『稲盛和夫一日一言』2/4(土)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/4(土)は、「自然の摂理」です。
ポイント:動物でも植物でも、必死に一生懸命生きていかなければ生き残れないのがこの自然界の掟。我々人間も、成功するために一生懸命に働かなければならないのではなく、生きていくために「誰にも負けない努力」で働く、それが自然界の摂理。
2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、人生を精一杯生きるということについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
たった1回しかない人生を、漠然と無意味に過ごすことぐらいもったいないことはありません。私は、この宇宙で必要だからこそ、天地自然は我々を存在させていると考えています。まずは、この宇宙にとって自分は大切な存在なのだと信じるべきです。
そして、その意義ある人生のなかで、一日一日をどのくらい真剣に生きるのかによって、我々人間の価値はつくられていくのだと思っています。
春になって残雪が融ける頃になると、岩場ばかりの高山地帯でも、草木がすぐに芽を吹き、花を咲かせます。そして種子をつくり、また次の冬に備えます。
またアフリカの砂漠では、年に一回か二回は雨が降るそうですが、その雨が降るやいなや、すぐに植物は芽を出し、花を咲かせる。そして、一、二週間という短い間に種子を宿し、また次に雨が降るまで厳しい熱砂を耐え、生命の鎖をつないでいく。
自然界においては、雑草と言われるような植物までもが、一日一日を本当に一生懸命に生きているように見えます。
我々人間も、一日一日を蔑(ないがし)ろにすることなく、「ど真剣」に生きていかなければなりません。それが我々と宇宙との、また神様との約束事なのではないでしょうか。だからこそ、私は誰にも負けない努力で働き、懸命に生きていくことが必要だと説いているのです。(要約)
今日の一言には、「誰にも負けない努力とか、一生懸命生きるということを言えば、何か特別なことのように感じてしまうかもしれないが、それが自然界の摂理なのではないか」と書かれています。
昨年私は、公共職業訓練校で野菜づくりを学ぶ機会を持ちました。京セラで長年ものづくりに携わってはいたものの、家庭菜園の経験もありませんでしたから、そこでの経験はすべてがとても新鮮でした。
畑を耕し、堆肥や石灰を施してから畝をつくり、種まきや育てた苗を定植し、その後は土寄せ、雑草取りや追肥、薬剤散布などの手入れをしながら、収穫・販売するところまでが一連のカリキュラムです。
なかには、生育途中で枯れたり病害虫にやられてしまったりするものもあるのですが、どの野菜も季節の経過とともに成長速度を上げ、立派に成長してくれました。
そうした植物が持っている旺盛な生命力を目の当たりにして、改めて生きているのは人間だけじゃないんだな、と実感することができた貴重な半年間となりました。
起きてしまったことにむやみに一喜一憂することなく、一日一日を一生懸命生きることに専念する。そうすることで、自分の心、精神というものが高まり、魂が磨かれるのであれば、自分の存在価値も徐々に高まり、生きていることの喜びをかみしめられるようになっていくのではないでしょうか。