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『稲盛和夫一日一言』12/17(土)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12/17(土)は、「二宮尊徳の生き方」です。

ポイント:二宮尊徳は、生涯を通じて田畑で懸命に働き、刻苦勉励を重ねていく中で真理を体得し、人格を高めていきました。彼は、日々の仕事に打ち込むことで人格を向上させることでたくさんの人々の信頼と尊敬を集め、すばらしいリーダーとなったのです。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「純粋な心で人生を歩む」の項で、二宮尊徳の生き方について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 内村鑑三が『代表的日本人』という著書のなかで、二宮尊徳について述べた内容を読んで、私はその生き方に大変な感銘を受けました。
 尊徳は、特に高いレベルの学問を修めた人物ではありません。貧しい農家に生まれ、子供の頃から大変な苦労を重ねた人で、後に鋤(すき)一丁、鍬(くわ)一丁で、朝は朝星、夕は夕星をいただきながら田に出て働き、貧しい農村を豊かな村に変えていきました。その実績をかわれて、為政者らに尊敬の念をもって迎えられ、多くの村の改革を行った素晴らしい人物と評されています。

 尊徳は、何の奇策も方便も使わずに、ただ懸命に努力に努力を重ね、真面目に仕事に取り組みました。彼は、「天は自ら助くるものを助く」と常に心で唱え、一点の曇りもない心で、「誠意を尽くせば、天地をも動かす」、つまり、一生懸命努力をする者には天地も力を貸してくれる、と信じていたのです。
 このように、動機の善なること、心が純粋であるということは大変大事であると、古(いにしえ)の人は言っています。私も、動機が善であり、私心がなければ、必ず成功すると確信しています。(一部要約)

 この項では、古代インドのサンスクリット語で残された次のような聖人の言葉が引用されています。
偉大な人物の行動の成功は、その行動の手段によるよりも、その人の心の純粋さによる

 純粋な心とは、物事を行なうときの動機が純粋であり、私心がないということと同じです。また、人間として何が正しいのか、ということとも共通しています。

 しかし、いくら純粋な心で判断しましょうといわれても、人間に悩みや迷い、惑いといったものはつきもので、そこが人間が人間たる所以であるとも言われています。

 であるならば、哲学的なことはさておいて、一生懸命働くことで単に生活の糧が得られるだけでなく、自らの人格も高められ、自分の人生に大きな潤いと素晴らしい結果をもたらしてくれると信じて、日々目の前の仕事に打ち込んでみようではありませんか!


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