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23N五 命短し遺せよ心根


梶井基次郎の「城のある町にて」を読んだ。

「桜の樹の下には」「Kの昇天」「檸檬」等の有名どころは一通り読んではいたけれど、「城のある町にて」は読んでなかった。

「今、空は悲しいまで晴れていた。」
という言い回しが好きだなと思っていたら、かなり有名らしい。知らなかった。
今やこういう言い回しはあまり珍しい表現ではないけれど、当時用いられているにしては画期的だった様だ。


文豪作品全般に言える事なんだけれど、面白さを感じながら読めた事が殆どない気がする。

ここの言い回し好きだなとか。綺麗な文章だな。みたいな、自分の心に生じた小さな機微の積み重ねで作品を評価している様な感覚だ。
なので読み終わって全体を通して思い返してみると、結局何が言いたいんだ?となってしまいがち。

そう言う時は時代背景なんかを調べたりする。
昔の文豪作品は作者の置かれている状況が反映されている事が多い。
調べて、作者の背景を知って、ようやく初めてなるほどとなり、作品の持つ面白さが理解出来る感じだ。
(理解した気になっているだけかもしれないけれど)


「城のある町にて」もそんな感じだった。

梶井基次郎の作品って暗いものが多いけれど、この作品は全体的に表現が明るい印象を持った。
子供のはしゃぐ音だったり、強調される空模様だったりがそうさせるのだろうか。
絶望の中に見た小さな希望の様なものの表現がとても美しく書かれていて、とても良い。

梶井に限らず文豪と呼ばれている人間は薄命だよね。梶井は肺結核だったし、芥川龍之介は自殺してるし。
そこにも良さがある。(所謂エモいってやつ)
著者が短い生涯を送ったからこそ、内容に深みが生まれている面もあるのだろう。



「それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹ひくようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。
 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。」

ここ好き。




どうやら話の元になった場所は三重らしい。
タイトルの城とは松坂城のようだ。
聖地巡礼じゃないけれど、機会があったらぜひ行ってみたい。

ちょっと前に東京に行く予定があって隙間時間を使って「檸檬」に出てくる丸善に行った。
作品にちなんだレモンを使ったスイーツを出す喫茶店が店内(確か4階?)にあって、それがとても美味しかった。

梶井が観ていた景色とは全然違うけれど、彼が此処を思って檸檬を書いたんだなと考えたら何だか感傷的になれてそれも良かった。


それにしても都会の本屋は近代的で凄い。
本を読めるスペースみたいなのがあったんだけれど、会員制だった。
そこで本を読んでいる人達ってどんな人なんだ。
丸善の喫茶店で本を読んでいる人も居たけれど、時間制限があった。
時間を気にせず落ち着いて本を読める空間にお金を払う気持ちは分からなくも無い。
でも出不精な自分には家で読めばいいんじゃないかと思えてしまう。そもそも紙より電子派だし。

僕には分からないだけで、シチュエーションを選んで読むというのも乙なのだろうな。

彼等より長い人生で僕は何を遺せるのか。
焦燥がこの日記を書く理由でもある。

みんな何かを遺したがっている。
それを現代の膨大なコンテンツ量が物語っている。もちろんただお金が欲しいって人もいるだろうけれど。

創作活動は生きる理由と生きた証の証明になる。
全ての作品は須く、素晴らしいのだ。

みんな生きてて偉い!

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