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遊びの社会性について

おはようございます。本日も良い一日になりますことを願っております。

遊びは個人的娯楽?

遊びは各個人の自由気ままな行為のように思われるが、個人の娯楽と捉える遊びは意外と少ないです。一人遊びに耽る子どもも、例えばままごとをしてる子どもが一人で何かしている時も他の誰かの存在(家族又は友達)を想定して自分なりの規範で行われる行動になりまし、特に一人で技を極めようと遊んでる子どもは、誰か他の子ども(観客だったり競争者だったり)を想定して、技術の向上に没頭します。他の相手に自分の技を披露したり、技を繰り出して相手を打ち負かせたりする機会がなければ、子どもはその遊びに飽きてしまいます。

アゴン(競争)・アレア(運)・ミミクリ(模擬)・イリンクス(眩暈)の4つに分類される遊びにおいても、相手のいるゲームも、運が左右する遊技も、眩暈が伴う遊戯設備も、模擬で他の人物を演じるお遊戯も、そこには共感や体験の共有ができる誰かがいることで、喜びや興奮が倍加され、より大きな嬉しさや楽しさが感じることができます。

『実際、大部分の遊びは、問いかけと答え、挑発と応戦、扇動と感染、興奮と緊張の共有である。遊びには共感をこめて注目してくれる観衆の存在が必要なのだ。いかなる範疇の遊びも、この法則の例外をなさないようだ。』
(遊びと人間 ロジェ・カイヨワ著 多田道太郎・塚崎幹夫訳 講談社学術文庫 86頁引用)

遊びとは、他の競争者や観客を巻き込んで行われるスポーツ・賭け事・芸術文化活動に発展する源流であり、そこにはルールや制限が設けられて行われる社会性を持っています。