思っていたのですが、想像通り足を滑らせて次々と人が死んでいく過酷な工事現場だったことがわかり「大工事は文字通り多くの犠牲の上で成り立ってきた」「その中でのマネジメントはまさに別の意味での『身の危険』と隣り合わせであった」ことがまざまざと突きつけられます。ダイナマイトが暴発した後に自ら灼熱の岩盤にダイナマイトを設置しに行く、四散した遺体をかき集めて自ら縫合する、現場指揮官の行動には感じるところがありました。以下引用です。

”摂氏一六二度の岩盤温度は二日後には低下したが、それから以後は摂氏一五五度あたりを常に上下するようになった。しかし、それにともなって上昇した坑内温度は、人夫たちの熱に対する忍耐の限界点でもあるようだった。坑内の熱は、丁度顔にあたる部分、坑道の底部から一・六メートル附近で摂氏七〇度近くで、たとえ水を浴びていても全身針で刺されるような熱さにしめつけられ、人夫たちはしゃがみこむようにしてなるべく低い温度にふれようとする。それでも二十分間切端にふみとどまることは、さすがのかれらにも堪えがたいものになってきた。”(17.4.30)

4.大本営が震えた日

太平洋戦争開戦前、「日本軍がいかに情報統制に四苦八苦しながら大規模作戦の準備を進めていったのか」をテーマにした歴史記録小説。密書を持参するはずだった飛行機の不時着および証拠隠滅のための自国軍による爆撃など、不慮の事故が起きるたびに関係者の生きた心地のしない対処が繰り返されギリギリの情報統制の中でぎりぎり開戦にこぎつけたことがわかります。アナログな時代で、善悪は抜きにしてほんまに大変やったやろなと。最後のあとがきで、登場人物の大半から直接インタビューして書いたと著者が仰っていたことが何よりの驚きでした。それぞれ戦後どんな思いで生きてはったのかと思いを馳せます。

”作戦計画に関係した参謀たちを最も恐れさせたのは、「上海号」が敵地に不時着していることだった。 杉坂の携行している作戦命令書が敵手に落ちれば、それは重慶政府に送られ、驚くべき情報としてアメリカ、イギリス、オランダにそれぞれ緊急報告されるにちがいなかった。 アメリカ、イギリス、オランダは、ただちに臨戦態勢をかためると同時に、作戦行動前の日本軍に対して先制攻撃をしかけてくることが充分予想される。そして、ハワイの真珠湾にひそかに近接中の日本機動艦隊もたちまち発見され、逆にアメリカ海軍の攻撃をうけることは疑う余地がない。また南方に進む大輸送船団も、海空からの集中攻撃を浴びて、上陸前に大被害を受けることも必至だった。 それらは、緒戦の失敗となり、対米英蘭戦の大敗北につながることはあきらかだった。”(17.6.18)

5.戦艦武蔵

2015年3月に海底で発見された戦艦武蔵の、受注製造から沈没までを淡々と追った記録小説です。「アナログな作業と秘密主義の中で世界最大級の戦艦が作られていく緊張感と高揚感」は、イデオロギーとか抜きにして胸アツでした。
余談ですが先日仕事の取引先の方で「私の父は戦時中に長崎造船所におりまして」という方がいらっしゃったので戦艦武蔵の話をしたら結構喜んで下さったということがありました。上手く言えませんが、現代史を知ることは今の人間に繋がる頻度が高いことも魅力ですね。

"所員たちには、一つの確信があった。自分たちのつくっているこの巨大な新型戦艦が海上に浮べば、日本の国土は、おそらく十二分に守護されるだろう……と。かれらは、この島国の住民の生命・財産が、自分たちの腕にゆだねられているのだという、強い責任感に支配されていた。そのためにも、かれらは、一刻も早く、しかも完璧な姿でこの巨艦を戦列に加えたいという願いをいだきつづけていた。 かれらは、誰一人として手を休めている者はなく、千数百名の所員たちは、汗と油にまみれて作業に取り組んでいた。 それらの小さな人間の群れの中で、おびただしい量の鉄で組立てられた巨大な船体が、奇怪な生物のように傲然と横たわっていた。"(17.7.9)

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