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『稲盛和夫一日一言』 6/11(日)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6/11(日)は、「試練は人生の分岐点」です。

ポイント:人間的な成長には「試練」が不可欠。試練に直面したとき、打ち負かされてしまうのか、妥協してしまうのか。それとも対峙し、苦難を克服しようと、さらに努力を重ねるのか。そこが人生の分岐点。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)第二章 試練 の中で、試練に直面したときそれをどう受け止めるべきかということについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人生は波瀾万丈(はらんばんじょう)です。人間は幾多の試練に直面します。ときに壮絶なまでの辛苦(しんく)をどう受け止めるかによって、その先の人生が変わってきます。
 災難に遭って、打ちひしがれるままに諦めてしまえば、せっかく与えられた人生をただ暗く歩むことになります。逆に、艱難辛苦(かんなんしんく)に前向きに立ち向かい、災難を克服することができれば、人間的に高まり、人生も大きく開かれていきます。

【南洲翁遺訓 五条】
 或る時「幾歴辛酸志始堅 丈夫玉砕愧甎全 一家遺事人知否 不為児孫買美田」との七絶を示されて、若しこの言に違(たが)いなば、西郷は言行反したるとて見限れよと申されける。

【訳】
 ある時、「幾たびか辛酸(しんさん)を歴(へ)て志始めて堅し。丈夫玉砕(ぎょくさい)して甎全(せんぜん)を恥(は)ず。一家の遺事(いじ)人知るや否(いな)や。児孫(じそん)の為に美田(びでん)を買わず」
(人の志というものは、幾度も幾度も辛いことや苦しい目に遭って後、初めて固く定まるものである。真の男子たる者は、玉となって砕けることを本懐(ほんかい)とし、志を曲げて瓦(かわら)となっていたずらに生き長らえることを恥とする。それについて、自分が我が家に残しおくべき訓(おしえ)としていることがあるが、世間の人はそれを知っているであろうか。それは、子孫のために良い田を買わない、すなわち財産を残さないということだ)という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うようなことがあったら、西郷は言うことと実行することが反しているといって見限りたまえといわれた。

 これは「辛酸をなめるような苦難に耐え、努力に努力を重ねて乗り越えたとき、初めて人の志は定まる」という西郷自身の壮絶な実体験が言わしめた言葉です。(要約)

 また、2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、「試練」について、名誉会長は次のようにも述べられています。

 ケガをしたり、難病にかかったり、また事業に失敗し、研究に失敗し、会社の中で評価を落としたりと、いろいろな目に遭います。しかし、そういうものはすべて、自分の心をつくり磨くために、神が与えてくれた「試練」ですから、真正面から受けて、めげないで一生懸命努力をすることが大事です。
 ときには、友人知人からも非難囂々(ひなんごうごう)であったり、バカにされるといったつらい目に遭ったりもしますが、そういう中でもくじけずに努力をしていく。そのことが、実は自分の魂、心を磨く手段となるのです。
 そういう意味では、「試練」はむしろ喜ぶべきことだと私は思います。人生の目的は、心を高めることですから、そういう試練に遭うことをもありがたいと思うべきなのです。(要約)

 試練に直面したとき、誰もがそこまでの達観した気持ちを持てるとは思えませんが、個々の局面にどう対応していくかで己の人生が決まっていくのだと考えれば、目の前の試練にどう向き合わなければならないかは明白です。
 打ち負かされてずるずると妥協してしまうのか。それとも、真正面から対峙し、困難を克服しようと敢然と立ち向かっていくのか。

 「心が折れてしまっては元も子もないから、目の前のいやなことから逃げるのは恥ずかしいことじゃないよ」といったアドバイスが有効な場面もあるとは思いますが、それが逃げ癖という習い性になってしまっては、おそらく己の人生を全うすることはできないでしょう。

 今日の金言、「人間的成長には試練が不可欠。試練は人生の分岐点」


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