「面白い」に貪欲であれ(騙し絵の牙)

「面白ければ、目玉は何個あってもいいんだから!」「人を騙して、そんなに面白いですか?」

作品の面白さ、それはその時代の価値観や売り出し方や読み手の状況によって多少の差が出る。流行ってるものが全て面白いとは限らないし、逆に面白ければ必ず流行るわけでもない。だが、「面白いものは面白い」これは一つの不変の事実だ。そして、その面白さをどうしても切望してしまう人間がいることも、また事実なのだ。

私は、作者の人格と作品とは切り離して考えるべきだと思っている。作品が生まれた瞬間、それは独立したものであり、その良さは受け手が判断するもので、作品が完成した以上は良くも悪くも作者は介入できない。作り手と受け手はどこまでいっても他人であるべきだし、だからこそ受け手は作品そのものの面白さを感じ取れる。だが、人間は弱くて脆くて何かに寄りかからないと安心できない。作品の評価一つも、周りの顔色を伺って、「これは面白いって言っていいかな?」と慎重になる。歴史や、伝統や、流行、そういったものに振り回されながら曖昧なジャッジを重ねて、「売れる作品」は完成していく。もちろん、「売れない作品」もだ。

だが、そんな中でも、売れる売れないが分からない段階で、どうしても面白いものを作る人間はいるし、そのどうしても面白いものを切望してしまう人間も、また存在する。「人を騙して、そんなに面白いですか?」という高野の言葉があったが、視聴後の観客はきっと「面白い」と答えるだろう。そういう、良くも悪くも面白いに貪欲な人間達の、騙し合いの話だった。

とにかく、めちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ面白かった!薫風社の歴史、小説薫風の伝統、大御所作家のプライド、会社の権力争い、ありとあらゆる不条理が「面白い」を殺そうとする中で、「面白い」を切望する狂人(私はこの二人は狂人だと思っている)の東奔西走する姿の快さ。そうだ!いけ!面白いは何者にも止められるべきではないし、止めてはいけない。速水がトリニティの編集会議で「みんなも一人はいるでしょ。諦めてたけど取材したかった人。自分の城島咲を見つけてほしい!」と言って、編集部が動き出した時、私はあまりにも興奮して少し泣いた。みんな、自分の面白いを諦めなくていいんだな、世間や会社じゃなくて、私自身の面白いを追求していいんだなと思うと、とにかく爽快だった。

面白いものが必ず売れるわけでもないが、必ず面白いものは存在する。面白いものを作らずにいられない作り手と、面白いものを見たくてたまらない受け手、どちらも等しく狂っていて、どちらもたまらなく面白い。この騙し合いに法や倫理や秩序はない。あるのは「面白いかどうか」だ。速水と高野、どちらも少し狂っていて、どちらも「面白い」に対して貪欲で、その二人が時に手を取り、時に対立しながらも面白さを求め続けるのがたまらなく痛快だった。




最近当たり映画が多くて嬉しい。グランパウォーズもシンエヴァもよかったです。モンハンはまぁ…うん…。

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