福島県の人はみんな、泣いていると思っていた話

私は福島県の喜多方市塩川町出身で、22歳まで福島県に住んでいました。

2004年に上京し、今日まで東京に住んでいます。

震災が起きた2011年も東京にいました。

当時、フリーランスになって半年で、自宅から自転車で阿佐ヶ谷の商店街にお菓子を買いに行ったときに地震が起きました。

以前に働いていた会社の同僚や、当時やりとりがあった、都内の会社では、帰宅難民になるなどあったようですが、私は、計画停電にも遭わず、食料がなくなって困ったということもなく、東日本大震災は他人事と言えるかもしれません。

そして、2011年前後の10年は、私は、福島県と疎遠になっていた時期でした。

東京都民として、2011年以降は、福島県の状況をテレビやインターネットで知っていました。

福島県は大変なことになったな、よくあんなところに住み続けられるな、というような感覚だったと思います。

そんな私でしたが、2016年ごろから、2拠点での活動をしたいと思い始めて、福島県に通うようになりました。

そこで福島県の実態を知ることになります。

東京で感じていた福島県の印象とは異なりました。

不幸で無力な東北の田舎ものたちが、苦しんでいる、というようなものではなかったということです。

全てを破壊され、土地に毒をまかれ、それを全世界のさらし者にされたのにもかかわらず、それからたったの数年で、世界に認められる酒を造ったり、賞を受賞するおいしい米を生産したり、圧倒的なハンディの中でさえ、人を感動させるものを作り出すすごい人たちの土地でした。

でも、それを知ることができたのは、私がもともと福島県出身で、ここ数年は、積極的に福島県と関わっているからです。

そうでなければ、東京や、東京より西で生活している人の福島県のイメージは、2015年ごろの私が持っていたイメージとそう変わらないのではないだろうかと思います。

そう思ったので、私は、2拠点の活動のなかで知り合った、会津若松市のMさんという女性を中心としたメンバーで、情報発信を始めました。

いろいろやっていくうちに、私たちは、あいづっぺでぃあという事業を始めることになりました。

https://aizuppedia.org/

若者よそ者が、福島県の会津地方の農家や食品製造業などのお店に取材に伺い、記事にしています。

今年はコロナの影響で、昨年度と同じ動きができずにいますが、少しずつ、できる範囲でやっています。

取材の中でも、会津の人たちは、宣伝が苦手だという言葉を何度か聞きましたが、信じられないぐらい下手だと思います。

それは、私自身も、会津の価値観で18歳まで育って、フリーランスになってから苦しんだ呪縛でもあります。なかなか自分の宣伝は難しいです。

でも、そうはいっても、もう、変わらないと行けない時期に来たのではないでしょうか。

実際、自分たちはもう変わるんだ、と、思っているのかどうかはわかりませんが、福島県の若者たちが立ち上がりました。

この記事を見た方は、2021年3月11日の20時から20時15分までの間に、#福島から広めよう というハッシュタグをつけて、ツイッターでツイートしてください。

この企画を誰がやっているかというと、主体は福島県出身の大学生です。

なぜ、私がこの団体に詳しいかというと、あいづっぺでぃあの立ち上げメンバーの学生リーダーと、サイト制作に関わったデザイナーなどが立ち上げた団体だからです。

私は年齢的にも、彼らと同じ目線で一緒に頑張るというのはちょっとないなという感じではあるのですが、すごく共感して応援しています。

福島県や東北が虐げられてきたのは、もう、2000年近く前からだと思うんです。

古墳時代から、蝦夷征伐などでいろいろ大変な目に遭い、戊辰戦争もあり、今回の震災。

その中で、負け犬根性というか、もう、差別されることが当たり前で順応してしまっている部分が、ないとは言えない気がします。

それが、宣伝が下手ということにつながってきているのではないだろうかとも思います。

変わらないと行けないときです。できることからやりましょう。

まずは、ツイッターのアカウントを開設してください。アカウントを持っているけど使い方がわからない方、いますぐログインして、ツイートの練習を始めましょう。

そして、2021年3月11日の20時から20時15分までの間に、#福島から広めよう というハッシュタグをつけて、ツイッターでツイートして全国にアピールしましょう。

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