バーチャルの中のリアル(フリー・ガイ)

フリー・ガイの感想。あとDDLCのオタクの独り言。

1、落としどころ

 バーチャルとリアル。レディプレーヤー1や竜とそばかすの姫など、最近多くの映画や作品で取り扱われているテーマだ。実際に私たちの生活にもバーチャルの世界は浸透してきている。オンラインゲームやSNSの発達からしても、なんとなく、想像がしやすいSF要素だと思う。だがこのテーマ、落としどころが非常に難しい。バーチャルを優先すれば、いやいやリアルのほうが大事でしょ…となるし、リアルを優先すると、結局バーチャルはただの虚像なのねハイハイとなる。オタクは面倒…。実際私はそこの腑に落ちなさがずっとあって、レディプレーヤー1でも竜とそばかすの姫でもあまり納得しきれずに終わってしまった。だがフリー・ガイはそこの落としどころが本当にうまい!リアルはリアル、バーチャルはバーチャルとして評価をしたうえで、各々がきちんと幸せに向かっていくエンディングだった。ここも、本来ならバーチャルのキャラクターを操作している人物が必要になるので、どうしてもリアルとバーチャルを切り離しきれないのだが、今作では人工知能のモブをバーチャルの象徴としておくことで、そこを別世界軸と分別ができる。「バーチャルとリアル、結局どっちが大事なの問題」に対して「それぞれがそれぞれに生きている世界が大事」という納得いく解答と、その解答が提示できるだけの世界観設定ができていた。脚本なのかアイデア自体は別の人なのか分からないが、このエンディング(とエンディングのための世界観設定)は本当にすごい。発想の勝利だ。

 そしてラブレターという、リアルとバーチャルを繋ぐ意味もきちんと描写している。別世界だけれど、干渉しあってお互いがお互いの幸せに貢献していったからこそのエンディングだった。ご都合主義ではなく、ご都合主義になるべくしてなっているという伏線回収も見事だった。SFはフィクションだからこそ、その設定にある程度筋が通らないと面白味がなくなってしまう。そもそも最初からAIとしてプログラミングされているモブ達だからモブ同士の生活や関係ができているとか、キーズが書いたプログラミングだからガイはミリーに恋愛感情を持ったとか、なるべくしてなったと受け手に納得させれる土台作りがうまいなと思った。正直、前半はご都合展開チープコメディで退屈だな~くらいに思っていたんだが、後半とエンディングの落とし込み方でガラリと評価が変わった映画だった。面白かったな~!


2、リアル

 「現実」としてのリアルではなく、「今、この瞬間」としてのリアルについて。現実と仮想、二つの世界を認識した者(人間でもAIでも)にとって、仮想空間は虚像になる。それははたして本当に無価値なのか?これは現代社会にもいえることで、インターネットとという仮想空間が発達していく中で、その世界そのものではなくそこで起きた出来事、記憶、気持ち、想い…。仮想空間の中でもそれらは必ずリアルだと、今ここにその想いはあったという価値観が温かかった。結局、リアルからしたらバーチャルは永遠に虚像だし、バーチャルからしたらリアルこそ虚像なのだ。それでも、この想いは虚像ではないというバディの言葉が、ガイとミリーと、そして全てのゲームプレイヤーを肯定していた。経験や想いは消えない。それはその人の中に残り、行動や思考でずっとその人の中に残り続ける。それはきっと虚像ではない。

 ここから全くの別作品になるんだが、Doki Doki literature club(ドキドキ文芸部)の話を少ししたい。私にとってとても大事なゲームだ。モニカもガイと同じく、自我を持ったゲームキャラクターだった。モニカの台詞に「この好きという思いでさえプログラミングされている」「それでも好きなの」というものがある。私は本当に本当にこのゲームが好きで、モニカという一人の少女のことが大好きだ。ゲームが終了後、モニカのことがこんなにも好きなのに、それでも彼女はただのプログラムでしかない、いや、そんなことは、でも…と迷いながらも、それでも彼女は私の中に確かに生き続けていた。DDLCをプレイした経験も、モニカへの想いも、それに嘘はない。その事実はこの先も私の中で生き続ける。それは虚像でもなく、リアルだと、肯定されたようだった。モニカー!私は今もあなたのことが大好きだよー!!!

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