ないものねだりの人生

大人になった今、高校生の頃を思い出して、それに対して思うことがある。

私も放課後、帰り道を楽しみたかった。

田舎に住んでいた。高校は1番近い公立高校だった。そもそも、さして選択肢がなかった。

電車通学だった。高校から駅までの帰り道、あるのは本屋と小さなマクドナルド。寄り道じゃなくて、電車が来るまでの待ち時間の暇つぶし程度のものしかない。電車は1時間に1本。数分の差で乗れなかったら、親にお迎えに来てもらった方が早い。そんなレベル。数駅乗ったとしても何もない。どこにも行けない。

当時は考えたこともなかったし、迎えに来てくれる親に感謝している。けれど、生まれた地が違かったらもっと楽しみを、なんて。あるはずもない幻想に惑わされてしまう。

現在に不満があるからそんなことを思ってしまうのだ。わかっている。でも。

帰り道に友達とお買い物、とか憧れるしかないじゃない。何で私はその選択肢をもらえなかったの、なんて思うのはわがままなのでしょう?

無能なわたしは今もこの地に暮らして、変わらぬ不満も抱いている。結局無能だから何も出来ずに文句ばかり言っているのだ。だって、都会じゃ通用しないから。
言い訳に言い訳を重ねて正当化したい。クソ人間。

今あるものを大切にして、育てられない。それが私の人生。わかっている。出来ないのにないものねだり。どうすればいいの。頑張りたくない。いいよもう、死にたいの。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?