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(イベントを)走れメロス

メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の運営を除かねばならぬと決意した。メロスには経済がわからぬ。メロスは、貧乏な大学生である。課金をし、ソシャゲと遊んで暮らしてきた。けれども、邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

メロスには推しキャラがいた。そのキャラは、近々、花嫁衣装で限定ガシャを迎えることが予想されていた。メロスは、それゆえ、喜びを分かち合うためにはるばるTwitterにやって来たのだ。

メロスには竹馬のフォロワーがいた。セリヌンティウスである。同じ推しを愛し、noteでお気持ちを表明している。そのアカウントを、これから訪れてみるつもりなのだ。


Twitterを見ているうちにメロスは、クラスタの様子を怪しく思った。ひっそりしている。のんきなメロスも、だんだん不安になってきた。適当な同担をつかまえて、何があったのか、少し前までは深夜でも皆が怪文書を垂れ流し、界隈は賑やかであった筈だが、と質問した。彼は同担を拒否し、答えなかった。しばらくTwitter検索をし古参に逢い、こんどはもっと、攻撃的な調子で質問をした。

「運営は推しが報酬のイベントを始めます」
「なぜ始めるのだ」

「ユーザーから金を巻き上げよう、というのですが、誰もそんな、諭吉を持っては居りませぬ」

「たくさん課金させようとしているのか」

「はい。はじめは報酬イベントを。それから、限定ガシャを。それから衣装ガシャを。それから推しが歌う楽曲を。それから神アプデによる追加ボイスを。それから別のキャラの背景映り込みを」

「おどろいた。運営は乱心か」
「乱心です」

聞いて、メロスは激怒した。「呆れた運営だ。生かして置けぬ」
メロスは単純な男であった。のそのそコンビニにはいって行った。たちまち彼は、周辺一帯のコンビニから買えるだけプリペイドカードを買った。その数が異様であったため、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、運営の前に引き出された。

「このカードで何をするつもりであったか。言え!」運営は静かに、けれども威厳を以て問い詰めた。

「推しを運営の手から救うのだ」

「おまえがか?」運営は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの意図がわからぬ」
「言うな! 無闇に課金欲を煽るのは、最も恥ずべき悪徳だ」

「課金させるのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。もっと供給をくれと言っていたはずだ。人間は私欲のかたまりさ。信じては、ならぬ」
「なんのための金だ。自分の私腹を肥やすためか」こんどはメロスが嘲笑した。

「だまれ、下賤の者。口では、どんな清らかなことでも言える。わしには、人の心の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、今に、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ」

「私は、ちゃんと死ねる覚悟で居るのに。ただ、―」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに一週間の日限を与えて下さい。推しのイベントを走りたいのです。一週間のうちに、私はイベントで上位1000位以内に入り、必ず、ここに帰ってきます」

「ばかな」と運営は、嗄れた声で低く言った。「ばかな」もう一度言った。

「信じられないならば、よろしい、同担にセリヌンティウスというユーザーがいます。私の唯一無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。あれは無課金で、イベントを走るつもりは無い。私が逃げてしまって、一週間目の日暮まで、ここに帰ってこなかったら、あの友人のデータを消して下さい。たのむ、そうして下さい」

運営はそっとほくそ笑んだ。
「願いを、聞いた。その身代わりを呼ぶがよい。一週間後には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代わりのデータを消すぞ」

竹馬のフォロワー、セリヌンティウスは、深夜、本社に召された。運営の面前で、佳き友と佳き友は、久しぶりに相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは嫌そうな顔で首肯き、二人は距離を置いた。
メロスは、すぐにイベントを走り出した。


すぐに走り出せば、1000位以内には十分間に合う。あの運営に、私のキャラ愛の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台の上に上ってやる。メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、矢の如く走り出た。

若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。キャラの名前を大声で叫んで自身を叱りつけながら走った。夜を徹し、目と指を酷使して、イベントの後半戦になった頃には、生活習慣の乱れによって体調を崩していた。


ここまで来れば大丈夫、なんの気がかりも無い筈だ。このままのペースを保っていれば、それでよいのだ。私と同じ苦しみを味わっている同士も多いことであろう。そんなに急ぐ必要も無い。持ち前の呑気さを取り返し、推しキャラの楽曲をいい声で歌い出した。
六日目、降って湧いた災難、メロスの指は、はたと、止まった。見よ。ポイントランキングを。運営の暴挙に怒りだした同担が自棄になって走り出し、滔々と上位に集い、エンジョイ勢や微課金勢を跳ね飛ばしていた。
彼は茫然と、立ちすくんだ。メロスは男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。

「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを!」

濁流が如きユーザーの追い上げは、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく走り狂う。そうして時は、刻一刻と消えて行く。メロスも覚悟した。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。

なんのこれしきと掻き分け掻き分け、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐憫を垂れてくれた。
ぜいぜい荒い呼吸をしながら追い上げ、上位陣に追いつき、ほっとした時、突然、目の前に母親が躍り出た。

「待て」
「何をするのだ。私は明日までのイベントで1000位以内にはいらなければならぬ。放せ」

「どっこい放さぬ。明日はサボらず大学に行け」

「気の毒だが、推しのためだ!」と馬耳東風、傍若無人、たちまち、部屋に引きこもり鍵をかけ、最後の力を振り絞った。

流石に疲労し、幾度となく目眩を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ指を動かし、ついに、仮眠を取ることにした。立ち上がることができぬのだ。天を仰いで、アラームを設定し、四肢を投げ出し、うとうとと、まどろんでしまった。

目が覚めたのは最終日の昼頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過ごしたか、いやまだ間に合う、とスマホを拾い上げ、猛然と走り出した。私は、信頼に報いなければならぬ。今はただその一事だ。走れ! メロス。

最後の死力を尽して、メロスは走った。さらに、メロス自身も、本社に向けて走った。運営に、自身の愛の深さを、人の覚悟の強さを、見せつけるためである。まだ陽は沈まぬ。
歩きスマホをし、電車の中でプレイし、ただ、推しのボイスに引きずられるように走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も消えようとした時、メロスはゲームでも現実でも疾風の如く走り抜いた。イベントの終了時刻となった。

「私だ、刑史! メロスだ。その男を人質にした私は、ここにいる!」

社員たちは、どよめいた。あっぱれ、ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスのスマホの縄は、ほどかれたのである。

「セリヌンティウス」メロスは眼に涙を浮かべて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに」

言い終えぬうちに、セリヌンティウスは、部屋一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。

運営は、二人の様子を、まじまじと見つめていたが、やがて二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みは叶ったぞ。しばらくは、限定ガシャを連発するのはやめる。キャラ愛とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしを仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、お前らの仲間の一人にしてほしい」

どっとユーザーの間に、歓声が起った。

「万歳、運営万歳」






メロスの順位は、1001位だった。

勇者は、ひどく青ざめた。

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