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私事 1994年の憂国忌(3)

(2)につづく

鈴木の縁で参加したイベントで、その世界でおそらく大物と見られる男性から変に期待の言葉をかけられた小生たちだったが、当然右翼の活動に傾倒するようなことは一切なかった。ただ、鈴木のおかげで知らない世界をのぞけたことは、良い機会だった。時は流れて、ネット社会になり「ネトウヨ」と呼ばれる存在も出現するようになったが、当時実際に活動に携わっている人を見た感覚からいえば、ネトウヨの存在など、ただの空気だな、というのが率直な感想である。学生時代に鈴木を通じて、接したことのある人物で忘れられないのが、塩見孝也である。塩見は学生運動が隆盛だった69年、「共産主義者同盟赤軍派」を結成し、その議長として名を馳せた。

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