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イヤホンの中は自由

1946年公開のディズニー映画「南部の唄」。

1946年と言えば日本は戦争が終わった翌年。

戦後の混乱期、と呼ばれていた頃だろう。

日本は今でも「戦時中どのように暮らしてた」と当時の慎ましいエピソードなどが全国から語られているが、一方その頃アメリカでは余裕しゃくしゃくで映画製作に勤しんでいたのかと思うと、なぜそんな国に対して勝てる見込みを抱いたんだろうと自国への疑問が湧き上がる。

日本でも80年代ファッションや、最近はy2kファッション(無理して使ってみる)と言われたりするが、アメリカでは1920年代にもファッションの流行があったとかで、もう100年経っているため「何十年代ファッション」という言葉の使い方ができなくなっているらしい。

日本では考えられない話だ。




国単位の余裕にここまで差があったのか、と記事やテレビの報道特集を目にするたびに毎回打ちひしがれる。

それは個人的に、僕の祖父母4人が、10代の一番楽しい時期を全部戦争に奪われていた過去があるからこそ、4人の血を引く僕自身もただの疑問で終わらずにはいられず、疑念、不信感、と良くない連鎖に巻き込まれそうになる。

もちろん、ただ平和に生きていたいので、良くない連鎖に巻き込まれるつもりは一切ないが。

学校の卒業旅行でディズニーランドに行って、友達とスプラッシュ・マウンテンに乗ったことは今でも覚えている。

だが今の今までスプラッシュ・マウンテンというアトラクションがその「南部の唄」というディズニー作品をモデルに建設されたことなど知りもしなかった。

この曲を聴いて、スプラッシュ・マウンテンに乗った時の記憶がさらに鮮明に呼び起こされた。懐しい。

「南部の唄」という作品が黒人差別的であると強く批判されたことでアメリカのスプラッシュ・マウンテンは閉鎖されているが、ひょっとしたらこの「Zip-a-Dee- Doo-Dah」という陽気な曲も、歌ってはいけない風潮になってしまうのだろうか。

日本でも、ヒット曲だけど歌手が捕まったから、主題歌だった映画のメインキャストに大きなスキャンダルがあったから、という理由でCD販売が中止されたり、話題に上がらなくなってしまった楽曲が世の中にいくつか存在する。

音楽が好きな僕にとっては悲しい話だが、そんなの一人でひっそり聴いていれば良いんだ。



差別に対して鈍感なこの国は、まだまだ「差別性が強いから」という理由で淘汰される楽曲が少ないのは皮肉な話だ。




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