【小説】心神喪失により無罪

はじめに

 今年の7月28日、延長された通常国会が終了する2日前、法務大臣の命令により東京拘置所において死刑が執行された。

 処刑されたのは、横山辰馬37歳。児童4人に対する殺人の罪で、死刑判決を受けていた。判決確定から6年が経過していた。

 事件発生当時、私はとある雑誌関係者の依頼により、事件について調べる機会があったため、内実をそれなりに詳しく知っている。

 以下、ここに私の知っていること、調べたことを記しておきたいと思う。


 その前に、読者にひとつご承知いただきたいことがある。

 私は、私が見たこと、聞いたこと、あるいは調べて事実である可能性が高いことのみを記すことに徹し、みずからの価値判断は極力避けたいと思っている。
 出来事について私が主観による注釈を入れることで、読者を誘導してはならないと考えるからだ。よって、無味乾燥な文章がだらだらと続くことになるが、ご容赦願いたい。

 しかし、人は完全に客観に位置することはできない。事実、私が取材して得た情報の中で、信憑性に大いに疑問があるものは、ここに記していない。

 私の仕事はあくまでも、判断材料のひとつを提示するに留まるだろう。
 ぜひとも各位、読後にそれぞれ、真実がどのようなものであったかを探求していただきたいと思っている。

事件発生

 事件が発生したのは、201X年1月28日、月曜日の朝だった。
 午前7時半ころ、Y市の片側三車線国道バイパス道路の歩道を集団登校している児童の列に、大型トラックが突っ込んだ。

 トラックはそのまま道路わきの田んぼに進入し、20メートルほど離れたところに横転して停まった。

 トラックは並んでいた集団登校の列の前部に接触し、合計4人の児童の生命が失われた。
 亡くなったのは、小学校1年の双子の姉妹と、小学校3年の男児、それと登校班の班長で一番前を歩いていた小学校6年の女児。

 児童らの実名は記さないが、双子の姉妹については親権者の許可を受けたうえで、氏名を記す。姉の浜野一花ちゃんと、妹の浜野両花ちゃん。たいへん仲の良い、7才の姉妹だった。

 当日、事件を目撃した近隣住民の60代男性に話を聞くことができた。

「外でね、いきなり大きな鉄板が落ちたみたいな音がしたから、急いで表に出てみたら、田んぼの向こうにトラックが転がっててね。歩道と車道のあいだには街路樹が植わってたんだけど、30センチはあろうかというクスノキが何本も折れて、歩道のあたりに転がってた。急いで駆け寄ってみると、座り込んで泣いている子供もいれば、目の焦点が合わずに呆然と立ち尽くしてる子供もいたよ。……それと、思い出すのもおぞましいけど、田んぼの手前には制服のスカートを履いてはいるけど、胸のあたりより上がちぎれて肋骨が見えた状態になった何かがあった。えぐれて表に見えている心臓がまだ、痙攣するように鼓動を打っていた。それが女の子の遺体であると、しばらく気づかなかったよ」

「そのときは、何人がはねられたか、わかりましたか?」と私は尋ねた。

「いや、最初はてっきり犠牲者はひとりだけだと思ってたよ。でも、すぐにトラックの少し手前にもうひとり転がってるのが見えてね。その子はほかの子より身体が大きかったから、今から思えばあれが6年生の子だったんじゃないかな」

「その後、警察に通報したんですか?」

「いや、私はそのまま家から手ぶらで家から出てきてたので、携帯電話は持ってなかったんだ。後から来た車が道路わきに停車して運転手が、たぶん事故の野次馬みたいな気分だと思うけど、降りてきたので、その人にすぐに警察に通報するように頼んで、私はとにかく子供らを落ち着かせて、無惨な遺体を見せないようにした。幼い顔立ちのわりには身長の高い男の子に、『班は何人なの?』と聞いてみたものの、心ここにあらずという感じで、『わかりません』と答えてた」

 私も事故の1か月後に現場を見に行ったが、たしかにそこの一角だけ、街路樹が数本、歯が抜けたように欠けていた。道路の歩道と田んぼとは1メートルほど高さの差があり、田んぼのほうが低くなっている。1月だったので作物は植えておらず、水分を含んでいない地面はそこそこ固くなっていた。
 歩道には花束がたくさん添えられていた。

 事故後15分も経たないうちに、通報を受けた警察と救急がやってきた。亡くなった4名はほぼ即死で、救急隊はストレッチャーに激しく損傷した児童の身体を乗せて運んだ。集団登校の班はほかに5名の児童がいたが、亡くなった4名以外はみな外傷を負うことはなかった。

 警察は横転しているトラックに駆け寄り、運転席のドアを開けた。膨らんでいるエアバッグに埋もれるように、運転手が倒れている。意識は失っていたが、無事なようだった。

 呼びかけると運転手は目を覚まし、自分でトラックのドアから出てきた。

 警察官は詳しい事情を聴こうとしたが、運転手は立ち尽くしたまま、ヘラヘラと笑っていた。
 いくら声を掛けても笑うばかりで何も答えないため、ひょっとして事故のショックで精神に異状を来したのではないかと思ってると、運転手は勝手に歩き出し、そのまま逃亡するかもしれないので、警察官は運転手を取り押さえようとした。すると、運転手は振り向きざまに警察官の顔を殴った。

 すぐにほかの警察官が駆け寄り、運転手をその場に押さえ込んで、公務執行妨害の現行犯で逮捕した。

 所持していた免許証から、容疑者は横山辰馬、31歳と判明。

 パトカーの後部座席に押し込み、事情を聴こうとしたようだが、横山はシートに座ると昏倒したように意識を失った。呼吸はしているので生命の心配はなかったが、1時間以上経っても目を覚まさないために、事故の現場での検証は後日に行うこととして、警察署に連行した。

 警察署に着いても横山は目を覚まさず、とりあえず留置所の布団の中に寝かされた。

 昼過ぎになりようやく意識を取り戻した横山は、ひどく混乱しているようすで、しばらく留置所のなかで大きなわめき声をあげていた。現場の取り調べをしていた警察官が来て事情を説明し落ち着かせ、「お前は事故を起こした容疑者である」ということを告げた。

 その時間帯にはすでに病院に運ばれた被害者の死亡が確認されており、そのことも横山には知らされた。

 取り調べ室に連れていかれた横山は、自分が死亡事故を起こしたということをまったく認めようとせず、「何かの間違いだ、俺は何にもやってない」と繰り返した。

 取り調べに当たっていた警察官に、県警本部のデータベースからとある情報がもたらされた。

 横山辰馬は過去、二十代前半のころに二回、逮捕されており、二回目の逮捕では懲役2年の実刑判決を下されていた。当然刑務所に服役し、6年前に満期出所している。

 罪状は二回とも、覚醒剤所持及び使用だった。

 すぐに横山の尿検査が実施された。尿からは合成麻薬の成分が検出された。

容疑者について(その1)

 交通事故で児童4人死亡、トラック運転手は薬物の前科があり、尿検査でも陽性反応。しかし、容疑をかたくなに否認。

 このニュースが報道されると、世論は一気に沸騰した。一度実刑判決を受けて服役したにもかかわらず、再び薬物に手を出して未来ある尊い生命を奪ったなど、もはや鬼畜の所業である。

 被害者遺族に同情しない者はいなかったが、特に双子の娘を亡くした父親の浜野雄介氏への哀れみと共感は最大のものとなった。

 浜野氏は事件発生の一週間後、顔と実名を出して記者会見を行い、胸の内をテレビカメラの前で率直に語った。

「横山という犯人を絶対に許せない。そもそも何回もクスリをやるような危険な人間を野に放つ理由が理解できない。そういう意味では国も私たちの加害者だ」怒りに震えながら浜野氏はそう言った。

 公務執行妨害の現行犯逮捕の後、横山は改めて、危険運転致死傷罪と麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で再逮捕された。

 しかし、浜野氏はそれにも納得できないと記者会見で訴えた。
 危険運転致死傷の最大の刑期15年、麻薬及び向精神薬取締法10年。併合罪が適用されても、横山が受ける最大の罰は懲役22年6か月となる。

「こんなひどい話がありますか。4人もの子供の生命を奪っておいて、たったの22年ですか。ぜったいに納得できません。これは明らかに殺人事件です。薬物を乱用してトラックを運転し、事故を起こした人間の罪が、殺人以外の何だと言うんですか。警察には改めて、容疑者を殺人罪で逮捕していただきたい。それができないなら、犯人をすぐに釈放してください。私が殺します」

 そう言った後、浜野氏は天を仰ぎ、まるで子供のように大きな泣き声を上げた。


 容疑者の横山は警察の厳しい取り調べにも関わらず、否認を貫いた。
 なぜか。

 私には当然、取調室のなかでの出来事を知ることはできないので、捜査関係者以外では最も事情に詳しいであろう、横山の弁護を担当した渡辺弘子弁護士に取材したときのことを記す。

 ふつう弁護士事務所というのは交通の便利のため、多少テナント賃料が高くても裁判所の近くに構えることが多いが、渡辺氏の事務所は、市のはずれの工業地域に近いところに建っている、雑居ビルの二階にあった。

 製造業の顧問先が多いのだろうか、と思って尋ねてみると、
「少し前まではウチも裁判所の近くにオフィスがあったんですけど、今は母親の介護をしながら仕事をしなきゃいけないので、実家近くのここに移転してきたんです」と言った。

 渡辺氏は62歳。ベテランだ。刑事事件以外では、離婚とそれに関連する業務を受任することが多いという。渡辺氏の母上は94歳で、寝たきりではないものの、車いすがなければ移動できないようになっている。

「ウチは私と事務員ひとりだけの小さい事務所ですし、テレビに出てるような売れっ子弁護士と違ってそんなに仕事があるわけでもないし、少々辺鄙なとこでもそんな不便はないんです」
 事務員を務める方の苗字も渡辺といい、姪に当たるということだった。

 事件当日の当番弁護士だったため警察署に呼び出され横山と初めて会い、そのまま正式に代理人を引き受け弁護を担うことになった。

「横山容疑者は無実を訴えていますが、渡辺さんもそう思われてますか?」私がそう質問すると、

「ええ、もちろんです」渡辺氏はきっぱりと断言した。


 渡辺氏によると、横山の主張は以下のようなものだ。

 事件の前日、横山が勤務する運送会社から指示された仕事は、静岡県浜松市の港まで荷物を配送し、荷下ろしをした後に帰ってくるというものだった。荷下ろしに要する時間を考慮しても、朝8時に出発すれば遅くとも夕方6時には会社の車庫まで帰って来れる予定だったという。

 しかし、横山が出発してすぐに会社の事務から、依頼主のスケジュールに手違いがあり、配送先の倉庫に入れるのは午後4時以降にならなければ無理だという連絡が入った。要するに、「早く来てもらっても困る」ということだった。

 横山にしてみれば、いきなり5時間以上の待ちぼうけを食らったことになる。
 仕方がないので、横山は高速道路のパーキングエリアに停車して、週刊誌を読んだりトラックのラジオを聞いたりしながら、時間をつぶした。

 午後6時になってようやく倉庫での荷下ろしが終わり、帰路についた。本来ならばすでに会社に帰っていてもおかしくない時間だった。さらに運の悪いことに、マイカーで帰宅する渋滞に巻き込まれ、トラックはなかなか進まない。高速道路のインターに入ったときは、午後7時半を過ぎていた。

 このままだと会社の車庫にたどり着くのは、急いでもかなり遅くなる。下手をすれば日付をまたいでしまうかもしれない。

 3時間ほど夜の高速道路を運転すると、横山は自分が集中力を欠いていると自覚するようになった。昼間に待ちぼうけとなった時間は、ほとんど身体を動かさなかったが、退屈は労働よりも強い疲労を招いていた。

 とりあえずパーキングエリアに停車して会社に連絡を入れると、「トラックは明日の朝8時までに会社に戻ってくれば問題ない。翌日は横山は非番になっているから、もし体調がすぐれないなら、どこかに泊まって明日の朝に帰ってきたのでもかまわない」ということだった。

 しかし高速道路のなかにホテルなどあるわけもないので、寝るのは必然的にトラックの中で、ということになる。横山は運転席のシートを倒すと、念のため持ち込んでいた毛布をかぶって眠りについた。

 翌朝、目が覚めたのは午前5時くらいだった。とりあえず表に出て自販機でブラックの缶コーヒーを買い、円柱状の灰皿の前に行ってタバコに火を点けた。

 タバコを吸っていると、後からもうひとり、ニューヨークヤンキースのロゴが入った帽子をかぶった中年男性がやってきた。その男性もタバコを咥えて火を点けた。銘柄はショートホープ。

「どうも、おはようございます」と男性は言ったので、
「おはようございます」と横山も返事をした。

 どうやら相手もトラックドライバーのようだが、もちろん面識はない。

「本日は、どちらまで?」と横山が世間話代わりに尋ねると、なんと北海道までということだった。
 男性も、横山に目的地はどこか、ということを訊いてきたので、昨日あったことを手短に説明した。

 それを聞くと、男性は大いに肯きながら、
「まあ、製造業が相手だと、たまにあることですねえ。荷物はすぐそこまで来てるのに、倉庫の都合で荷受けを翌日まで拒否されるなんてことも、ありますよ。ジャストインタイム方式だとか言って、最近の大手の工場は在庫を持たないように倉庫面積をわざと小さくしてるようですから、こっちはたまったもんじゃないです」と言った。

 男性は、給料がいいので長距離の運転をよく引き受けると言っていた。
 横山の勤務する会社は、基本的に一日で往復できる距離しか請け負わないので、今回のようなイレギュラーなケース以外では、パーキングエリアで夜を明かすということはまずない。

「いちおう、6,7時間は寝たとは思いますが、慣れてないとしんどいですね。腰や肩がみょうに凝って、いまいち頭がすっきりしない」
 そんなことを話しながら、たばこがすっかり短くなったころに、
「よかったら、これ、いかがですか?」と言って、小さい茶色い瓶をポケットから取り出した。

 中には小さな錠剤が入っているようだった。
「なんですか、それ?」

「眠気ざましの、カフェインです。僕みたいに長距離やってると、必須アイテムですよ。忙しいときになると、20時間くらいぶっ続けで運転させられますからね」
 横山はカフェインがコーヒーに含まれている物質で眠気覚ましの効果があるということは一般常識として知っていたが、その錠剤が薬局で売られているということは知らなかった。

 覚醒剤で逮捕された過去があるため、更生した今でも薬全体に対する拒否感がぬぐえなかったが、万が一居眠り運転でもして事故を起こしたら一大事となる。

「それじゃひとつ、いただいてもいいですか?」
 茶色い瓶から灰色をしたカフェインの錠剤を一粒もらうと、横山はコーヒーでそれを胃に流し込んだ。


 異変に気付いたのは、ハンドルを握ってから1時間ほど経過したころだった。運転していると、心臓の鼓動がやたら早くなって、頭がフラフラし始めた。軽い吐き気もする。視界がグラグラと揺らいで、まっすぐ前を向いているはずなのに、フロントガラスの向こうの景色がゆがむ。もしかして、カフェインに酔ってしまったのだろうか。

 なんとか正気を維持しながら運転を継続したが、限界が近づいていた。しかし、高速道路上で停車するわけにはいかない。とにかく次のインターで降りて、駐車場の広いコンビニかどこかで休もう。

 青の看板のETCゲートを通過したところまでは、意識があるという。
 次に目を覚ますと、留置所に入れられていた。

容疑者について(その2)

「ということは、そのパーキングエリアのトラックドライバーからもらったカフェインの錠剤が実は、尿検査で検出された合成麻薬だった、ということですか?」私が渡辺氏にそう尋ねると、
「そうとしか考えられません」と渡辺氏は言った。

「しかし、そのドライバーとは初対面だったわけですよね? なぜ相手は横山容疑者にそんなものを飲ませたのでしょうか?」

「それはわかりかねます。可能性としては、おそらく相手のドライバーはカフェインの錠剤と合成麻薬の両方を常習的に服用していて、うっかり間違って横山さんに提供したということが考えられます」

「なるほど……。しかし、意識がないとは言え、運転していて事故を起こしたのは横山容疑者で間違いないわけですよね。無罪を訴えることは、難しいんじゃないですか?」

「いえ、刑法39条の心神喪失に当たる可能性があります」


 その条文をそのままここに転載する。

刑法39条
1.心神喪失者の行為は、罰しない。
2.心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。


 私は渡辺氏に質問を続けた。
「私は法律には素人ですが、これは今回のケースにも当てはまるんでしょうか。たとえば、お酒を飲んで意識がないうちに暴れても、有罪になるわけでしょう? 今回のケースと何か違うんですか?」

「お酒を飲めば理性が後退するということは、誰でも知っていることですよね。それを事前に知っているにも関わらず、自分の意志でお酒を飲んだ結果、事件を起こしたとなると、罪は免れません。今回のケースも、横山さんが合成麻薬だと知った上で摂取し、事故を起こしたならばギルティでしょうけど、横山さんはそれをまったく知らなかったわけです」

「非常に意地悪な質問ですが、横山容疑者が実はふたたびクスリに手を出していて、嘘の供述をしているという可能性はありませんか?」

「その可能性が絶対にないとは断言はできませんが、わたしの任務は依頼人を信じて、依頼人の法的利益を守ることですので。それに、たとえそうだったとしても、それを証明する義務は、警察や検察側に有ります。事故の数日前に、横山さんが合成麻薬をどこかから購入していた事実があれば、横山さんが嘘の供述をしているという可能性も高まるのでしょうが、そういう事実は見つかっていません」

「ということは、法廷ではあくまでも心神喪失による無罪を主張していくということですか?」

「えっと……、まず現状ですが、まだ起訴されたわけではありません。横山さんの弁護人としては不起訴処分が相当と考えています。しかし、起訴されたとしても、主張に変わりはありません」

「非常に世間的に広く注目を集めている事件ですが、無罪を勝ち取る自信はございますか?」

「うーん……」渡辺氏はあごに手を当ててしばらく考えてから、「断定的なことは言えませんが、可能性はじゅうぶんあると思っております」と答えた。


 次に私は、渡辺氏にこの事件の社会的な影響について質問した。

「ご存知だと思いますが、今回の事件に対する世論は非常に厳しいものとなっています。こういう言い方は問題有りますが、何せ薬物の前科がある人間がまた薬物に手を出して4人もの子供の生命を奪った、ということですから。それについては、渡辺先生はどのように考えていらっしゃいますか?」

「横山さんは昔の覚醒剤の事件に関しては、有罪判決を受け服役して出所した後ですので、すでに罪は償っています。そして出所後には、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら、大型自動車免許を取得して運送会社に就職し真面目に勤務して、立派に社会復帰しております。薬物の前科があるということで、世間の人には色眼鏡を通して見られるのは、致し方ないのかもしれませんが、以前の犯歴は今回の事件と何の関係もありません」

 罪を犯した者が、その罪を償い社会に復帰する。それ自体は歓迎すべきことなのだろう。

「先日の、双子のご遺族である浜野氏の記者会見はご覧になられましたか?」

「はい。リアルタイムでは見てませんでしたが、インターネット放送のアーカイブがありましたから、最初から最後まで拝見しました」

「感想をお聞かせ願えますか?」

「感想と言われましても……、大事な娘さんをふたり同時に失った胸中は、察して余りある、と言ったところでしょうか。亡くなられた娘さんのご冥福をお祈りし、浜野さんには心よりお見舞いを申し上げたいと思っております」

「浜野氏は、横山容疑者を殺人罪で起訴するべきだ、と主張しました」

「ええ、存じております。しかし、それは難しいのではないでしょうか。一般論としては『未必の故意』という言葉で明確な殺意がなくても殺人罪が成立するケースはありますが、今回は当てはまらないと考えます。あくまでも私たちの主張は無罪ですが、事故については起訴するにしても、逮捕容疑である危険運転致死傷が上限でしょう」

「浜野氏は現在、横山容疑者を殺人罪で起訴するようにという、署名活動をしていると聞いています。インターネットを通じた署名のサイトも開設しており、すでに多数集まっているようです」

「それも、存じております。浜野氏がそれをするのは自由ですし、世間の皆様が横山さんに対してたいへん憤っているということも承知しています。しかし、繰り返しますが、無罪を主張することに変わりはありません。それに、たくさんの署名が集まったから厳罰にすべき、というのは、まるっきり私刑です。近代国家としてあってはならないことだと考えます」

 そう言った後、渡辺氏は「ちょっと失礼」と言って立ち上がった。

 そして窓際の事務デスクの引き出しから封筒を取り出すと、
「ウチにも、こんなのがすでにたくさん郵送されて来てるんですよ」
 20枚ほどの紙を取り出して私に手渡してきた。
 見てみると、A4の紙に大きな文字が印刷されている。内容は、

「悪魔の弁護士、すぐにヤメロ」
「ヤク中殺人鬼横山の味方をするエセ人権擁護野郎」
「ゴミクソ弁護士渡辺弘子も死刑相当」

 と渡辺氏を中傷する文言が書かれていた。

「横山さんの弁護をすること自体をよく思わない人が、世の中にはいるんでしょうね。……そちらもまだごく一部で、しかもマシなほうなんです。脅迫に該当しそうな過激ものは、証拠として警察に渡してありますから」
 渡辺氏は苦笑しながらそう言った。

「もし仮に、ですが、未必の故意による殺人罪で起訴された場合、被害者は4人ということになりますが、心神喪失による無罪の主張が認められなかったら……」

 私がその続きを言いよどんでいると、渡辺氏は察したらしく、
「ええ、そのとおりです。死刑判決が出る蓋然性が極めて高いです。だから、殺人罪での起訴はぜったいにあってはならないし、私たちは全力で戦わなければならないんです」と言った。

世論

 先ほど書いたとおり、遺族の浜野氏は今回の事件に関するホームぺージを開設していた。メールアドレスと本名と住所を記入すれば、インターネット上で署名できるようになっており、横山に対して憤っている人の署名が殺到していた。

 ホームページには、浜野氏のメールアドレスの記載があったので、私はダメ元で浜野氏に取材を依頼したのだが、驚いたことに浜野氏はそれを受け入れてくださった。

「ぜひ、市井の人々の声を知ってください」
 メールにはそう書かれてあった。


 とある月曜日の朝8時、私は浜野氏の署名活動に同行させてもらうことになった。

 駅前の通勤者が頻繁に通る前で、浜野氏は拡声器を持ち、「署名、お願いします」とまるで選挙の立候補者のように連呼していた。

 左手には、「児童4名交通殺人事件、薬物常用者、横山辰馬に厳罰を!」と白抜きで書かれた赤いノボリを持っていた。

 亡くなった一花ちゃん、両花ちゃんの同級生の父母が合計5名、ボランティアとして参加しており、ボールペンのはさまったバインダーを通行人に提示して、署名を集めていた。

 もちろん、前を素通りしていく通勤者のほうが多いのだが、世間的に大きな注目を集めているせいか、足を止めて署名する人は決して少なくなく、浜野氏に握手を求めて、
「がんばってください!」と励ます人も、複数人いた。

 駅前での活動はちょうど正午まで続けられたが、途中で用紙が足りなくなったため、近くのコンビニにコピーしにいくということになった。

「盛況」という単語はふさわしくないかもしれないが、その日一日だけで非常に多くの署名が集まった。
 集まった署名用紙の分厚さは、そのまま横山に対する世間の怒りの量を示している。


 私は迷惑であることは承知で、署名に協力した人、数名の背中を追いかけて、
「どういう動機で署名に協力したのか」ということを尋ねてみた。

 20代のスーツ姿のサラリーマン風の男性は、
「薬物中毒者が子供を殺したんだから、事故じゃなくて殺人でしょう」と言った。

 40代の主婦の方は、わざわざ電車に乗って隣町から署名するためにやってきたらしく、
「うちにも中学生の双子の息子がいるから、他人事とは思えない。被害者遺族の気持ちは痛いほどわかる」と言った。

 80代とは思えないほど頑強な身体をしてそうな80代の男性。
「人を殺したら、死を以て償うのは当然。日本の司法は加害者の人権ばかり保護して、被害者の人権をないがしろにしすぎている」

 高校の制服を着た、10代女性。
「あの犯人、ぜったい許せない」

 その彼氏らしい、同じく高校生の男性。
「犯人の顔写真ニュースで見たけど、気持ち悪い。いかにも犯罪者って感じだった」

 50代会社経営の男性。
「警察は今すぐ横山とかいう犯罪者を釈放してほしい。俺が殺してやる」

 20代の男性。
「死刑が妥当。死刑判決が出たら、すぐに処刑するべき。日本の死刑って、ボタン押したら足元の板が開いて落ちるようになってるんでしょ? ボタン、俺に押させてほしい」

 40代の女性。
「死刑以外考えられない。なんであんな男を生かすために、わたしたちが納めた税金が使われるのか、理解できない」

 30代の男性。
「もし、検察が殺人罪以外で起訴したら、日本に失望するね。どっかまともな国、たとえばカナダとかフィンランドに移住することにするよ」

 40代男性
「私も10年前に妻を交通事故で亡くしました。自動車と自動車の事故で、妻のほうにも過失があったんですが、妻は死んだのに事故の相手がまだ生きていることが、いまだに納得できません。妻の仇討ちを期待してるわけではありませんが、浜野さんには是非がんばって犯人の死刑を獲得してもらいたいです」

 このうちの数名に、私はさらに、「横山容疑者は、心神喪失による無罪を主張しているようだが、どう思うか?」と尋ねてみた。

「クスリで頭がおかしくなって心神喪失なんて、通るはずがない。それなら、あらかじめクスリ打って憎たらしいやつを殺したら、無罪になってしまうじゃないか」というような意見が多かった。

 また、
「心神喪失だからと言って、無罪になるのがおかしい。殺されたほうにとっては、加害者がどんな状態であっても殺されたことには変わりはないのだから、心神喪失で無罪にしたり減刑したりする制度は廃止するべきだ」という意見も多数あった。

 署名活動を終えた後、浜野氏に話を伺うことができた。
 たくさん署名が集まったが、浜野氏の顔に笑顔はない。

「一花と両花はね、7年も夫婦で不妊治療をやって、ようやく授かった子供だったんです。犯人を許すことはできません。検察が、殺人ではなく危険運転致死傷で起訴したら、私は何としても横山が出所するまで生き延びて、娘たちの仇を討ちます。地獄の果てまでも追いかけて、ぜったいに殺します」

 横山の逮捕の2か月後に、浜野氏はネットで集めたものも含めて、総勢20万人にのぼる、横山に厳罰を求める署名を地検に提出した。
 それが影響したのかどうかはわからないが、検察は横山を危険運転致死傷罪ではなく、殺人罪で起訴した。

面会

 起訴の3日後、私は渡辺弁護士のご協力をいただいて、拘置所の横山に面会することができた。

 拘置所での面会は、30分と限られている。私は聞きたいことを箇条書きにしたメモを用意していたのだが、本人を目の前にするとさらにいろいろ聞いてみたいことが湧いてきて、メモはほとんど無駄になった。

 穴の開いたアクリル板の前に座って待っていると、向こう側の白い扉が開いて、帽子をかぶった拘置所の職員に続いて、身長190センチに近い短髪の男が出てきた。報道された写真で見るよりも若く見え、頭は正方形に近いような、横長の角ばった顔をしている。

「初めまして、本日はありがとうございます。よろしくお願いします」私は立って一礼した。

 横山も深く頭を下げた。
「渡辺先生から伺ってます。今回の事件を取材されてるそうですね」

「ええ。そうです。私のほかには、記者とかジャーナリストとかいう人が、面会を求めて来てはないんですか?」

「何件か話は来ましたが、すべてお断りしています。世間で僕がどのように言われているか、報道で知ってますから」横山は少し目を伏せた。

 余談になるかもしれないが、面会に当たって私は横山に敬語で接すると決めていた。年齢は私のほうが一回り以上年上だが、初対面であるし、いかに容疑者といえど有罪判決が確定するまでは無罪と推定して扱われるべきで、お互いひとりの立派な成人として言葉を交わすのが相当だと考えていた。

「拘置所での生活は、いかがですか? 不便なことはありませんか?」
 わたしがそう問うと、横山は苦笑して、まるでいたずらが見つかった少年のような笑顔になった。

「いえ、まあお恥ずかしい話、これで逮捕されるのは3回目になりますから、慣れていると言えば慣れてるんです」
 私はつい、横山に逮捕歴服役歴があることを失念していた。私も苦笑するしかなかった。

「事件のあらましは、渡辺先生に聞いています。もう一度、確認しますが、あなたは本当に事件当日、ご自分の意志で合成麻薬は服用していないんですね?」

「ええ、そうです。断言します」

「前回の逮捕、出所からは一度も薬物には手を出してないんですか?」

「仮に手を出してたとしても、イエスとは言えませんよ」横山は振り向いて、うしろに控えている拘置所職員のほうをちらと見た。「でも、本当に決して一度もやってません」

「殺人罪で起訴となりましたが、それに関しては、どのようにお思いでしょうか?」

 横山は少し口を開けたまま、天井のほうへ視線を舞わせた。
 そして、私の目を凝視した。

「たぶん……、というか、おそらく死刑が求刑されるでしょうけど、僕はそれも当然だと思ってるんです」

「え? どういうことですか?」
 横山の言葉は意外だった。まさか無罪を訴える者が、「死刑求刑されるのが当然」とは。

「僕が運転する車が、4人のお子さんを殺してしまったのは、事実です。それは間違いないです。ご遺族のお気持ちは理解できます。僕を殺して気がすむなら、ぜひそうしていただきたいと思っています。たぶん、僕も同じ立場になったら、加害者の死刑を望むと思います。でも……」

 私は次の言葉を待った。私の腕にはめていた機械式時計が秒を刻む音が聞こえてくるほどに、静かになった。

「殺人犯との汚名を着たまま、殺されるのだけはイヤです。僕は人殺しではないです。それはぜったいに譲れません。だから僕は、無罪を主張するしかないんです。遺族の方が、僕を殺したいと発言していることも、知っています。裁判で無罪判決が出て釈放されたなら、僕は自ら、ご遺族のもとに出向いて、この身を気のすむようにしていただきたいと思ってます」

 それを聞くと、私のほうが絶句してしまった。
 私は話題を変えることにした。

「ご家族の方は、面会に来られないんですか?」

「いえ、父母や弟には、前のクスリのときにすでに縁を切られてますから……。今回の事件のことも知っているとは思いますが、連絡はありません。まことに、我ながら親不孝をしたもんです。たしかに僕はどうしようもないクズです。生きる資格はないと思います」

「そんなことを言っちゃ、ダメですよ。渡辺弁護士は今も一生懸命、あなたの名誉を回復するために日々がんばっていらっしゃるんだから」

「……そうですね」と横山は小さく言った。

「先生は、どうにかして、あなたにカフェインと称する薬物を飲ませた人物を発見できないか、全国の運送会社に電話をかけて聞いて回っているそうですよ」

 しかし、その人物の発見は難しいだろうというのが私の本音だ。パーキングエリアに防犯カメラはあったものの、広い駐車場や喫煙所は映り込んでおらず、手がかりは横山の見たドライバーの姿かたちと、行き先が北海道だったということ以外、何もない。それに、違法な薬物を所持していたと自分から名乗り出る者はいないだろう。

 私は横山に、最初に薬物に手を出したきっかけや、出所後の来し方などを尋ねた。すでに書いたように、ガソリンスタンドで働きながら、時給アップのために危険物取扱者乙4類の資格を取得し、その後に大型自動車免許を取るために教習所に通った。

 今の運送会社に就職したのは4年前で、面接の際に社長には自分に前科があることを正直に告げている。

 あっという間に、面会時間は終了となった。
「今日は本当にありがとうございました。できれば、また来て横山さんの話をもっと伺いたいと思いました。何か、差し入れでほしいものは有りますか?」

「ご迷惑でなければ、チョコレートをお願いします」
 横山は椅子から立ち上がると、アクリル板の向こうで深く頭を下げた。

 冒頭、私は「みずからの価値判断は極力避けたい」と書いた。ここまではそれに努めてきたつもりだが、ここに至って、ひとつだけ私の受けた印象を書くことをお許し願いたい。

 横山に面会して、私は彼は決して嘘を吐いていないと思った。おそらく、パーキングエリアで錠剤をもらい、図らずも合成麻薬を摂取してしまったというのは、事実だろう。
 その上で、彼に刑法39条が適用されて無罪となるべきか、あるいは減刑されるべきかは、私には判断できない。

 しかし、その1か月後、横山は事故発生時に心神喪失状態であったという自分の主張を撤回することになった。

平林

 その女性の名を、都合により本名を記すわけにはいかないので、仮に平林麻里としておく。
 平林は当時26歳だった。

 買い物から六畳和室の自宅アパートに帰り、ショッピングバッグから買ってきたものを冷蔵庫に入れていると、インターホンが鳴った。

 玄関に出てみると、見たことのない若い男が立っていた。
 何かの勧誘だろうか、と思っていると、男は強引に和室の中に入って来て、平林の手を引っ張って畳の上に押し倒した。男はそのまま平林の下着だけをはぎ取るように脱がせて、強姦した。

 抵抗して声を出そうとしたが、頸部を強く圧迫されていたため、息もできないくらいだった。
 終わると男はズボンを履き、何事もなかったかのように平然とした様子でアパートを出て行った。

 平林は呆然とする意識のなかで、なんとか気力を振り絞って110番した。
 警察が到着したとき、平林は意識を失っていたという。呼びかけても返事がなかったため、救急車が呼ばれた。

 病院に運ばれ治療を受けているときに平林は意識を取り戻した。生命に別状はなかったが、妊娠5か月目に入っていた胎内の子供は、強姦された際に腹部を強く圧迫されたことが原因となって、流産となった。

 翌週、別の強姦未遂事件で逮捕された男のDNAが、平林の体内に残留していた体液のDNAと一致した。
 犯人は近隣に住む21歳の男だった。


 性犯罪の報道は、難しい。特に被害者が生存している場合は、きわめて慎重に被害者のプライバシーに配慮しなければならないため、事件の内容が克明詳細に報道されることは、まずない。ゆえに、多発する強姦事件について、その悲惨さ悪逆さを本当に知る機会は、驚くほど少ない。

 横山の事件と、この妊婦強姦事件、両方とも記憶している方もいらっしゃるとは思う。しかし、このふたつの事件の関連を知る人は、ほとんどいないのではないか。
 平林は、横山の婚約者だった。


 平林のそれまでの人生について、記しておく。
 平林は18歳、高校卒業すると同時に、15歳年上の彼氏と駆け落ちした。相手の男とは、高校2年の夏休みころからの付き合いだったいう。

 真剣な交際で、結婚も考えていたが、歳が離れすぎているという理由で、両親や親族に反対された。

 両親は相手の男の家に何度も出向き、娘を別れるよう迫っていて、嫌がらせや犯罪に近い行為もやっていた。

 やむを得ず、ふたりは駆け落ちということになった。それまで住んでいたところを離れて、部屋を借りてともに生活するようになった。

 平林が20歳の誕生日を迎えると同時に、入籍した。
 しかし、その後いきなり男ののDVが始まった。男は、「飯の味付けが悪い」や「風呂のお湯が熱い」など、何かと理由を付けて平林を殴った。美容院に行って髪を切った日には、料金がいくら掛かったかなどを聞かれ、金額を言うと「無駄遣いするな」と殴られた。

 顔だけは殴られなかったが、全身に青あざが絶えたことはなかった。
 平林は精神的に男に支配されていた。殴られるたびに土下座をして、涙を流しながら許しを請うた。すべて自分が悪いと思っていた。

 しかしある日、テレビのワイドショーでDVについて特集していて、司会者が「DV被害者・加害者の特徴」というカラフルなフリップを示しているのを見て、全身に衝撃が走るようなショックを受けた。
 そこには、まさに平林と配偶者の男の現状と、まったく同じものが書かれていた。

 自分が被害者であると自覚した瞬間だった。

 その番組で、DVシェルターという、被害者が避難するための施設があることも知った。
 しかし、近隣にそういう施設があるのか、平林は携帯電話もパソコンも持たされていなかったため、調べることができない。

 家を出て、市役所の出入口のすぐ横にある今どきめずらしい公衆電話ボックスに入り、タウンページをめくった。「社会福祉施設」という項目に、「NPO法人ドメスティックバイオレンス救済センター」というのが、隣の市にあるのを見つけると、希望の光を見たような気がした。

 しかし、電話をしようにも1円も持っていない。平林はそのまま徒歩で20キロ以上離れたそのNPO法人に行った。

 NPO法人の代表者の女性は親身になって平林の話を傾聴した。
「もう、家には帰らなくていいですよ。いままで辛かったですね」
 そう言われると、平林は静かに涙を流した。

 DVシェルターには4畳ほどの広さだが個室になっていて、細長い小さいベッドもあり、宿泊できるようになっていた。

 その後、NPO法人と連携する精神科医や弁護士の協力を受けて、離婚協議をすることとなった。

 配偶者の男は平林の行動と主張を容認できないと言ったが、勤務先にDVについての話が伝わることを極端に恐れていたため、離婚理由を「性格の不一致」とすること、慰謝料や財産分与は行わないことを条件として、離婚を承諾した。


 離婚が成立した後、実家に帰るわけにもいかず、行き場のなかった平林は、NPO法人の創立メンバーで役員の、小料理屋を営む夫婦のところに、住み込みで働くことになった。60代の夫婦には子供はおらず、平林を娘のようにかわいがってくれた。

 店は繁盛しているというほど儲かってはいなかったが、顔なじみの常連客が多く安定した売り上げがあり、贅沢をしなければつつましく生活ができるくらいには稼いでいた。

「ゆくゆくは、麻里ちゃんに店をついでもらいたいね。うちに養子に来るかい」大将はよくそんなことを口にした。

 その小料理屋の常連客のひとりが、横山だった。
 当時、平林は23歳で、横山は28歳だった。

 交際を申し込んだのは、平林からだった。しかし、横山はひどく拒絶した。理由を尋ねると、「言いたくない」と繰り返すばかりだった。

 しかし諦めきれず、3度目の告白をしたときに、ようやく横山は、自分に逮捕歴と刑務所に服役した過去があること、故郷の両親には勘当されていることを平林に告げ、
「麻里ちゃんにはもっと、ふさわしい男がいるでしょう。僕みたいな前科者には、近寄らないほうがいい。これまで通り、お店の人と客という関係でいよう」と言った。

 すると、平林も、自分もすでに帰る故郷はないこと、ひどい男にDVされて離婚歴があることを言った。
「スネに傷があるのは、お互い様じゃないですか」
 DV被害者と薬物犯罪者の過去を、同じ「スネの傷」と呼ぶべきかは疑問だが、とにかく、平林と横山の交際が始まった。

 交際開始後、半年ほど経過したところで、平林は小料理屋の勤務は続けながら、間借していた店の二階の部屋を出て、横山のアパートで同棲することになった。

 そのころすでに横山は運送会社で働き始めていたため、横山が朝から夕方までの勤務、平林が夕方から夜12時過ぎまでの勤務と、ふたりの生活サイクルは微妙にずれていた。

 しかし、横山は毎日、平林が帰宅するのを起きて待っていた。
 平林が小料理屋の残りものをもらってきて、それを肴にしてふたりでビールを飲むのが、至福のときだった。

 ここに来てようやく、ふたりは魂の平安を得た。
 当然だが、横山は暴力などはいっさいしなかった。


 しかしその平和な生活も、横山がトラックの事故で逮捕され、中断されることになった。

 平林は頻繁に拘置所に面会に行った。
「私は信じてる。何かの間違いに決まってる。ぜったい、無罪を勝ち取ろうね」平林は何度もそう言って、横山を励ました。

 逮捕後、2か月を経過したとき、面会に来た平林から、横山はあまりに意外なことを告げられた。

「妊娠したらしい」と。
 事故を起こして逮捕される数日前に行った男女の営みにより、新たな生命が誕生したようだ。

 それを聞いて、横山は喜ぶというよりも、困惑を感じた。
 いずれ正式に結婚するつもりはあっても、歓迎してくれる親族もおらず、方や前科者で方やバツイチとなれば、結婚式や披露宴など開けるわけもなく、ふたりとも暗黙の了解として、もし子供ができたらそれをきっかけに入籍しよう、となっていた。

 しかし、ようやく妊娠してみれば、横山は殺人の容疑者という立場に立たされていた。

「もし万が一、裁判に負けたら、産まれてくる赤ちゃんは人殺しの子供ということになってしまう。だから、無罪を勝ち取るまでは、入籍はしないでおこう」
 横山がそう言うと、平林も納得した。


 私は先に、横山と面会したときの様子を書いたが、横山が「殺人者との濡れ衣を着るのは受け入れられない」と言ったのは、こういう事情があったからだった。

「生まれてくる子供のために、人殺しになるわけにはいかない」横山は何度もそう繰り返していた。

心神喪失により、無罪

 強姦の被害者となり、子供を流産した後、間もなく平林は横山が借りている自宅アパートで首を吊って自殺した。

 遺書はなかった。おそらく、遺書を書く気力も失われていたのだろう。
 平林の自殺を報道したマスメディアは一社もなかったので、あの妊婦強姦事件がこのような結末に至ったことを知る人は、ほとんどいないと思われる。

 この件は、すぐに渡辺弁護士を通じて、拘置所の横山に知らされた。
 横山は、
「冗談でしょ?」と言った後、みるみるうちに顔色が青ざめていき、そのまま卒倒した。

 アクリル板の向こうで、拘置所の職員に抱えられて、横山が運ばれていった。その日の面会はそこで中止になった。


 法廷は裁判員裁判になるため、公判前整理手続きが渡辺弁護士と担当検事のあいだで進められていたが、横山が倒れて以降、渡辺氏と横山の意思疎通が以前のようにスムーズにいかなくなっていたため、初公判予定は延期された。

 その後のことは、渡辺氏の口を借りて説明したい。渡辺氏は横山の様子について、私にこのように説明した。

「横山さんは、生きる希望をすべて失って、自暴自棄になっていました。ようやくひさしぶりに面会が叶ったかと思うと、ただでさえ身長が高いから細く見えるのに、もう指の先まで痩せ細っていました。そして、『死刑でいいです』とつぶやくばかりでした。私は、『ヤケになっちゃいけません。なんとしても、無罪を主張して、戦っていきましょう』と言っても、やはり『死刑でいいです』と繰り返しました。そしてその後、私は横山さんから代理人を解任されました。解任するのは横山さんの権利ですから、私にはどうしようもないんですが、私の後任についたのは国選弁護人で……、こう言っては悪いですが、まったくやる気のない人でした」

 新たに就任した国選弁護人のもとで、横山は心神喪失による無罪の主張を取り下げた。

「たぶん横山さんは、死刑という制度を利用して、実質的に自殺をしようと考えていたんだと思います」

 その後始まった公判でも、検察のいう「合成麻薬を摂取し、正常な運転ができなくなることを知りながら、事故を起こして人を殺すことになってもかまわないという、未必の故意による殺人」という起訴事実については一切争わなかった。

「僕は自分の意志で合成麻薬を摂取しました。僕に殺された4名のお子様の無念を思うと、死を以て償うのが当然と考えます。ご遺族の方々に改めて謝罪します。裁判員の皆様、裁判長様、どうか死刑判決をくださるようお願いします」
 判決が下される前の最後の公判で、横山は俯きながらそう語った。


 判決は横山の希望するとおり、死刑となった。横山は高裁に控訴せず、2週間後に死刑判決は確定となった。

 一審判決が出た直後、被害者遺族の浜野氏に電話で話を聞くことができた。
「裁判員の皆様の決断に、感謝したいと思います。ようやくこれで一区切りつきました。横山は最初は否認していたようですが、あんな生きる価値のないゴミクズみたいな人間でも、わずかに良心が残っていたのでしょう。自らの罪を悔いて反省する姿勢を見られたのは、私たちの唯一の救いとなりました。今後は、法務省に対し、一刻も早く死刑が執行されることを望みます」

 浜野氏は当然、平林の事件と横山の関係を知らない。私も思い悩んだ末、結局は告げなかった。


 渡辺弁護士は、確定死刑囚となった横山に、定期的に書簡を発送し続けていた。

 内容は、横山の体調を気遣うものに始まり、
「あなたは死刑になるべきではない。あなたが死刑を受け入れることは、あなたが刑務官に、無罪の人をあやめさせることになる。人に罪を犯させてはいけない。私は今も、あなたが無罪であることを示す証拠を探し続けている。再審請求について前向きに考慮してほしい」というものだった。
 しかし、横山から返事が来ることはなかった。


 そして、判決確定から6年後、横山の死刑は執行された。
 私はそのニュースを昼のテレビ番組で見て、なんともやりきれない気持ちになった。
 死刑執行の翌日、渡辺弁護士の事務所に一通の手紙が届いた。

「渡辺先生。
 ご無沙汰しております。長いあいだ返事を差し上げなくて、申し訳ないと思っています。
 拘置所での生活も長くなり、なんとか暑さ寒さをやり過ごすことにも慣れてきました。

 一度は自暴自棄になった僕ですが、死刑囚の面倒を見てくださる教誨師の先生(浄土宗のお坊さんだそうです)の教えをいただくうちに、たとえどんなに苦しくても生き続けて、僕の事故で亡くなった4名のお子様や、恋人だった平林麻里さんとお腹のなかにいた息子あるいは娘のために祈り続けるのが、僕の責務だと認識するにいたりました。

 再審請求の件ですが、僕も自分でその手続きについて少し調べてみたのですが、わからないことがいくつかありますので、一度、詳しくご教授願えませんでしょうか。
 と言っても、僕には先生のお仕事に対して報いるだけの金銭は所持しておらず、立て替え払いをしてくれる親族もおりません。
 まったく心もとない出世払いの空手形しか差し上げることしかできませんが、それでも引き受けてくださるなら、一度拘置所までご足労願えませんでしょうか。

 今年の夏も暑いですね。お体にお気をつけください。

 横山辰馬 拝」


 封筒の消印を見ると、日付は死刑執行される一日前だった。
 この手紙を読んで、渡辺氏は長い法曹キャリアのなかで初めて、声を上げて号泣したという。


 以上が、横山の事件について私の知っていることのすべてだ。

 果たして横山に償うべき罪はあったのか、あったとして死刑は妥当だったのか、法務大臣の死刑執行命令の判断は間違っていないのか。そして、刑法39条はこれからも効力を持つべきなのか、否か。読者諸賢の判断に委ねたい。

 本来ならここで擱筆すべきだが、末尾に付言しておかなければならないことがある。

 平林を強姦し子供を流産させ、間接的に殺した犯人は、その後強制性交の容疑で起訴されたが、被告の男は知的障害があり精神科への入院歴も複数回あったため、犯行時の心神喪失が認められ、無罪となった。

最後までお読みいただきありがとうございます。