見出し画像

『稲盛和夫一日一言』 6/14(水)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6/14(水)は、「苦難と僥倖(ぎょうこう)」です。

ポイント:苦難あるいは僥倖、いずれの試練に遭遇しても、決して自らを見失わないこと。日々たゆまぬ研鑚に励むことによってのみ、人間は大きく成長していくことができる。

 2016年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第5巻 リーダーのあるべき姿』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、人生、経営における試練について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 試練とは、苦難のことだけをいうのではありません。成功や幸運もまた試練なのです。
 成功や幸運に恵まれたことで、謙虚さを忘れ、傲岸不遜(ごうがんふそん)に振る舞うようになり、私利私欲に走った結果、没落を遂げていく。成功もまた試練であることを理解していなかったがために、少しばかりの成功に酔いしれ、自ら墓穴を掘ってしまう。

 成功しているときこそ、自分を取り巻く周囲に感謝するとともに、「これで良いのだろうか」と、謙虚に反省をすることが大切なのです。

 何が幸運なのか不幸なのかは、一見ではわかりません。幸運と思えることが不幸と裏腹であったり、不幸と思えることが幸運に直結していたりします。人生で出会う災難や幸運いずれもが試練であり、それらの試練をどう受け止めるのかによって人生は決まってきます。

 会社経営も同様です。経営をしていれば、事故や災害など、思わぬ災難が舞い込んできます。一方、好況の波に乗り、思わぬ特需が舞い込むなどの幸運にも恵まれます。経営者は、それらの幸不幸をどう受け止めて経営にあたるのかを、都度決断していかなければなりません。
 
生も経営もまさにそうした試練の連続であり、試練をどういう心構えで過ごすのかによって、すべてが決まっていくわけです。

 英国の啓蒙思想家ジェームズ・アレンは次のような言葉を残しています。
 「成功を手にできないでいる人たちは、自分の欲望をまったく犠牲にしていない人たちです。もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。大きな成功を願うならば、大きな自己犠牲を、この上なく大きな成功を願うならば、この上なく大きな自己犠牲を払わなくてはならないのです」

 私自身、半世紀にわたって常に会社の先頭に立ち、朝から晩まで誰よりも懸命に働いてきました。私が経営者である以上、それが会社を成長発展させていくために支払わなければならない当然の代償であったわけです。

 ジェームズ・アレンの言葉は、私の気持ちを癒してくれる救いであり、何ものにも代えがたい喜びでもありました。(要約)

 日常的に使われる言葉ではありませんが、「僥倖」には「思いがけない幸い、偶然に得る幸運」といった意味があります。また、「僥倖する」というふうに動詞的に使うと、「幸運が舞い込んでくるのを待ち願う」といった意味になります。

 私たちは、何かちょっといいことがあると、反射的に「ラッキー!」と言ったりしますが、その判断のベースにあるのはほぼ損得勘定です。しかし「因果応報の法則」からみると、もっと長いスパンでしかその良し悪しを判断する必要がありそうです。

 だからこそ、苦難と感じたことに対しては真正面から立ち向かい、また僥倖と感じたことに対しては、驕ることなく謙虚な姿勢でさらに努力を重ねることが大切になるのではないでしょうか。

 息を引き取る間際に、「いろんな人たちと関わりをもって、良いことも悪いこともたくさんあったけど、本当にいい人生だった。ありがとう!」と言って天寿を全うできるよう、これからも日々の精進を怠りなく生きていきたいと思っています!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?