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ガールズバー

 電車に揺られながら、瀬尾まいこの夜明けのすべてを読んでいた。私は窮屈な、二人がけの席に腰掛けている。大学三年生の春休み。高校生の時に連絡を取っていた友達に、久しぶりに会う。高校一年の時に遊んだきりもう五、六年は会っていない。
 「前川さん綺麗だったね」
 「うん、ほんとに綺麗だった」
 「...…」
目の前では家族らしい三人組が、和気藹々と談笑している。母親と娘は盛んに結婚式での出来事について話している。父親は目線をぼんやりと持ち上げ、遠方の山の頂点を見るように、車内広告を見つめている。各駅に停車するごとに乗客は増え、だんだんと空きスペースが限られていく。
 「お父さん、ちょっと邪魔になってるから」
母親が気を利かせて、キャリーバッグを軽く引っ張る。父親は小さな声で何か言ったが、聞き取れなかった。
車掌が次の駅名を告げる。文庫本を鞄の中にしまい、電車が停止するまでの数秒を待っていた。
 「七分停車いたします」
私は、降車する人の波が終わるのを待った。ワイヤレスヘッドフォン、黒髪マッシュ、制服、スーツ、ヴィトンのバッグ、コンバースの靴、老若男女が、のべつ幕なしに次々と扉から排出されていく。
私が電車から降りたときには、エスカレーターを待つ長蛇の列が出来ていた。

 待ち合わせのお店が開店するのは21時。あと、二時間ほどどこかで時間を潰す必要があった。
私は地下街に向かった。

階段を下り、コンビニに入る。コンビニ店員の殆どは外国人で、流暢な日本語を操りながら、会計を進めている。
何の気なしにスマホを開くと、充電が十五%しかない。私は入り口付近に設置されている、レンタルモバイル充電のQRを読み込む。モバイル充電器は、ちいさなトースターのように、跳ね上がる。
しばらく店内をうろついて、ホットスナックを買い、コンビニを出る。コンビニ前で数名のギャルが、立ち話をしていて、その横を髪を七三に分けたサラリーマンが、よく焦げた顔に笑みを浮かべながら、通り過ぎていく。上司と通話しているのか、やや砕けた表現を用いながらも、敬語で会話をしている。
私は散歩を兼ねて、店の方面へと歩き出すことにした。
 ラッシュの入浴剤を嗅ぎながら、地上へ出る。店舗を見なくても、匂いだけで識別できる店は珍しい。

 歩いている内に、すっかり夜になってしまった。モバイル充電器を返却し、友人に、店の住所を確認しながらお店に向かう。ちょうど、開店と同時に店の前に到着した。なんだか、今更になってひどく緊張する。バーになんて初めて来た。
古い三階建てのビルの中に、スナックやバー、メイド喫茶が雑多に入っている。そのビルの二階、ちょうど階段を上がって、すぐのところに店はあった。
入るのをためらい、隣の店舗の看板を見たり、周囲を観察するふりをして、首をくるくると動かす。腰辺りまでの塀の向こうには、どこまでも深い闇が広がっている。
塀の上方には電灯がある。電灯の真下に、水たまりのような光がある。その光は、建物の中央に向かうにつれて勢いを失い、次の電灯の真下に、また溜まる。
 店の扉の奥から、足音がする。鉢合わせるのは気まずい。先手必勝と言わんばかりに扉に手をかける。
 「いらっしゃいー」
 そこに友人はいた。入り口から見て左手には、ボトルを並べる棚があり、一番上の台にはキープされたボトルがある。棚の横と、正面のトイレ横には、小さなモニターがある。画面の中では、洋画のベットシーンが映し出されている。暖かい照明が、店内を緩やかに照らす。知らないジャズが、空間を縫うように流れている。また、カウンター席のみであり、通路はひどく狭い。二人以上の成人男性が横並びに歩くことは不可能だろう。
私は入り口から一番遠く、トイレから最も近い席に腰掛けた。
 元々愛嬌があり、可愛らしいかった顔により磨きがかかっていた。肩まで伸びる髪を、見事なまでの金髪に染め上げ、こぼれ落ちそうな瞳は、まだ、当時の光を宿したままであった。
高校生の時の彼女は、駅の歩道橋の下でたばこを吹かすことがしばしばあった。あどけない表情に似合わないメビウス、私は彼女の口から吐き出された煙を見つめている。薄暗い空間の中で、彼女の瞳だけが光る。100円ライターの薄緑がつやつやと光っていて、彼女はそれを私に手渡そうとする。
 「久しぶりだね!たばことか吸う?」
彼女はカウンターの下に潜り込みながら尋ねる。いや、吸わないよと答える。
 「やっぱりー、真面目そうだもんね」
彼女はそういいつつ、カウンターの上に灰皿を置く。くすんだガラスの向こう側に、淡く、歪んだ景色が見える。
私は90分飲み放題コースにすることを彼女に伝えた。それと、ハイボールも。
 「お酒は結構飲むの?」
 「まぁまぁかな、周りに下戸が多いのもあるけど、飲み会とか言ったら一番飲む」
 「へー!ぜんぜんイメージないわ」
 「まぁ最後にあったのが、高校生じゃね」
久しぶりの再会とあって、話はそこそこ盛り上がり、瞬く間に90分たってしまった。
 「最後、何にする?」
 「そうだなぁ、おすすめで」
最後に呑んだ酒の名前をすっかり忘れてしまったが、ライムっぽい爽やかな匂いがしていたのを微かに憶えている。
 去年の夏、彼女は長年連れ添い同棲していた彼氏と別れたらしい。
 「浮気が原因。浮気が判明して、彼が土下座で謝ってきたから許してあげようと思ったら、二人目の浮気相手からメッセージが来てさ。結局、三股かけてたんだよ」
話なれた様子で彼女は話し続ける。きっと、何度も同じ話を違う誰かにしているのだろう。私自身三年間付き合った彼女と別れていたので、お互いの失恋話で空気は少し湿っぽくなってしまった。
 「じゃ、そろそろ行くよ」
私は席を立ち上がりながらそう言った。僅かにふらつく足、入店時よりも照明がまばゆく光る。
彼女は店の外まで私を見送る。磨かれた爪がきらきら光る指で、エレベーターのボタンを押す。
 「また今度、一緒に飲みに行こうよ」と彼女は言った。
私はにこやかに首肯し、空いてる日にちを今度伝えるよと言った。
 「今日はありがとう。またね」
 落書きに塗れた鉄の扉が開き、微かにヤニの匂いがする。私は彼女の姿が扉で見えなくなるまで、手を振り続けた。

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