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『稲盛和夫一日一言』 7/6(木)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7/6(木)は、「美しい思いやりのこころを抱く」です。

ポイント:心が呼ばないものは、決して周囲に現象として現れない。心の中に利己的な気持ちを抱くのか、逆に美しい思いやりに満ちた利他の心を抱くのかによって、周囲に現れるものはおのずと違ってくる。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、「人生は心に描いた通りになる」ということについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私は、人生や仕事の結果は、考え方と熱意と能力の三つの要素のかけ算で決まるとして、フィロソフィの中でも人生方程式を一番大事なものとして説明してきました。 「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」
 そして考え方については、マイナス百からプラス百まであるとしていますが、その考え方というのが「心に描くもの」に相当します。

 しかしながら、「人生は心に描いた通りになります。心に描いた通りのものが現象として現れるのです」と言われても、人はそれをあまり信じようとはしません。

 私は、「心に描いたもの、心に抱いたもの、自分が持っている考え方、思想、哲学、それらがそのまま人生に現れる」ということを、「心に描いた通りになる」と表現しています。これは理屈ではなく、宇宙の道理、宇宙の法則だと理解していただきたいのです。

 仏教の教えに、「思念は業(ごう)をつくる」という言葉があります。業とは、因果応報の「因」です。思念は因、原因をつくり、その原因は必ず結果を生む。すなわち、思うこと、考えること、その内容が大事であって、その想念のなかに悪いものを抱いてはならない、とお釈迦様は説いておられるわけです。

 以前も紹介しましたが、「積善の家に余慶(よけい)あり」という中国の言葉もあります。これは、「善行を積む、陰徳を積む家には、必ず幸運が舞い込んでくる」という意味です。「徳」とは、簡単に言えば「利他の心を持っている」ということです。

 他を慈しみ、思いやり、助けてあげる、そういう思いを持っている人、またそういう思いを実行する人のことを「徳のある人」」と呼びますが、世のため人のために尽くすことを生涯の規範としている、そうした人こそが徳の持ち主なのです。(要約)

 「心が呼ばないものが自分に近づいてくることはないのであり、現在の自分の周囲に起こっているすべての現象は、自分の心の反映でしかない」

 京セラフィロソフィの「心に描いたとおりになる」という項の中にあるこの言葉は、自分が歳を重ねるほどに重い言葉として響いてきます。

 怒り、嫉妬(しっと)、猜疑心(さいぎしん)などといった否定的で暗いものを心に描くな、常に夢を持ち、明るく、きれいなものを心に描きなさいと言われても、それを常にキープできないのが人間の悲しい性(さが)です。

 生涯を通して、あるいは死後のあの世までを含めたもっと長いスパンで見れば、必ず因果応報の法則が成り立つのだとすれば、今の自分にできることは、そうであることをひたすら信じ、美しく思いやりに満ちた心を抱こうと努めながら、一日一日を生真面目に生きていくことではないでしょうか。

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