ラザロ


ラザロは誰も騙さず、誰にも逆らわない。ゆえに誰からも軽んじられ、それでいて、疎まれ、疑われる。誰ひとり、ラザロの誠実なまなざしを正面から受け止めることができない。顔を逸らし、顔を逸らしてしまう自身の恥に耐えられず、いっそうラザロを蔑む。人間の聖性の実体化としてのラザロの存在は、しかし一方で誠実さというものから程遠い暮らしをしている人びとの心を、きわめてわずかづつに、清めていく。貧しく、傷ついた元村人たちが、壊れた車を押しながら未来への希望を抱く終盤のシーンは『リトル・ミス・サンシャイン』を思い起こさせる。
逃れ得ぬ貧困の生々しさのようなものが全編に横たわっていて、ファンタジーでありながら実体感があり、重苦しく感じられた。幸福なラザロというタイトルの意味、そして予告編にある「圧倒的な幸福感に包まれる」という言葉の意味するところを、考えている。



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