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『稲盛和夫一日一言』 7月31日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月31日(水)は、「人生の宝」です。

ポイント:いろいろなことに遭遇しながら生きてきて、どういう魂になったのか。それが人生の宝であり、人生の目的ではなかろうか。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、生きる目的、人生の意義について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 正しい生き方とは、決して難しいものではありません。人として正しい生き方に努めるということは、子どものときに親から教わった、ごく当たり前の道徳心、例えば、嘘をつくな、正直であれ、人をだましてはいけない、欲張るな、などといったシンプルな規範の意味を改めて考え直し、それらをきちんと遵守するということです。

 心をよい方向に高めて、能力のみならず人格ある人間を、賢い人間であるだけでなく正しい人間を目指すべきであるのは、どんな人でも変わりありません。それが、生きる目的、人生の意義そのものであるといってもよい、と私は思っています。人生は、私たちの人間性を高めるためのプロセスにほかならないのです。

 それでは、心を高めるということは、いったいどういうことなのでしょうか。それは、決して悟りの境地、いわば至高の善的境地に達するなどという難しい話ではなく、生まれたときよりも少しでも美しい心になって死んでいく、ということではないでしょうか。

 生まれたときより死ぬときの魂のほうが少しは進歩した、少しは心が磨かれたという状態。それは、身勝手で感情的な自我が抑えられ、心に安らぎを覚え、やさしい思いやりの心が次第に芽生え、わずかなりとも利他の心が生まれる、というような状態です。また、そのような美しい心へと、持って生まれた自分の心を変化させていくことこそが、私たちが生きる目的です。

 なるほど人生は、宇宙のとてつもなく長い歴史からすれば、わずかな一閃に過ぎないものかもしれません。しかしだからこそ、その一瞬にも満たない生の始まりよりは終わりの価値を高めることに、私たちが生きていく意義も目的もある、私はそう考えています。もっといえば、そうであろうと努める過程そのものに人間の尊さがあり、生の本質があるのだと思っています。

 さまざまな苦を味わい、悲しみ、悩み、もがきながらも、生きる喜び、楽しみも知り、幸福を手に入れる。そのようなもろもろの様相を繰り返しながら、一度きりしかない現世の生を懸命に生きていく。
 その体験、その過程を磨き砂としておのれの心を磨き上げ、人生を生き始めたころの魂よりも、その幕を閉じようとするときの魂の有りようをわずかなりとも高めること。それができれば、それだけで人生は十分に生きた価値があるというものです。

 心を磨き、魂を高めるには、さまざまな方法やアプローチがあります。山頂を目指すルートは三六〇度、ほぼ無限にあるといってもいいでしょう。
 心を磨く指針として、私は自らの経験から、「六つの精進」が大切ではないかと思い、周りの人たちに説いてきました。

 ・誰にも負けない努力をする
 ・謙虚にして驕らず
 ・反省のある毎日を送る
 ・生きていることに感謝する
 ・善行、利他行を積む
 ・感性的な悩みをしない

 私はこの「六つの精進」を常に自分に言い聞かせ、実践するよう心がけてきました。文字にしてしまえば平凡すぎるほどの、当たり前の心がけを、日々の暮らしに溶かし込むように、少しずつでいいから堅実に実践していくこと。大仰な教訓を額縁に入れて飾るばかりでなく、はやり普段の生活のうちに実行していくことが肝要なのです。(要約)

 また同著の中で、名誉会長は次のように説かれています。

 理性と良心をもって感性や本能を制御しつつ人生を歩み、「善き経験」を多く積んでいくことが、つまりは心を磨くことにつながり、おのずから悟りに近づくことにもなる。そうやって高められた魂は、現世だけでなく来世にも継承されていくのです。

 人生に対して真正面から愚直に向き合うことで、自分なりの「生き方」を少しずつでも確立していくことが大切です。(要約)

 あなたの人生は、誰のものでもない、あなた自身のものです。終焉を迎えたとき、「自分の人生、生き切った」と清々しい気持ちで旅立っていきたいものです。


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