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一瞬の思い出

高校受験が終わると暇になった。それまで部活や受験に追われていた。中学3年生の短い春休みは時間にゆとりがある夢のような時期だった。井上靖の「しろばんば」を読んでみた。暇で本が読めるという状態は、いいもんだなと思った。他にやることもなかったので純文学と言われる作品をいくつか読んだ気がする。そのうちに夏目漱石の「こゝろ」を読んだ。暗い話だなと思った。進学した高校は校則がやたら厳しかった。廊下を歩いていたら突然、現代文を教える教諭に呼び止められた。私は大人しい生徒だったと思うが、上履きの踵を踏み潰してスリッパのようにしたりスカートの丈を気持ち短くしていた。その程度だったが、教諭から呼び止められることがあった。呼び止められたのでとりあえず硬直した。「今日は怒るのではない」と前置きされた。えっ、と思ったら「この間あなたが提出した『こゝろ』の小論文が良かった」と急に褒めてくれた。私は嬉しいというよりも、これ以上何も言われたくないと思い、そそくさとその場を退散した。当時若かったその女性教諭は怒ると怖く、いつも地味な色のパンツスタイルだった。今思うと、彼女も学生から舐められないように気を張っていたのかもしれない。あの意味不明な校則や生徒を上から押さえつける指導体質さえなければ、もう少しまともに話ができたのかもしれない。無意味な校則も「仕事だから」と割り切っていたのだろうか。自分ならできると思う。割り切ってしまうのは得意だ。でもそれで見えなくなってしまったものも多分たくさんあった。いつも正義の側に振り切れない。振り切れないからどろどろと考えて迷う。

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