【ブログ】 『映画ポケットモンスター ココ』 観に行きました 感想とガチ考察 どうよ?って人へ(前半ネタバレ無し)
こんばんは。クロシオです。
観 に 行 っ た 方 が 良 い 。
まーーーー良かった。
私はポケットモンスターというゲームをそりゃあもうやり込んでるんですが、アニメや映画はそこまで興味ないんですよ。それゆえ映画もほとんど観に行ってない。
直近では2016年公開の『ポケモン・ザ・ムービーXY&Z ボルケニオンと機巧のマギアナ』を十数年ぶり観に行ったけれど、正直私としてはイマイチな印象だったのを覚えている。
しかし昨今、直近2作くらいのポケモン映画の評判が良いのを覚えていたのもあり、公開初日の今日、思い付きで行きました。正直、以前の印象からそこまで期待せずに。
まーーーー良かった。(何回でも言える。)
という訳で今回は、「劇場版ポケットモンスター ココ」の感想記事となります。
しかし、下手に書くとネタバレや雰囲気バレになってしまうので、それが嫌な人のために、章を分けて書こうと思います。
上の目次から飛んだり、このまま順番に読むだけならネタバレ・雰囲気バレ前にストップ出来るように書いておりますので、みたい所まで読んで下さい。
ではどうぞ。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【1】『ココ』大雑把な感想、オススメの章
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ネタバレ・雰囲気バレ 出来る限り無しです。
とりあえずここでは2点だけ伝えたい。
1点目: ポケモンほとんど知らなくても楽しめます。
●主人公のサトシ
●相棒のポケモンピカチュウ
この2キャラだけ分かっていればマジで大丈夫です。ポケモンにも全然詳しくなくていい。
「ポケモン」というコンテンツや、ゲームや、ワザなんかに詳しくなくても大丈夫。最新の登場ポケモンの知識なんかもいりません。そういった要素も当然出てくるけれど、それらを知らない事でこの映画を観るに当たりネックになることは無いはず。安心して観に行きましょう。
是非行こう。
明日行こう。
そしてポケモン剣盾もついでにやろう。面白いから。
いつかポケモンの魅力記事も書きます。
では次。
2点目: 軽い気持ちで観に行って良いです。
公式のPRも「親子の絆!エモみ!」というアピールを感じるし、私が先程Twitterでざっくりと調べた感じでも、そのような方向の感想が多いです。
明日以降もきっと、色んな考察や感想が溢れると思う。
それらが目に入って、「ああ〜そういう重い感じかー。軽い気持ちで観に行くのは辞めとくかな~」と思うかもしれない。
いいや!!軽い感じで観に行って良い!
全然大丈夫です。
次の雰囲気バレありの章でもう少し踏み込んで書きますが、ワクワク、熱さ、観やすさがちゃんとあります。むしろそこがガッツリあります。
だから、「やる事ないからサクッと観に行くかー。」とか、「なんかスカッとしたいなー」とか、適当な気持ちで全然大丈夫。
軽い気持ちで行きましょう。ほら、明日のチケット取りな!!
年末年始やることないでしょ!
実家帰って来たのはいいけど親の話相手するの面倒なそこの貴方!!!
映画を口実に外に出て観に行ってきなさい!!!
では、次の章です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【2】少し踏み込んだ、『ココ』 Q&A
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
さて、ここからは「雰囲気バレ」有りでの感想。
映画を観に行く前の人も、ここまでは読んでもいいと思います。
「どんな感じで、何がいいの?雰囲気を教えて!!」
「でもネタバレはしないで!」
という、多少無茶な質問をしたい貴方へ。
なるべく雰囲気だけお伝えしますので、Q&A形式でどうぞ。
(※見たくない人のために少し空白空けます。)
(※うちのカビゴン可愛いでしょ)
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Q1. 泣ける?
A1. 泣けもする。
私も結構危なかった。目に涙が溜まりはした。3回くらい。一緒に行った人は泣いてた。
公式のCMなどで判る部分として、「親子の絆、感動」という部分がザックリ出ていると思う。(そりゃ当然ですが、)それがまずあります。
感動の理由を一言で表すと、「親子愛」と言う3文字にやっぱりなるのですが、その3文字だけでは言い表せない、キャラクターへの細かい感情移入ができる部分というか、表現が丁寧にされています。勝手なイメージですが、この「感動」の部分は私のような20代後半~30代の人間に刺さる気がします。
いやー良かったよ。ポケモンと人間という、目でわかりやすい対比だけじゃない部分が、凄く丁寧に映ってました。ジンワリと響きました。
しかし!それだけじゃない!
ここまで読んだそこのあなた、折角だから次のQ2.までは読んでいってね。
Q2. ワクワクドキドキする?
A.間違いなくする。むしろ過去一熱いと思う。
過去のポケモン映画をほとんど観てない私が言える事ではないかも知れないけれど、マジで熱い戦いがあります。個人的には「感動する」よりもこちらの「燃える」の方が自信持って言える。
ディズニーの「ベイマックス」という映画が日本で公開された時、「暖かい絆」みたいな方向性でCMしてた時の事、わかる人いるでしょうか?蓋を開けてみたらガッチガチの熱い戦闘アニメ映画だったんですよ。もちろん暖かい要素もあったけれども、熱い部分がその2倍ある。なぜ感動方面だけで広告してたのか、と思うくらい熱かった。
今作の「ココ」のPRは、少しそれに近い部分を感じる。
というより、ベイマックスと違い、感動部分と釣り合うレベルの熱い部分がある。エモさだけで売るのはもったいない。という感じです。
これ以上踏み込むと「ネタバレ」に片足を突っ込み始めるので、この位で留めて置きますが、少なくとも私のようなアラサーも楽しめる戦闘があるので、何を言っても結論、観 に 行 こ う ! !
と言う感じ。
では、次の章は完全ネタバレ感想になりまーす。
(※うちのカビゴン可愛いでしょ。めっちゃいるのよ)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【3】ガッツリ踏み込んだ、『ココ』 感想(※以下ネタバレあり※)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ではではここから先は、ガチ感想・ガチ考察のコーナーなので、映画観に行った人だけ読んでください。
一応少し空白も空けておきます。
(カビゴン以外もいるよ)
★感想その①
親心
この映画の魅力は、『息子 ココの成長』30% 『父ちゃんザルードの成長』70%じゃないでしょうか。父ちゃんザルードのキャラ設定が詳細なんですよね、多分。
「親子愛」なんて言うのは、正直今の私には疎いものです。しかし、この作品、私自らが親に「なってしまった時」に何を思い浮かべるだろうか?という事を、ザルードというポケモンを通して投げかけてくれている気がします。
ポスターに出てくるピンクのスカーフを巻いたポケモン、通称『父ちゃんザルード』は、「父親ってなんだろう」という疑問を常に持っていたポケモンです。その一つの答えとして、「子の為にすべてを投げ捨てられた生き方」が、父親なんだという自分を許す瞬間があります。ぶっちゃけこのシーン自体も本当に泣きかけました。一番やばかった。
そして観終わった今振り返ってみると、もう一つ「良かったな」と思えるシーンがありました。
物語の途中、息子のココが「自分は人間である」ということを知り、その事実を父ちゃんザルードが隠していた事を責めるシーンがあります。
テレビドラマなんかだとこういうシーン、次の展開として、父親が「息子、お前のためを思って黙っていたんだ」という曖昧な旨の返答が、本意でなくとも「上から」「親という上の立場から押し付けるように」来るイメージがあります。それは、人間感情として、親であっても一人一人が弱い人間であるが故、冷静な判断よりも親自身の我儘や押し付けが先に出てしまう、人間臭さを表現するようなシーンです。
しかし、父ちゃんザルードは、
・知ってる事、知らない事を冷静に伝える
・この先どうするかの選択肢をまず、息子に与える
という形を取ります。
この選択は、
・『息子ココ』を「人間という別種」や「下の存在」として見ていない
・「本物の父親ではない」という自覚があるからこそ、『息子ココ』を縛る資格はない
という心の現れではないかと思います。
…心が美し過ぎる。
このシーン、「親子とは上下関係じゃなく対等な関係である」「自分の欲もあるけれど、息子の意志優先」「自分の欲だけ押し付けても、息子の心は傷ついたままだろう」という細かい意志がこういった行動、セリフ、表情につながってる気がします。
もう一つ。物語の最後、父ちゃんザルードは、ココの旅立ちを事前に悟り、「いっちょ前な事言いやがって、すぐ泣いて帰ってくるに決まってる」「勝手にしろ」と【演技をして】追い出します。
ここ、私は「セリフが父ちゃんザルードらしくないな」と違和感を感じました。このシーンではわざと、「上から」「親という上の立場から押し付けるように」発言をしています。これはザルードが元々持っていた「親ってこういうものだよな」っていうイメージで演技しているのだと思います。きっと、『親のいない父ちゃんザルード』自身が見ていた、周りのザルードやほかのポケモンの親子像から、マネしてみたのではないでしょうか。
父ちゃんザルードよ、あなたが思っている父親像より、あなた自身のほうが立派な父親だぞお前は。安心しろよ。(超上から目線)
今作、セリフ一つ取るにしてもメッチャクチャ丁寧に言葉を選んで作ってるのではないか。ああ~良い。
長くなるので次の感想に行きます。いやもう既に長いんだけれど。
★感想その②
悪役 ゼッド博士の魅力
これがもう本当に良かった。
まず、話逸れるから一言だけにしておくけれど、山寺宏一さん流石です。この魅力は声優の良さもある。表現力凄かった。
今回の悪役、ゼッド博士が所属している研究機関は、
・人間の未来の為に、「傷を完全に治癒できる薬」的なものの開発
をすることが目的。その完成のためにはポケモンの住処である大木を切り倒す必要があるが、『ココ』の両親はそれを良しとせず、研究を中止にした。
先に前提としていうと、今回のゼッド博士、マーーーージで極悪中の極悪。そもそもポケモンの映画でハッキリとした殺人を行うキャラが出るなんて思わなかったわ。ゾクゾクした。
でも正直、結果として起こした行動は地獄行き間違いなしの行動なのだけれど、ゼッド博士の考えも少なからず分かるのが複雑な所。
この研究がもし成功すれば、未来の、世界中の何百万人何千万人という人々を治す薬が作られていたかもしれない。そして治療薬であれば、それと同数のポケモンも助かる訳で。それと比較して、目の前の犠牲とどちらが大きいか?と思うと、どうしても「すぐ研究を凍結する」という判断は下しにくい気持ちが私にはある。
そしてそれ以降もゼッド博士は10年の間、テレビで大きな交通事故、災害が起きて大勢がケガをしている姿を見る度、「あの時研究を凍結していなければ、あの薬ですぐに救える命があったかもしれない」と思い続けていたと考えられる。そりゃあ殺人してまで続けてた研究のゴールを見つけたら、意地でも止められないよなあ・・・。
この悪役の信念は、よくある「自分の名誉や栄光」といったものだけではない闇があって素晴らしいと思う。
人を殺しても続けた信念が、罪悪感の末が、ようやく形になり、人の為になり、正しいことに使われる、自分で自分を一つ許せるきっかけになる目前だ!!
…という狂気を上手く端的に表せたキャラだ。
こうやって噛み砕いてみると、ゼッド博士が狂った理由が分かる気がして。いやー人間臭いし良いキャラです。
また、ゼッド博士との戦闘シーン、
●住処を守るために戦うザルード達 & サトシ一行 & ジャングルのポケモン達 【合計数十~百】
VS.
●人類の未来のためにザルードの住処を奪う 悪役ゼッド博士【たった一人】
こんな構図なかなか無くない?
子供も観る映画って、「主人公が悪役軍団を蹴散らしていく爽快感」とか、「主人公 VS. ライバルの熱い対決」とか、わかりやすく主人公が目立つシーンが多いじゃない?でも今作、無いの。サトシとピカチュウも「主人公陣営の1戦力」でしかない。そもそも戦闘がラスボス1人、1回だけ。でもそれにすべての熱さを注ぎ込んでいる。「主人公側が人数多い」「悪役がマジで1人だけ」「でも悪役1人が無双」ってなかなか無くない?
戦闘の後半、ゼッド博士の乗ったロボットの弱点が背中だと知り、背中を狙い始めるも、ゼッド博士全く動じず余裕の「狙いがバレバレ」発言。弱点バレした後もずーッと優勢。勝てる気がしなかった。
そして、総力戦・死闘の末、何とかした後、ゼッド博士は即座に逃走し、自分の体一つで何が出来る訳でもないのに目的の大木へと走り出す。その執念。倒したロボットの煙が晴れた瞬間、敵の姿が居ないと分かった瞬間の「え!?まだ終わんないの!?やっば熱いわー!!」感よな。バイオハザード5のウェスカーがチラついた。
自分の信念のため最後まで足掻き続けたゼッド博士。メチャクチャ魅力的な悪役でした。最高。
★感想その③
・余計な目立つポケモンがいない
何となくこれを感じました。このおかげで、本当に物語に集中しやすくなっていると思う。
まず、今作はサトシの手持ちがピカチュウのみ。これはもしかしたら、私が見ていないだけで直近数作品はそうなのかもしれないけれど。ほかの手持ちがいないことで、物語に余計な雑念を持たせません。
そして、敵のゼッド博士も、手持ちのポケモンを持たず、ロボットで戦います。私が以前見た別のポケモン映画「マギアナ」の作品は、悪役側のポケモンが大勢、無理やり戦わされており、敵味方含め色んなポケモンの出番が入り混じった作品でした。半面、色んなポケモンの「見せ場」がありすぎて忙しないイメージがありました。今作、悪役側にポケモンがいないことは、ゼッド博士の一人で抱えた闇と信念の表れでもあるとは思いますが、「ゼッド博士の手持ちポケモン」の気持ちを考える、という点がなくなるので、一層主軸のザルードたちに感情移入しやすくなっている気がします。
もう一つ、チョイ役のポケモン達「ジャングルの住人」がいます。ジャングルや背景に溶け込む色のポケモンばかりがいる印象です。そんな中、「ホシガリス」「ウッウ」は物語にも始終深く関わってきます。ふと、「なんでこの2匹なんだ?最新ポケだからか?」と思ったのですが、これは恐らく、「ポケモンを詳しくない人たちにも見やすいように」この2匹が選ばれている気がします。パッと見で「鳥」「リス」と分かるので、どんなポケモンか分からなくても、「森の生き物」だとスッと頭で理解できる、という点で、物語の邪魔をしないからではないかと思いました。もしこの2匹のポジションに「コノハナ」「モンメン」がいたら、頭の中に一瞬「小人?人間?」とか、「綿?生き物?アクセサリー?」とか過ぎってしまうんじゃないかなーと。
そういった感じで、徹底的に無駄なポケモンをそぎ落として、ストーリーに入り込みやすいように考えられているなあーと思いました。
…いやーーーー長く書いてるな。私。辞め時が分からなくなってきたので、次を最後の章にします。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【4】ガッツリ踏み込んだ、『ココ』 考察(※ネタバレあり※)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
以下は、映画製作側が残した、「気付く人だけ気付けばいい」細かい要素や、裏設定でありそうな部分を考察してます。
ここから先はマニアックなポケモンのゲーム要素なんかも多く、ぶっちゃけ私の行き過ぎた妄想ですが、暇つぶし程度にどうぞ。
★考察①
ゼッド博士とロボットについて (1)精神
ゼッド博士は終盤、ロボットの中に入り込み、真っ暗な操縦席からロボットを操りザルード達に襲い掛かります。この姿は、ゼッド博士が抱え続けていた心の闇と、そこから抜け出すために冷酷な機械の手で足掻く様を表していると思います。
また、今作気になったのが、サトシたち主人公サイドが「とくしゅ技」を出す機会が少ないんですよね。ザックリ言うと、ビームとか電気とか。ゼッド博士のロボは炎出したりしてましたが、ピカチュウがロボットに向けて電気技を放たず、他のポケモンも物理で殴ったりばかり。(少しはありましたが。)
これ、なんでかなーと思ったんですが、「特殊技は全然効いていない」って事を表しているんだと思うんですよ。
ポケモンのゲームにおいて、特殊技が効きにくい相手は、「とくぼう」というパラメータが高いという事。この「とくぼう」は、
「めいそう(瞑想)」という自分の精神世界に入り込む行動によって高めることができます。これに対抗するには、「わるだくみ」という技でこちらの攻撃の威力を上げたり、「ウソ泣き」という、感情に訴える行動によって、相手の「とくぼう」を下げたりもできます。
なんであれ、「とくぼう」には感情が絡む行動がよく付随しています。
話を博士のロボに戻しますと、「とくぼう」の高い博士のロボは、
精神論では止められない ≒ 感情では歯止めがもう効かない所まで来ている 博士自身を表しているのかなって思いました。
★考察②
ゼッド博士とロボットについて (2)メタグロス
ポケモン好きの人は思い浮かべたかもしれませんが、悪役・ゼッド博士の乗っていたロボットは、メタグロスというポケモンを彷彿とさせます。
メタグロスとは、はがね・エスパー タイプのとても強いポケモンです。こいつとゼッド博士&ロボットの立場を照らし合わせると、なんとなく共通点が見える・・・気がしました。(※あくまで妄想ですが)
●まず、メタグロスというポケモンはとても頭のいいポケモン(スーパーコンピュータ並みの頭脳)と言われています。その癖、ゲームとしては殴る・頭突きと物理的な、原始的な攻撃が強力です。
これはゼッド博士の、行き過ぎた思想の先の殺害・暴力と共通しているように見えます。
●また、ゲームのポケモンにおいて、メタグロスは「あくタイプ」「ほのおタイプ」「ゴーストタイプ」「じめんタイプ」の技に弱いです。
これに関しても、
・「ザルード」が「あくタイプ」であり、
・「ココ」の赤い髪を炎に見立て、
・ココの両親の殺害(=死≒ゴースト)を心に抱えており
・地面を踏み鳴らして挑むジャングルのポケモン達に敗れる
という点から、今作の敵役としてふさわしいイメージなんじゃないかなあと思いました。分からんけれど。
★考察③
イアのみ
今作の舞台の森は「オコヤの森」。「オコヤ」は今作のテーマの「親子」のアナグラムでもある気がします。
また、ポケモンに出てくる木の実は、「オボンのみ」「パイルのみ」「ザロクのみ」など、「ザボン」「パイナップル」「ザクロ」といった我々の世界に存在している木の実の名前を組み替えたものばかりです。
物語の終わり、ココが旅立つ時にいつの間にか父親から持たされていた木の実の名前は「イアのみ」。元ネタは恐らく「パパイアのみ」
はい。「パパの愛の実」というメッセージかもね。あったけえ~~~。
いや、それだけじゃないんですよ。
イアのみ、ポケモンのゲームでは、「持っているポケモンの体力が1/4になった時(≒本当にピンチの時)、体力をたくさん回復してくれる」という木の実です。
これをもとに考えると、「辛いときにはこの木の実でも食べろよ」というメッセージに・・・取れるっぽくない??どう???
しかもね、まだあるのよ。
この、「持っているポケモンの体力が1/4になった時(≒本当にピンチの時)、体力をたくさん回復してくれる」木の実っていうのは複数種類があるんだけれど、ポケモンによって好き嫌いがあるの。
「イアの実」は、「さみしがり or おっとり or おとなしい or せっかち」な性格のポケモンにとっては不味い実ですよ」っていう設定がゲームではあるわけ。
「一人でも大丈夫な」「わんぱくで」「活発で」「おおらかな」ココにとって、大好きな木の実ですね。
ああー。こういう細かい設定が本当にされているなら・・・
エッモーーーーーーい。
★考察④
泉や大木の力の正体
泉の力って治癒の効果じゃなくね?って思いました。
物語序盤、ココがフライゴンと一緒に水の中に飛び込み、フライゴンの傷を治癒したシーンがあったじゃないですか。あの時、「水の中にポケモンいなくね?」っていうのが気になりました。あれだけジャングルの描写や、ウパーなどの他のポケモンの存在を描写しているのに、あそこに一匹もいないのにも何か意味があるんじゃないかなって。
んで、考えてみました。いないってことは多分、ポケモンが住めないんだよね、あの大木の周りの水の中では。
じゃあ、どうして?⇒治癒の泉であれば、フライゴンが喜んでいたように元気に住めそうなもの。という事は、治癒の泉ではない。つまり、別の何かの能力で傷が無くなっている。
ここまで考えて何となく思いつきました。あまり物語に関わってないけど大事なポケモン、セレビィ。大木から出るパワーの色と、セレビィの色が一緒な点からも、多分あいつの力、「時を戻す力」が泉に染み込んでいるのではないでしょうか。だから、治癒ではなく、あの水に浸かり過ぎると何か色々戻っちゃうんじゃない?ポケモンは。
タイム風呂敷で赤ちゃんに戻っちゃう、みたいなね。そりゃあ住めんわ。
ジャングルのザルード達は、長老がいるように、きっと昔から長い間あの木に住んでいたのだと思います。長老が「掟は掟だから」と理由をハッキリ言えない≒掟の理由が分からないくらい、長老の親の代以前から住んでいるのでしょう。でもきっと、掟がある以上、「ザルード達が大木に住む理由」「ザルード達に掟を与えられた理由」があると思うんですよね。
長くなるので結論だけ言うと、
●力のある怖いザルード達には、大木周辺に居て欲しかった
●その理由として、大木周辺の水が危険だから、なるべく他のポケモンが近づかないようにするため
といった具合ではないでしょうか。
って考えると、もしかしたらゼッド博士、研究しても大木からは「治療」する薬は作れなかったりして。「治療」の研究をしていたのに、予想外のタイム風呂敷のカケラを手に入れても実用化は遠い気がしない?いつか使えそうな気はするけれども、体に薬として入れにくそう。
ケガした親指に薬を塗ってみたら、親指だけ赤ちゃんみたいに小さくなり始めたり。ヒィ。怖。
半面、ザルード達に伝わる「森の力を借りる技」は恐らく本当に治癒能力。こちらを研究するべきだと思うんですよ。
どっちみちゼッド博士は、ザルード達と仲良くならなければ研究は成功しませんよ、という皮肉もあるのかもしれない。
なんて。
ーーーーーーーーーー
ああーーーーーここまで書いて疲れました。
現在、12月26日 午前5時56分。
流石に限界だ。寝よう。
長々と書きましたが、やっぱり結論は一緒です。
みんな、
ポケットモンスター劇場版 ココ
観に行こう!!!!
以上、クロシオでした。
回ればいいのよ元々空気