好きか嫌いか

皆様こんにちわ、あるいはこんばんわ

いきなり本題に入りますが「好き」か「嫌い」かには分かれないです
一般論として好きだ嫌いだやいのやいのとはなりますが実際そう単純じゃあないです
細分化すると果てしないのでそれでもまだ曖昧さを残しつつ分けると

好き
嫌いじゃない
普通
好きじゃない
嫌い

と、なるのが大体
嫌いは思う側も思われる側も余程だと個人的には思いますw
「嫌い」は相当なエネルギーを必要とするので本当に余程の事や余程の潔癖でもなければ湧き上がらないものと考えています

で、「好きじゃない」
んー
表現が難しいですがある程度の嫌悪感を感じる側面を含む場合
でしょうか
嫌だなー、苦手だなーとかそう言う類いの感情を引き起こすが決定的被害がない場合
「好きじゃない」にカテゴリーされるものかなと
そしてここで大部分を占めてしまいそうですが
一般的な嫌いは「好きじゃない」より下の感性だと思うのです
「嫌い」は絶縁、絶対拒絶であり究極なのですが
「好きじゃない」好ましくない状態は雑な「嫌い」になるものかなと

踏まえて
「嫌いじゃない」は一見否定的ではあれども肯定的な要素であると考えられます
好きと言わずとも好感のある対象に
「嫌いじゃない」と言う感性が発せられると考えます
「好き」とするには憚られる場合などでも良さを広める意味でも扱いやすい感覚かと思います

さて
一番救い難い状況に言及するとどうなるか
「普通」
ニュートラル、真ん中のイメージですが
これは何の興味もない状態であり、「無」です
なんなら「嫌い」より酷い状態
居ても居なくてもいいし存在を殆ど意識していない状態
居ても構わないが消えても構わない
一番感心のない状態

「嫌いじゃない」は微妙に見えて感心のある状態
全肯定せずとも好感の持てる状態

と、なるのではないかなと

人と関わると言うことは大なり小なり精神コストを支払うもので
合理的な思考強めで生きていると数値や成果の見込みを算段して無意識に、意識的に問わず支払ってしまったりしがちですが
「好き」より下の対象に支払うコストは下に行くに従って負荷が上がるもの

直感と本能に正直な人は疲弊しにくいものではないかと考えます
論理的に立ち回れば立ち回るほど実は少しずつ負債が蓄積してしまったりするもので
普通より下の対象と関わることで後に100の益を見込めるので精神コストを支払うことにする

仮に「普通=10」「好きじゃない=20」「嫌い=50」としてコストを割り振る時にうっかり見落しがちなこととして100から支払ったコストを差し引いてチャラになる
と、ならない事

益だけでは精神コストが補充されないもので
ましてやその益が後々の見込みである場合に気がついたら精神コストの在庫が切れていたり
益は「好き」なヒト、モノ、コトに変換されて初めて精神コストの補充に繋がるもので
数値を追いかけて労力を数値に見合うか見立てて勘定してしまうと実は勘定が合わなかったりするのが論理的の罠

お気持ちを置き去りにしてしまう事は目に見えない損失を生みやすいものであったりします
あれやこれや論理的に利益を重視して採算ばかりを意識していると「好きじゃない」や「嫌い」への感度が鈍り
利益になる目算から見かけ上「嫌いじゃない」辺りのカテゴリーとして誤認してしまう
本当に邪魔にならず僅かな益をもたらすものを「どうでもいい」カテゴリーに入れてしまうなど

数値で振り分けて統計を把握し効率を求めることは利益を増やす為には必要な事ではあるけれど
本来の目的や目標を見失ってしまう程に「利
益」とそれに纏わる「興味」に引っ張られて迷走してしまう場面は多く
本当に大事なものほど利益が目立たなかったりする為に置き去りに成りやすいもので
当初、据えられた目的や目標を状況に適応、順応するために調整を繰り返す事で
本当は負担なこと、苦手なことに対しては目隠しがかかり本当に望むものは見失ってしまい
求めていたものと違う形にたどり着いている事に気付かずに
よく解らない違和感を抱えたりするものかなと

波に乗って航海を続ける為に重要な船を維持することを重視してより有益な部品へと交換を繰り返して何処かへ到着した船は果たして愛着を持った特別な船なのか…
到着地点は本当に目指した目的地なのか…

時間をかけて書いてしまったこの記事もどことなく迷走しています(言い訳)
が、主軸として残った部分をまとめるならば
効率や合理性を求め過ぎて感性を圧し殺し過ぎると「嫌い」への感覚が麻痺してしまいがちで
それは「痛み」に気付き難くなることでもあり
「好き」への感覚も鈍くなってしまい
それは「喜び」を失いやすくなること
好き嫌いを細かく見つめ直す作業は人間らしく生きていく為に大事な作業なのではないかと思います

普通と言う「どうでもいい」カテゴリーに沢山のものを放り込み過ぎると癒しを失い、毒に侵食されやすくなったりするものかなと
安定感は大事ではありますが安定感だけを重視すると結果的にぬくもりのない座り心地の悪い土台に乗ってしまうのではないでしょうか


さて、大迷走オーバーランを続けてしまう前に今回はこのあたりで終わりにしておきます
時にがんばらない事をがんばり、我慢し過ぎないことに気を付け、無駄な余白を愛でることは大事なのではないかなと

最後まで読んで頂いた方、謎の世迷い言にお付き合い頂きありがとうございます

この記事があなたの明日からの世界をより良く出来れば幸いです

それではまた

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