休み明け 働きたくない
休み明けは働きたくない気分がマックスになる。怠慢と言われたら身も蓋もないが、金稼ぎに興味がない(簡単な計算もできない)。そもそも労働に対して熱意や意欲がない。しかしこの熱意や意欲がないというのは恐ろしい側面がある。極めて淡々としているのでかえって長続きする。勤続可能となる。変化を嫌う惰性の力というのは侮れない。ぬるま湯の中で慣らされたカエルは、徐々に水温が上がっても、そのことに気付かずに茹で上がって死んでしまうという。雇われの身であれば誰でも一度は心の片隅で「茹で上がる前に逃げよう=危なくなる前に職場を離れよう」と考えるのではないか。ただ声に出さないだけで。年末年始に体調不良(という名の慢性疲労)が表面化したので、やはり労働は身体に良くないと感じる。なるべく労働しないに越したことはなく、いま一番賢い生き方は、労働を極力避けた生き方なのでは。そんなことを正月明け、間違って乗車した各駅電車の中でつらつら考えていた。電光掲示板をよく見ないので電車を乗り間違うことが多い。まあそればかり考えていたわけでもなく、オンラインショップで欲しい本をカートに入れたりしていた。だいたい、ながら作業をしたりトイレで考え事をすると「俺は天才なのか?」とはっとすることがあるが、このように冷静に文字にすると全く大したことがない。というか本当に休み明けの労働がかったるい。この簡単に癒えない悲しみは本を読むことで解消しようと思います。あと、昨年は10万円ちょいだったGR(欲しいカメラ)が、今年の1月は12万円を超えていて、悲しい。気軽に手を出せない額になるばかり。株価は見ていないけれどGRの価格変動はいつも見守っている。値上がりしてもいいけれど比例して給料も上がって欲しい。悲しい。もう日本って終わりなんだな…と思うが、別に今までが狂っていただけで、誤魔化し誤魔化しでやってきただけなのかもしれない。ネーネーズの「平和の琉歌」は、「この国が平和だと 誰が決めたの?」という歌詞から始まる。「平和ボケ」というすごい言葉を聞く度に思い出す。
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Twitterを一時的に辞めてみたら何となく調子が良いのでこのままで良いのかもしれない。
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そういえば大学生くらいの頃、流行していたmixiが嫌になり、でもブログをやりたくて限られた友人しか見ていないブログをやっていたのを唐突に思い出した。確かそのアカウントは消してしまった。今とやっていることが変わっていない。
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