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『稲盛和夫一日一言』 6月10日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6月10日(月)は、「自分に打ち勝つ」です。

ポイント:遊びたい気持ちを抑えて、懸命に勉学に励む。人生という長い旅路で成功するためには、自分自身に打ち勝つそうした強さが必要。

 1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす ー素晴らしい人生をおくるためにー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「自分に打ち勝つ」の項で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 皆さんも次のような人を見たことがあるはずです。
 まじめによく勉強して80点をとる者がいます。彼に対して、頭の回転が早く勉強しなくても要領よく60点をとる者が、「あいつはガリ勉だから、できて当然だ。おれが勉強すれば、もっと高い点数がとれる」と言うのです。
 また、社会人になって成功した人を見て、「あんなやつ、学生時代は大したことはなかった。おれの方が数段出来がよかったんだ」と彼をおとしめ、自分を誇るのです。

 果たしてそうでしょうか。ガリ勉とは、見たい映画やテレビも見ず、安易な方向へ流れようとする自分に打ち勝つことです。卒業後に成功した人も同様です。遊びたい気持ちを抑えて、一生懸命仕事に励んだに違いありません。いわば、克己心の現れなのです。

 私は、こうした克己心も含めて「能力」を考えなければならないと思っています。言い換えれば、自分に負けて、安逸をむさぼり努力できないということは、その人の能力の低さを表していると思うのです。

 人生という長く大きな舞台で成果をあげるための能力とは、単なる脳細胞のシワの数だけをいうのではありません。(要約)

 今日の一言には、「ガリ勉を非難してはならない。ガリ勉とは、遊びに興じたり、テレビを見たりという、目先の快楽を求めようとする自分自身に打ち勝つことだ」とあります。

 同著「困難に打ち勝つために」の章の中で、「易きにつかず」として、名誉会長は次のように説かれています。

 就職してまもなく、一介の社員であった私は、あることで会社と衝突し、また組合からも攻撃を受け、孤立無援に陥ったことがありました。

 そのとき私は、高く険しい山を登っていく姿を思い浮かべました。経験も技術もないにもかかわらず、私はそびえ立つ岩山に垂直登攀(とうはん)を試みようとしていたのです。鋭い岸壁にひるみ、落伍するものもあるわけですから、周囲からは非難ごうごうです。

 先輩からは「妥協が必要だ」、つまり山裾(すそ)のゆるやかな傾斜を、集団とともに頂上を目指すという方法を勧められました。

 それでも、私が前者の方法をとったのは、自分も弱い人間だけに、易きについて徐々に登っていけば、やがて頂点を極めることを諦めてしまうのではないかと考えたからです。
 また、安易な生き方を選択することは、私を信じてついてきてくれる人たちにとって楽な方向かもしれませんが、そうすることが彼らに本当の幸せをもたらすことはないだろうとも考えたのです。

 私は、「正しいと固く信じることができるならば、どんな非難があろうとも、どんなに厳しい道のりであろうとも、目指す頂に向かってまっすぐに登っていこう」と心に決め、その後自分にも他人にも厳しい姿勢で臨み続けました。その選択は決して間違っていなかったと思っています。(要約)

 京セラ在籍40年の間、どうしても目の前の課題を克服できずに気持ちが徐々に後ろ向きになり、自分に負けてしまっていた時期がありました。当時を思い起こすと、とにかくその場から逃げ出したいの一心で、自分の振る舞いが周囲にどのような悪影響を及ぼすのかといったことまで考える余裕はありませんでした。

 まずは自分自身のために、そして集団にとっての幸せのためにも、決して一時の安逸を求めたりせず、目の前の困難に立ち向かう強い克己心をキープし続けること。
 自分に負けた挫折経験があったればこそ、人生には自分に打ち勝つ強さが必要なのだと実感できるように思います。

 「易きに流れることなく、常に克己心を持って人生を生き切る」
 自分の人生、生き切ったという満足感を持って締めたいものです。


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