見出し画像

『稲盛和夫一日一言』5/5(金)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5/5(金)は、「筋は通っているか」です。

ポイント:物事に筋が通っているか、道理に適っているかどうかを判断するためには、論理的に矛盾がないかということだけではなく、人としてとるべき道に照らし合わせて、不都合がないかということの確認が必要。

 1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、「筋を通す」ということについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 「話の筋が通っている」とか「発言に筋が通っていない」とか言います。この場合の「筋」とは、人間の精神の指標のことです。その人が持つ判断基準、いわばフィロソフィと言い換えてもいいでしょう。

 皆さんは、それぞれの立場で判断を迫られたとき、自分の判断基準に照らして良い悪いを判断しているはずです。そして、その判断基準の根源をたどれば、道理とか倫理、つまり「人間として何が正しいか」という原理原則に至るはずです。

 ですから、筋が通るということは、単に論理的に矛盾がないということだけではなく、人としてとるべき道に照らし合わせて不都合がない、ということなのです。

 筋を持たない人は何もできません。なぜなら、自分の基準をどこに置いたらいいか分からないからです。一方、筋を持った人は万般に通じていきます。それは、「筋」そのものが万人が納得しうるものだからです。

 正しい判断をし続けていくには、自らの中に指標となるもの、フィロソフィが確立されていなければならないのです。(要約)

 辞書を引くと、「筋を通す」には、「道理に適うようにする、物事の首尾を一貫させる」といった内容が出てきます。
 「筋を通しなさい」と言われて、決められたルール通りにしなければならないのかとプレッシャーを感じ、「めんどくさいなあ」とか「うっとうしいなあ」などと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。

 しかし、ここでは「物事を判断するときには、それが道理に適っているか、人としてとるべき道に照らし合わせてみて不都合がないかということを確認していきましょう」という意味で使われています。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の「原理原則に従う」の項で、名誉会長は次のように述べられています。

 どのような環境であれ、我々は判断を誤ってはなりません。世間一般の道徳に反しないように、道理に照らして判断を下していかなければならないのです。つまり、どんな時代であろうとも、「人間として正しいことは何なのか」ということを基準に判断する。そのことを私は、「原理原則に従って判断する」と表現しています。

 場面に応じて、臨機応変に対応を変えるのは当然のことなのかもしれませんが、そうしたときも、「道理に適っているかどうか」「人間として何が正しいか」ということを基準に判断しようとする姿勢を忘れないこと。

 正しい判断をし続けるということは、自らの基軸となる考え方をぶらすことなくキープし続けるということとイコールなのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?