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『稲盛和夫一日一言』4/10(月)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4/10(月)は、「本能を抑える」です。

ポイント:本能をベースとした利己的な欲望が出てきたときには、意識してそれを抑え込もうとすることが必要。そうすることで、理性を発揮して正しい判断を行うことができる。

 1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、本能心を抑えることの難しさについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人間には「本能心」と「理性心」があるといいます。
 本能心とは、競争心、食欲、性欲、嫉妬など、自分の肉体や生命を守ろうとする心のことです。私たちは、この本能心を判断基準にして、ものごとを決めていく場合が多いのです。しかし、これでは動物と大差なく、また判断を誤ることになります。

 本能心を抑えていくことが必要です。本能心を抑えていくと、心の中に空間が生じ、そこにものごとを論理的に推理推論していく理性心が生じます。この理性心が、その人の心において、どのくらいの部分を占めているかということが重要なのです。

 しかし、本能心の抑制は非常に難しいことです。というのも、本能心なくして人は生きられないからです。ですから、本能心をなくせと言うのではありません。本能心が過剰であってはならない、最小限に抑える努力が必要だということなのです。

 本能心を抑えるための一番良い方法は、都合のよい欲望の心が出てきたならば、「勝手なことを思うな」と自分に言い聞かせ続けることです。この本能心を打ち消す習慣が、理性心を発露させ、正しい判断を生むのです。(要約)

 人は損か得か、儲かるか儲からないかといった本能のレベルで直観的に物事を判断しがちです。本能なしでは人間は生きていけませんが、しかしそれが過剰に発現すれば人生は悪い方向に行ってしまいます。

 本能とか感情のことを、仏教用語では「煩悩(ぼんのう)」といいますが、そうしたものが発現しそうになったとき、「それはおかしくないか」と理性を働かせて抑え込んでいく。

 それには、判断基準として自分の心の中にどのような座標軸を持つかが大事です。
 自分だけよければいいという利己をベースとした考え方を持ってそれを実行するのは悪いこと、一方、「他に善かれかし」という利他の心で物事を判断して生きていくのは良いこと。常に「人間として何が正しいのか」という「善悪」に照らして判断する。

 名誉会長は、「判断の基準を良心、理性に置き、それによって判断できるようになると間違いが起きません。低次元の自我、つまり欲ぼけした自我を抑えていく、ぴっぺがしていくことが人間としての修行であり、心を高めるということなのです」とも言われています。

 人間として正しいことを正しく理解し実行することができる、しっかりとした物差しを持ち続けていけるよう、日々トレーニング(=修行)を続けていきたいと思っています。


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