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最近お茶を飲むのを辞めた

これを見ているあなたは、普段水分補給をするときに何を飲んでいるだろうか。

簡単に例を挙げるとするなら、あなたは普段朝起きた時。つまり寝起きに何を飲んでいる?という問いを考えてもらえば答えは出てくるだろう。
それは人それぞれであり、水であったりお茶、炭酸飲料、あるいはプロテインかもしれない。

もちろんこの問いに関して正解は存在しないし、そもそも私自身が答えを持ち合わせているわけでもないので、断定することはない。

だが、私はこの問いに直面するのに26年と数か月という年月をかけてしまった。
ではそもそもなぜ寝起きに飲む水分に疑問を抱くようになったのか?

それは、お金がないからである。
正しくは目的に対して費やすコストを無意識に自分で高めてしまっていた。という事実に気付いたのである。

私は元々日常的に水分補給のためにお茶を飲んでいた。もちろん今でも私はお茶を飲みたい時はお茶を飲んでいる。
が、ほんの少し前までの私はお茶の味が好きだった、日本人であった、物心つく前から飲んでいたなどの理由から、無意識に、何かに手を掴まれたかのように。
喉が渇いたときは自販機でお茶を買い、自宅でも常飲するために、煮出す為のパックを買っていた。

ここで皆さんにもよく考えてほしい。
私たちは普段飲料をどういう用途として使用しているのだろうか?

答えは簡単である、水分補給をするためだ。
人間は水分を補給しなければ死んでしまう。たったそれだけの理由である。
だがそれに補給する水分がお茶である必要性は全くないのである。

そのことに気付いたのは、うだるような暑さの夏。
いつものように朝起き寝ぼけまなこのまま、ヤカンを手に取りコップにお茶を注ごうと持ち上げた時の腑抜けた感触の重さにうんざりしながら、お茶を沸かすため台所の蛇口を捻ろうとした瞬間であった。

何故こんなことをしているのだろう。
おそらく4、5秒は流れっぱなしであった蛇口の前に呆然と立ちすくみながら「喉元まで名前が出ている」気分を味わっていた。まだ一滴も飲んでいないのに。

そして私はこれまでの齢26年弱に渡る人生で大きな決断をすることになった。
これから水分補給をするためにお前はお茶を飲み続けるのか?
決断はすぐ終わった。蛇口を捻れば解決するからである。
しかもそれは場所を問わない。公園や公共施設、会社など日本で生活しているならば富士山の山頂にでも登らない限り水源に困ることはない。

しかし、私はこんな単純なことに無意識に金銭や時間を払い続けてきたのである。
そして、この経験から記事を見ている人に伝えことがある。
手段と目的がズレてはいけない、そして手段が目的となってはいけないということである。

私にとって、水分補給(目的)≠お茶を飲む(手段)であった。
が、そのことに気付いたのは、何十年も必要のないものに自分の価値の一部を捧げてしまった後だった。

一つ勘違いしないで頂きたい点があるとするならば、手段と目的がズレていないのであれば値段や時間は特に問題ないことだ。
同じコーラでも、「富士山の山頂でコーラが飲みたい」のであれば、ロッジの自販機で購入しても、山頂まで持ち込んでも違いはなく同じ価値があると考える。

逆にそのことに気付いてから、身近に感じるようになったズレを挙げると、引っ越しの費用が安くなるためウォーターサーバーを契約している同僚や、関東のカルキが気に入らずペットボトルで飲料を買いだめしている友人である。どちらも金がないと言っている。
そりゃそうである。

私が例に出している飲料水はまだコスト的に財布に支障をきたさない性質だからまだいい(気付かない分猶更質が悪いと思うが)

このように手段と目的がズレることによる出費の増加は癖になるのだ。
そしてECサイトのセール品であったり、動画サイトのサブスクリプションであったり少しずつ少しずつ我々の生活に侵食し、さも当たり前かのように私たちから金を奪っていくのである。

くどいようだが、家計簿を付けている人などは今一度自分の出費が「何の目的」で「どういう手段」を使って支払われたのか見つめ直すべきである。
そうすれば必ず私のように目的と手段がズレている出費が見つかるはずだ。

そして、カットできた分を娯楽や交際費に回せばより実り豊かな人生になるだろう。

あなたの財布の中身の価値を決めるのはあなた自身である。

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