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『稲盛和夫一日一言』5/31(水)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5/31(水)は、「人生のバイブル」です。

ポイント:「善きことを思い、善きことをするときには、天地が味方する」ということを、人生のバイブルとして歩んでいく。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の「六つの精進ー5 善行、利他行を積む」の項で、善い行いを重ねることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私は以前から、世の中には因果応報の法則があると言ってきました。
 善い行いを重ねていけば、その人の人生にはよい報いがある。利他行、つまり思いやりの心、慈悲の心で人に優しい気持ちで接していくことで、必ず素晴らしい幸運がもたらされる、という考え方です。

 善き行いを実行すれば、運命をよい方向へと変えることができるし、仕事もよい方向へと変えていくことができます。私はそのことを固く信じて、善行、利他行を実践するよう努めてきました。
 馬鹿正直に善行を積むこと、つまり、世のため人のために一生懸命利他行に努めること、それが人生を、また経営をさらによい方向へと変えていく唯一の方法だと思っています。

 「情けは人のためならず」
 人のために行った善き行いは、必ずその当人に返ってくるという意味です。人様に善きことをしてあげるということは、絶対的によいことなのだと私は信じています。

 天が決めた運命さえも、己の力で変えていくことができる。善き思い、行いを重ねていくことで、そこに因果応報の法則が働き、私たちは運命に定められた以上の善き人生を生きることができる。

 因果応報の法則は、「悪いことをすればバチが当たるぞ」といった子どもだましの道徳的方便などではありません。現在の科学水準ではそれを証明する手立てはありませんが、今日よいことをしたから、明日にはよいことが起こる、というような明瞭な因果関係で現れることが少ないため、その摂理や法則を信じている人はそう多くはないように思います。

 しかし長い目で見て、誠実で善行を惜しまない人物がいつまでも不遇にとどまることはありませんし、怠け者でいい加減な生き方をしている人がずっと栄えたこともありません。

 誰もが、それぞれの言動や生き方にふさわしい結果を得、その人に見合った境遇に落ち着いていきます。因果のつじつまは、きっちりと合うようにできているのです。(要約)

 因果とは、「因=事が起きたこと・原因」、「果=結果」、つまり原因と結果、という意味です。どんな結果にも必ず原因があり、原因なしに起きる出来事はない、ということです。
 応報とは、原因に応じた報いが現れる、という意味です。報いと聞くと、悪いことを想像しがちですが、もちろん善いことも含まれます。

 仏教では原因に応じた結果しか現れることはないと説かれています。すべて、善因善果、悪因悪果とつながるのは、それがそのまま天の理(ことわり)や意に沿ったものであるからです。

 名誉会長は、「サムシング・グレート」という言葉を引用して、大いなる創造主の存在を示されています。それは、何ものであるかはわからないが、この宇宙や生命を創り出した偉大なもので、宇宙全体に人知を超えた不思議な力、意志のようなものが働いている、という考え方です。

 私たちはそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、その運命に導かれて人生を生きていきます。そこに因果応報の法則が重なってきます。それは、よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる、という単純明快な「掟(おきて)」です。

 運命と因果応報の法則は、互いに綾(あや)をなすように、私たちの人生を決めていきます。二十年、三十年といった単位で見れば因果の帳尻(ちょうじり)は合ってくるはずです。
 人間は運命に支配される一方、自らの善行、利他行によって運命をも変えていける存在でもあるわけです。


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