#164 実は「細川紙」は埼玉県発祥じゃない?!
『紙について楽しく学ぶラジオ/Rethink Paper Project』
このラジオは、「紙の歴史やニュースなどを楽しく学んで、これからの紙の価値を考えていこう」という番組です。
この番組は、清水紙工(株)の清水聡がお送りします。
よろしくお願いします。
小川和紙と細川紙
という訳で、今回は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている「細川紙」を取り上げていきたいと思います。前回に引き続き、和紙の話題ですね。
というのも、先日、細川紙の生産地でもある埼玉県に行ってきたんですよ。
埼玉県の和紙といえば、今回取り上げる「細川紙」、それから「小川和紙」というワードを聞いたことがある方もいらっしゃるかと思います。
まず、ここから説明しましょう。
「小川和紙」というのは、埼玉県小川町で生産されている和紙のことです。
岐阜県美濃市で生産されている和紙を「美濃和紙」、福井県越前市で生産されている和紙のことを「越前和紙」と呼ぶのと同じことで、埼玉県小川町で生産されている和紙のことを「小川和紙」と呼びます。
で、今回テーマに上がっている「細川紙」というのは、「小川和紙」の中の一種です。
「サイヤ人」という大きい括りの中の「孫悟空」みたいなもんです。
「小川和紙」という大きい括りの中の「細川紙」ということです。
和紙というのは、地域で大きな一括りにされた呼び方、それから、原材料とか技法で括られた呼び方、地域+原材料とか技法で括られた呼び方など、色々あります。
そんな中で、今回取り上げる「細川紙」は、めちゃくちゃユニークな背景を持っていたんです。
細川紙とは?
まず、「細川紙」がどんな紙なのか、説明していきたいと思います。
まず、原料は、未晒しの楮100%です。
もちろん、手漉き。
あ、ちなみに、先ほどユネスコの無形文化遺産に登録されたと言いましたが、実はこういう風に「遺産認定」されると、「細川紙」の定義がしっかりと定められます。
小川町のホームページから抜粋しますね。
この全てを満たしたものこそが「細川紙」と名乗れる訳です。
簡単に要約すると、化学的な薬品は使わない、機械は使わない、自然乾燥で乾燥させる、という、いわゆる、ザ・古来のやり方を周到したものこそが「細川紙」という訳です。
これ、僕が和紙の作る工程を、一般の方よりは理解しているからこそ言えるけど、本当に、めちゃくちゃ手間掛かっています。信じられないくらい掛かってます。
実は「細川紙」は埼玉県発祥じゃない?!
そんな「細川紙」なんですが、皆さん疑問に思いませんか?
埼玉に細川なんて地名なくない?!・・・ですよね。
そう、実は、「細川紙」は、埼玉県発祥じゃないんです。
紀州高野山の細川村(現在の和歌山県高野町)で漉かれていた「細川奉書」の技術が、江戸時代中期頃に江戸に近い小川周辺に入ってきたもの、といわれているそうです。
そう、実は「細川紙」の発祥は、和歌山県なんです。
「細川紙」の前身を言われる「細川奉書」にもあるように、「奉書」と言う和紙が存在します。
「奉書」と言うのは、基本的には「楮」を原料とした強くて滑らかな和紙のことを言います。
この「奉書」と呼ばれる和紙は日本全国に存在します。
大河原和紙
じゃあ、埼玉県にはもともと「奉書」のような紙がなかったかというと、実はあったんです。
その名も、「大河原和紙」。
この「大河原和紙」も、「奉書」のように「楮」を原料とした和紙で、昔大河原村と呼ばれたいた、現在の東秩父村で漉かれている和紙のことです。小川町の隣の村です。
この「大河原和紙」、残念ながら現在漉いている会社はなく、東秩父村にある「和紙の里」で漉かれているのみとなっています。
ただし、「細川紙」が輸入の技術だとすれば、その前身、つまり埼玉の血が流れる楮の紙は「大河原和紙」になるんじゃないでしょうか。・・・ね?
この「細川紙」、第二次世界大戦でも使用された「風船爆弾」にも使われた、と言われるくらい、本当に強くて質の高い和紙です。
実際、作り手の方の工房にもお邪魔しましたが、昔ながらの製法で、素晴らしい和紙を作られています。
皆さんも、埼玉県小川町で作られている「細川紙」を、ぜひ手にとっていただきたいと思います。
はい、という訳で今回は、埼玉県の和紙「細川紙」について解説させていただきました。
いかがだったでしょうか。
それでは、本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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