24M二十三 子どもだけが、なにをさがしているのか、わかっているんだね

バーベキューの際に友達の子供と遊んでいたら、「お前って本当子供好きだよなぁ」と言われた。

自分にそんな自覚は無かったので内心驚いた。
そりゃ好きか嫌いかと聞かれたら好きだし、ましてや友達の子供なのだから邪険に扱うはずも無いだろうけども、傍目から見てそんな風に思われるほど僕が楽しそうに見えたのだろうか。

これが自分の子供だったらと考える。
どうだろう。ここまで上手く遊べる自信はない。
僕は反出生主義では無い(とは思う)けれど、楽しそうな我が子を見ても、生きてて辛いなと感じる事が多い現代での生活をこの先何十年も強いたことに対して、後ろめたさを感じてしまいそうだ。

この辺の話は深く語れる知識は無いのでやめとく。

子供と会話するのは好きだ。それには楽だからというのもあるけれど。(自分の子供なら大変だろうけど)
子供は唐突に脈略のないことを言うから面白い。

一緒に遊んでいた子は4歳の男の子で、石を放って遊んでいたかと思えば急に手を止め「空をみて!」と言った。
言われた通り上を見やっても、ただ何の変哲もない形の雲があるだけの青空としか思えない。
「何かあるの?」と聞いてみたが、僕の問いには返事をせず石の選定に戻ってしまった。

その子は空に、僕には理解出来ない何かを見出したのだろうけれど、この脈略の無さが接していて楽しい。
喜びなのか、驚きなのかは分からないが少しでもいいから共有したいと思ってしまう。 
でも無情なことに解答は無かった。少しは自分で考えろということだろうか。もしそうだったなら、その通りだな。

子供との会話を楽と感じる理由には、そこに打算が無いからというのもある。友人であっても、家族であっても、大人同士の会話は自分も含め打算だらけだ。
取り繕ったり、伺ったり。勿論それが楽しいというのもあるけれど、時折そういうものに疲れると感じることがある。(純粋に僕が年をとったというのもある)
子供との会話は疲れない。僕がそう思いたいだけなのかもしれないが、少なくとも僕が4歳の頃にはそういう打算は無かったはずだ。





遠藤周作の深い河を読んだ。
遠藤周作好きだ。海と毒薬と沈黙と本作しか読んだ事ないけれど。かなりはまっている自覚がある。梶井基次郎以来かもしれない。

神の所在、罪への贖罪、死との向き合い。
どれも生きていて考えたことが無いとは決して言えない様な命題だと思う。だからこそ読めて良かった。

終わり方の呆気なさが良い。
どれだけ他人への献身に身を捧げる様な聖者でも、不道徳な人間がもたらす避けようの無い悲劇によって害される。
答えを求めて遠い地に足を運んでも、望む答えが得られないこともある。 
フィクションでありながらとても現実で僕好みだ。

こういうのを不条理文学と呼ぶのだろうか?
そう呼ばれるものはカフカぐらいしか読んだことないけれど、カミュとかも読めば面白いと感じられるかな。
なんか難しそうで手を出せていない。いつか挑戦してみたい。


wikiか何かで読んだけれど、母親がクリスチャンだったから遠藤周作自身もクリスチャンになったという経緯らしい。だからキリスト教に対して、沈黙に書かれているような向き合い方が出来たのだろうな。
深い河は遺作で、謂わばその思考の到達点と言える。長年キリスト教と向き合い、導き出された考えが大津の最後の台詞だと思うと泣けてくる。






audibleで湊かなえ作品を最近聴いている。
告白は映画も結構好きだったけれど、エンタメに寄っていない原作の坦々とした雰囲気も良いなとも思えた。

何ともやりきれない気持ちになる読後感が癖になる。
リバースに至っては終章を読まない方が幸せだったんじゃないかと感じるほどだった。(勿論読んだ方が良い)
どんでん返しものと呼ばれる中でもかなり好きだ。最後の一文はとても興奮したし。

ハサミ男とかイニシエーションラブも良かったけれど、物語の全体の雰囲気を含めると、とても僕好みだった。

今は高校受験を聴いている。こちらもどうなるのかとても楽しみ。

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