【小説】お好み焼き戦争
約十年前、東京の大学に通っていたころ、広島出身の紗江は、大阪出身の唯志と付き合っていた。
「県民性」という言葉がどれほどの実効性を持つのかは知らないが、それが有効だとしたら、広島人と大阪人の相性はなかなかによろしくないものだと思う。
両方とも個性的な方言を持ち、たとえ日本中のどこに引っ越そうが、その訛りを矯正しようとはしない。
「あしたの日曜、暇やったらどっか行こか?」
「あしたは天気予報じゃあ雨じゃけえ、近所がええ」
首都のど真ん中で、紗江と唯志はこんな会話をしていた。
しかし何よりも両者の対立を深刻にしてしまうのが、お好み焼きについての意識の差だった。いわゆるコナモンの聖地ともいえる大阪では、関西風お好み焼きはたこ焼きと並んでもはや主食と言っていいほど重要なものになっている。
そして広島では、単に「お好み焼き」と言えば広島風お好み焼きのことを指す。
つまり、大阪人と広島人では、「お好み焼き」という単語にて想起される映像が異なっている。
ちなみに広島人に向かって、「広島風お好み焼き」という単語を投げかけると、もれなく嫌な顔をされる。いわゆる「広島風お好み焼き」のみが、「お好み焼き」と呼ばれるにふさわしく、それ以外のものは、お好み焼きに似た何かでしかないというこだわりを持っているからだ。
紗江と唯志が付き合い始めて二か月くらい経ったとある日曜の午前、
「お昼、お好み焼きを焼こうと思っとるけえ、うちに来ん?」と紗江は電話で唯志を誘った。
「ほんま? 俺お好み焼き好きやねん。ほな行くわ。今から行ったらええ?」
「うん」
電話を切ると、さっそく紗江は準備に掛かった。
ホットプレートをテーブルの上に出し、小麦粉を薄く水で溶き、キャベツを糸のように細く千切りにして、ボウルに盛る。もやしを軽く水で洗い、青ネギを小口切り。
イカの切り身、豚肉、たまご、焼きそば麺、そしてお好み焼きソースを冷蔵庫から取り出す。
まもなく紗江の部屋にやってきた唯志は、テーブルの上に準備された食材を見て、
「お好み焼きて、広島風?」と言った。
「広島風というか、ふつうのお好み焼き」紗江は答える。
では早速、調理開始。
温まったホットプレートにサラダ油を薄く引いて、水で溶いた小麦粉を薄く伸ばして円を描く。そしてその上にキャベツの千切りともやしを山のように盛り上げて乗せる。一見多すぎのように見えるほどにキャベツを盛るが、火が通るとかなりかさが縮むため、多すぎるくらいがちょうどよい。
キャベツの上にイカの切り身と豚肉と覆うように乗せると、水溶き小麦粉を散らすように掛ける。
そのまま数分焼いて、コテ二本を生地の下に差し込むと、勢いをつけて手首を動かしてひっくり返す。ジュウ、というような水分が弾ける音がした。
豚肉を乗せたほうの面が焼けるあいだに、その横で、焼きそば麺をほぐしながら焼く。
そばが焼けたら、塩コショウをして軽くソースを掛けてまぜる。
そばを円の形に広げると、横で焼けている生地をコテで持ち上げ、そばの上に平行移動させる。生地をコテで軽く押さえると、ジュウジュウと反応するように音が立つ。
その横にたまごを割って、黄身を軽く潰しながら生地とほぼ同じ大きさの丸い半熟たまご焼きを作る。
そして再び生地を持ち上げ、たまご焼きの上に乗せて焼く。
最後にもう一度ひっくり返し、たまごの白身と黄身がマーブル模様に焼けた表面にソースを塗って、青ネギを散らすと、完成。
豚肉とたまごが油で焼けたにおいと、濃厚な甘いソースのにおいが混ざって、熱とともに鼻腔をくすぐる。
唯志は、紗江がお好み焼きを焼いている様子を興味深そうに見ながら、「さすが、手慣れたもんやなあ」と何度か言った。
焼けたお好み焼きを、コテで真ん中から半分に切って、半分を唯志の皿の上に、もう半分を自分の皿に置いた。
「いただきまーす」と唯志が言った。「俺、今まであんま広島風食べたことないかもわからん」
紗江は箸で自分の皿のお好み焼きをつつきながら、二枚目を焼く。
唯志は「うまい、うまい」と繰り返しながら、紗江の焼いたお好み焼きを食べていた。 二人で二枚のお好み焼きを食べ終えたあと、唯志は手を合わせて「ごちそうさん」と言ってから、
「うまかったけど、関西風のほんまもんのお好み焼きも、悪うないで」と言った。
その台詞がまるでダメ出しをされたように感じて、紗江はさすがにちょっとムッとした。
「ほんまもん」との言い草はさすがにいささか承服しかねる。まるで今自分が作ったお好み焼きがまがい物のようではないか。
「関西風のやつ、あんまり食べたことないけえ、わからん。全部ぐちゃぐちゃに混ぜてから作るんじゃろ?」
「全部は混ぜへんけど。今度、お礼にウチで作ったるわ」
作ったるわ、という言い方も、何か少し腹が立つ。それが「作ってあげるよ」の意味であることは承知しているが。
「大阪の人は、お好み焼きで白いご飯食べるいうて聞いたことあるけど、本当なん?」
「ああ、ほんまやで。まあみんながみんなお好み焼きをオカズにするわけやないけど。ほんまもんのお好み焼きは、ソバを入れずに具を何種類も入れるから、けっこうオカズになんねん」
また「ほんまもんのお好み焼き」という単語が出てきた。
「ほいじゃ、今度ごちそうしてよ。そのほんまもんのお好み焼き、いうやつ」多少嫌味を込めてそう言ったが、
「おう、ええで」唯志はあまり頓着せずにそう言った。
翌週の日曜日、紗江は「ほんまもんのお好み焼き」をいただくために、唯志の部屋を訪れた。
関西風のお好み焼きは、広島風よりもキャベツを荒く千切りにする。そしてボウルの中に入れたキャベツの千切りの上に、天かすと小麦粉を適量入れてたまごを割り入れて水と混ぜる。
「この粘り具合が微妙やねん」お玉でボウルの中身をかき混ぜながら唯志は言った。
そして、スティックシュガーのような包装の何かの口をちぎって、それを生地のなかに入れた。
「今の、何なん?」紗江が訊いた。
「ああ、だしの素。ほんまは生地は水じゃなくて出汁で溶いたほうがええねんけど、さすがに男の一人暮らしで昆布出汁やかつお出汁取るのもめんどいし。ほんまもんのお好み焼きは、出汁の味が効いてるから、うまいねん」
温まったホットプレートにサラダ油を引いて、広島風よりもはるかに粘度の高い生地を、ふたつぶんホットプレートの上に広げる。
そしてその上に、小エビとイカと輪切りにした竹輪、そして冷凍のベビーホタテの貝柱を乗せて、その上から豚肉を広げて乗せた。
「ふだんはホタテはあんま使わへんのやけど、昨日スーパー行ったら安売りやったから」
塩コショウをふりかけ、適度に焼けたところでひっくり返して、豚肉の面を焼く。そして焼けたら再びひっくり返して、お好み焼きソースを塗り、その上からマヨネーズを適量掛ける。
そして、紅ショウガを乗せ、青のりと削り節をふりかけて、完成。
熱の上昇気流で、薄い削り節がまるで手招きをしてるかのように揺れている。
食べ終えた後、
「どや、うまいやろ?」と唯志が言った。
もちろんまずくはない。麺がないぶん炭水化物要素は少なめで、野菜やシーフードがたくさん入ってるので、おかずにならなくもない。
しかし、やはりこれを「お好み焼き」と言われると、違和感がある。
「でも私はやっぱり、ふつうのお好み焼きのがほう好きかもしれん」と紗江は言った。
「ふつうて、なんやねん。これがふつうやろ」
「ふつうっていうか、食べ慣れとるほうが」
「はあ、やっぱそういうもんかねえ」
いわゆる広島風お好み焼きを作るのは、そこそこのスキルが要求されるが、関西風ならそれほどでもない。調理の工程が少ないぶん、時間も短くてすむ。また、家庭用のホットプレートだと、広島風は生地と麺を広げるスペースを要するために、一回に一枚ずつしか焼けないが、関西風だと同時に二枚を平行して焼ける。
関西風にそういう利点があるのは、唯志が焼いている様子を見ながら紗江も納得した。
しかし、やはり手間暇かかるぶん、広島風のほうが味は上だ。これは譲るわけにはいかない。
お好み焼きが原因でまさか角を突き合わせて喧嘩をするわけにもいかないので、
「ごちそうさまでした」と言ってその場は収めた。
お好み焼きの好みが合わぬ。洒落にもならないと紗江は心の中で思い、少し苦笑した。
あれから十年以上が過ぎた。
土曜日の午前十時前、紗江は広島駅前に向かっていた。小学生の息子の颯太は朝早くから地域のサッカー教室に行った。両親は二人でミュージカルを見に行き、帰りは夕方になるらしい。
ひさしぶりに紗江は唯志と再会することになった。
紗江が大学四年になったとき、ひとつ年上の唯志は製薬会社に就職した。紗江は卒論に忙しく、会社で新人研修を終えた唯志は故郷である大阪支社に勤務することになった。
ただでさえ会う時間を取れなくなっていたのに、その上遠距離恋愛ということになった。
いつの間にかメールや電話をやり取りする機会も徐々に減っていき、ふたりの関係はほぼ自然消滅という形になっていたが、決定的になったのは、紗江が折り畳み式携帯電話(いわゆるガラケー)を失くしてしまったのをきっかけに、携帯電話キャリアを変更したことだった。
当時は携帯会社を変更しても同じ電話番号を使えるナンバーポータビリティのサービスは開始されておらず、唯志の携帯電話番号やメールアドレスを記憶していなかった紗江は、唯志と連絡する手段をガラケーと一緒に紛失してしまった。
もちろん、なんとか唯志の連絡先を知る手段はあったのだろうが、紗江は積極的にそれを探そうとはしなかった。
ふたりがふたたびコンタクトを取ることになったきっかけは、ここ何年かのあいだに一気に普及したSNSだった。
最近は、ママ友やご近所の知り合いと大手SNSサービスを通じて情報交換することも多いため、必須のツールとなっていた。
SNSには最終学歴や出身地などを入力する必要がある。そしてその情報をもとに、「知り合いかも?」という欄に、誰かのアカウントが提案されていたりする。
そのうちのほぼ全てが知り合いではない人なのだが、ある日紗江は、「知り合いかも?」に、「高岡唯志」という名前のアカウントが顔写真付きで出てきた。
懐かしい気持ちもあり、軽い気持ちでフレンド申請すると、その日の夕方には申請は承認された。そしてふたりはひさしぶりに互いの近況報告などをメッセージを通じて行った。
そうやってやり取りをするうちに、「来月はじめの土曜、ちょうど広島出張になるから、よかったらひさびさに会わへん?」ということになったのだった。
昔の恋人に会うというのは、不思議な感覚だ。憎しみ合って別れたのではなく、互いの多忙によりなんとなく会わなくなった相手というのは、まるで旧友との再会のような気分になる。
SNSで最近の顔写真は見たものの、はたして十年会ってない相手をきちんと識別できるだろうか。また、相手は自分の顔を覚えているのだろうか。
そんなことを考えながら、待ち合わせに指定された場所で待っていると、
「おう、おまたせ」と横から声を掛けられた。
そこには、昔とぜんぜん変わっていない唯志の姿があった。もちろん歳をとったぶんだけ外見は変わっているはず。でも、変わっているはずなのに、変わっていない。
不思議と、懐かしいという気持ちも湧いてこない。ただ会わずにいる期間が長く続いて、それがたまたま今日終わったというような感じ。おそらく、いつか何らかの形で再会する予感をずっと感じていたのだろう。だから、焦りや不安がないと同時に、懐かしさもない。
「どうも、おひさしぶり」と紗江は言った。「とりあえず、あっちにドトールがあるから、行こうか?」
店に入り、コーヒーを注文した。
そして、紗江と唯志は向かい合わせに椅子に座って、これまでの来し方などを報告し合った。
紗江は大学卒業後、東京の広告会社に入社して働いていたが、26歳のときに妊娠したことをきっかけに結婚して、子育てに専念するために退社した。
しかし、結婚後に配偶者との埋めがたい性格の不一致が発覚したため、子供が産まれた二年後に離婚することとなった。女が東京でひとりで子育てをしながら日々の糧を得るのは極めて難しく、やむを得ず実家がある広島に帰ることになった。
平日の子供の面倒は母親(子供から見れば祖母になる)にまかせ、広島で地方新聞傘下の出版社に事務職として勤務するようになって、今に至っている。
SNSでメッセージをやり取りしているあいだに、唯志にもすでに離婚歴があるということは紗江も知っていたが、直接話を聞いてみると、驚いたことに唯志はバツ2だった。
28歳で結婚したが、製薬会社のMRだった唯志は接待などで帰宅が夜遅くなることが多く、配偶者とすれ違いが多くなり、離婚。そしてその三年後、ずいぶん年下の女の子と結婚したが、相手の不倫が発覚して離婚となった、ということだった。子供はいない。
唯志はコーヒーを飲みながら、照れ臭そうに後頭部に手を当てて、
「お互い失敗した身やけど、二回失敗してるぶん、俺のほうが上やな」と言った。
「上て……、自慢するようなもんでもないじゃろ。数が多いけえ立派いうもんでもないし」と紗江は言った。
「せや。俺、大阪の支社に行くようになってから、昔の知り合いに変なこと言われるようになったんや。『お前のしゃべり方、ちょっと訛ってへんか?』みたいなこと、複数の人間に指摘されて」
「え? 『訛ってへんか』いう言い方が訛っとるんじゃ?」
「いや、そういう意味やなくて、イントネーションが広島弁っぽいて言われんねん。自分ではようわからんのやけんど」
それを聞いて、紗江は腹を抑えて笑い出してしまった。唯志はその姿を見て、きょとんとしている。
広島に帰ったばかりのころに、母が紗江にこんなことを言った。
「あんた、東京に行って、てっきり標準語になって帰ってくるんか思っとったら、なんで関西弁になるんよ。たまに『ほんまか?』とか『せやねん』とか言いよるけど、自分で気づいとるん?」
たしかに、付き合っていたころに唯志から紗江にうつった関西弁が、今でもたまに出てしまう。しかし、訛りがうつったのは自分ばかりではない。紗江から唯志へもうつっていて、ふたりともそれがいまだに抜けきっていないらしい。
「昨日の夜、出張先のクライアントに、広島風お好み焼き連れて行ってもろたんや」そう言って唯志は、とある店の名前を挙げた。
観光雑誌などには必ず紹介されている有名店だが、混雑しているわりにはそれほどおいしいというわけではなく、値段も少し高いため、地元の人間はあまり行かずもっぱら観光客だけを相手にしたような店だ。
「本場で食べるもんはうまいんかと思とったけど、あれやったらむかし紗江が作ってくれたほうがうまかった気がするな」営業トークのようにお世辞を言う。
「でも、関西風のが好きなんじゃろ?」紗江がそう訊くと、
「うん」唯志は平然と言った。
学生のころ、あれから何度か互いの部屋を訪れてお好み焼きを作って食べるということをやったが、唯志は「ほんまもんのお好み焼き」しか作らなかったし、紗江もどんなに手間がかかっても、依怙地になって「ふつうのお好み焼き」しか作らなかった。
まるで「お好み焼き」の正統性を主張するように、両者とも自分が作るお好み焼きのほうがおいしいという主張を取り下げることはなかった。
「今日の夕方に新幹線で大阪帰んねんけど、空いてるんやったら昼ごはん一緒に食べへん?」唯志が言った。
「あ、ごめん。お昼に息子が帰ってくるけえ。買い物して帰らにゃいけん」
「そう」と唯志は短く言った。
十一時過ぎまでコーヒー屋でふたりで話をし、また機会があったら会おうという曖昧な約束だけをしてふたりは別れた。
スーパーで食材を買って家に帰ると、お昼十二時を過ぎていた。息子の颯太はまだ帰ってきていないが、間もなく泥と汗だらけになったユニフォームを着てサッカー教室から帰ってくるだろう。
両親は出掛けていないので、お昼にはふつうのお好み焼きを作るつもりでいたが、少し手間がかかるので、腹を減らせた颯太を待たせることになるかもしれない。
インスタントのラーメンに適当に野菜を入れてごまかそうか。そう思いながら冷蔵庫を開けると、先日安売りになっていたベビーホタテを買っていたのを思い出した。
「ほんまもんのお好み焼きっていうやつ、作ってみようかな。あれやったらそんな時間かからずできるし」
むかし唯志がやっていたのを思い出しながら、キャベツを荒く千切りにし、小麦粉とだしの素と混ぜる。
温まったホットプレートにサラダ油を引いて生地を広げ、豚肉とホタテを乗せて、塩コショウをする。
両面焼けて再びひっくり返し、ソースを塗っているところで、
「ただいま」という玄関からの声が聞こえてきた。
「ごはんじゃけえ、着替えて手洗ってきなさーい」を紗江は玄関のほうへ向かって大きな声を出した。
「はーい」と颯太が返事をした。
ダイニングテーブルに着席した颯太は、ホットプレートの関西風お好み焼きをじっと見つめて、踊る削り節を興味深そうに眺めていた。
「いつものとは違うお好み焼き、作ってみた。むかし、お母さんの知り合いが作り方教えてくれたやつ」紗江は説明するように息子にそう言った。
家庭ではもっぱら広島風お好み焼きしか作らないので、そういえば颯太は関西風は初めてだったかもしれない。
「焼きそばは入ってないん?」
「関西風のは、入れんことのほうが多いんよ。入れる場合もあるみたいじゃけど」
箸で一口食べた颯太に、
「どう? おいしい?」と訊いた。
すると息子は、
「おいしいけんど、僕はふつうのお好み焼きのほうがええ」と言った。
「ほんまか?」
紗江はそう言って笑顔になり、小さく勝利のガッツポーズをした。
了
※筆者は大阪出身でも広島出身でもないです。的外れなこと書いてたらごめんなさい。
最後までお読みいただきありがとうございます。