勝手にしやがれ

勝手にしやがれ(1959年)

Youtuberの動画みたいな映像だ、と思った。
ジャンプカットと呼ばれるこの編集テクニックはゴダールの本作品においてスピーディで斬新な演出として映画の革新をもたらしたという。確かに、それまでの映画がバッチリと決まったセットとセリフで組み立てられる舞台演劇の延長上のものであったとすれば、この特にテーマも、ストーリーとよべるものさえほとんどない本作は、演劇では作り得ない、映画でしか表現できない作品だ。
映画史的に重要な作品だということはわかるが、物語作品そのものとしては特になんとも捉えどころがない。車泥棒のミシェルは短絡的、刹那的な男で全編にわたり金とセックスのこと以外にはなんの関心も示さない。ヒロインのパトリシアとの会話も延々と「俺と寝よう」「ほかの男と寝たのか?」しかない。未来のことを無闇に思い悩まず今を生きる人間といえば聞こえはいいけれど……このある種の投げやり感、刹那感が、当時のフランスの若者の気分と合致したのだろうか。
映画に共感を求める人はわかってない、という旨のツイートをこのごろたびたび見かけるけれど、いかにも映画通の言いそうなことだ。そういう人には、本作の評価は高いだろう。当時のパリの絵画のような美しさと、人間的な共感を登場人物の誰にも求められないドライな空気感とのギャップに、クセになる魅力が潜んでいるのかもしれないという予感は、たしかにあるけれど。



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