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『稲盛和夫一日一言』 10月27日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10月27日(金)は、「王道の経営」です。

ポイント:「王道」とは、「徳」に基づく政策のことであり、「徳」とは、古来中国では、「仁」「義」「礼」という三つの言葉で表された。つまり、「徳で治める」とは、高邁な人間性で集団を統治していくことを意味する。

 2016年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第5巻 リーダーのあるべき姿』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)収録の『中日経営者交流フォーラム』(2007年開催)における講演の中で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 本日の講演では、私の半世紀にわたる経営体験をベースとして、「徳に基づく経営」と題してお話ししたいと思います。

 組織をまとめていくには、「力」で治めていく方法と「徳」で治めていく方法があります。言葉を換えれば、集団の統治には、徳に基づく「王道」と、力に基づく「覇道(はどう)」という二通りの方法があるわけです。

 「徳」とは、古来中国では「仁」「義」「礼」という三つの言葉で表されてきました。「仁」とは慈(いつく)しみの心、「義」とは道理に適(かな)うこと、「礼」とは礼節を弁(わきま)えている、ということです。
 また、この三つを備えた人を「徳のある人」とも呼んでいました。つまり、「徳で治める」とは、高邁な人間性で集団を統治していくことを意味しています。

 企業経営において、長く繁栄を続ける、まさに「調和のとれた企業」をつくり上げていこうとするならば、従業員をして経営者を尊敬せしめる、そうした経営者の持つ「徳」に基づく経営が最も有効で確実な道であろうと、私は考えています。

 欧米の多くの企業では、覇道、つまり「力」による企業統治を進めています。例えば、資本の論理をもって人事権や任命権をふりかざしたり、金銭的なインセンティブをもって従業員を支配しようとする。そのような「力」による統治の象徴が、経営者と従業員との大幅な収入格差です。

 いくら優秀な経営者といえども、トップの戦略だけで、企業が機能し、経営ができるわけではないはずです。大企業ともなれば、何万人という規模の従業員が存在し、その一人ひとりが日々それぞれの現場で懸命に働き、その汗の結晶が売上や利益として結実していく。

 権力によって人間を抑圧したり、金銭によって人間の欲望をそそるような経営では、「調和のとれた企業」がつくれるはずがありません。そのような経営は一時的に成功を収めることができたとしても、いつか必ず社員の離反を招き、破綻に至るはずです。
 企業経営は永遠に繁栄を目指すものでなければならず、それには「徳に基づく経営」を進めるしか方法はない、と私は信じています。
(要約)

 また名誉会長は、「徳をもってあたる」ということについて、次のように述べられています。

 「徳をもってあたる」ということは、組織をまとめていくことだけに留まりません。取引先やお客様との交渉の場にも必要となるものです。
 例えば、手練手管を弄したり、相手の弱みにつけ込むような駆け引きや腕力をもって交渉に臨むよりも、「徳」つまり「仁」「義」「礼」に基づき、情理を尽くして交渉にあたるほうが、はるかに素晴らしい成果がもたらされるはずです。

 「商売は信用が第一」といわれますが、私はその上があると思っています。それは、お客様から信用されるという状態を超えて、「お客様から尊敬される」、あるいは「お客様に惚れられる」ということです。そうした尊敬と信頼をベースとした関係こそが、ビジネスの理想ではないでしょうか。

 集団を統治するためにも、またお客様との素晴らしい関係を築き上げるためにも、経営者には「徳」が求められます。そして、経営者の人格が高まるにつれ、企業は成長発展していくはずです。(要約)

 「お客様の尊敬を得る」という京セラフィロソフィがあります。そこでは、「商売の極意とは、身につけた哲学をもってお客様から信用され、その上に尊敬を得ることです。お客様の尊敬を得ることが、長期にわたる事業の成功につながるのです」と説かれています。

 「京セラの営業マンは、フィロソフィを売る」
 営業マンの持つ人間性が受注実績をも左右する、といった意味で使われていた言葉だと思いますが、確かに私が長年一緒に仕事をしてきた営業担当者の中には、お客様が心底惚れているのが同席する私にも感じられるほど、素晴らしく良好な関係が構築できているメンバーがいたのは確かです。
 
 リーダーが持つべきものは「徳」であり、「力」に任せた統治は厳に慎むこと。どのような集団であれ、心がけていかなければならないことではないでしょうか。


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