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『稲盛和夫一日一言』 1月29日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 1月29日(月)は、「心に描く」です。

ポイント:心が呼ばないものが自分に近づいてくることはなく、現在の自分に起こっているすべての現象は、自分の心の反映でしかない。

 稲盛名誉会長がしばしば引用されている、2003年発刊の『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン著 坂本 貢一訳 サンマーク出版)「思いと人格」の章には、次のように書かれています。

 「人は誰も、内側で考えているとおりの人間である」という古来の金言は、私たちの人格のみならず、人生全般にあてはまる言葉です。
 私たちは、文字どおり、自分が考えているとおりの人生を生きているのです。なかでも人格は、私たちがめぐらしているあらゆる思いの、完璧な総和です。

 植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあわられることができません。そして、私たちの行いもまた、内側で密かにめぐらされる思いという種から芽生えます。これもまた、その種がなければあらわれることがありません。意識的に行うことでも、無意識のうちに行うことでも、ひとつとして例外はありません。
 行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。そうやって私たち人間は、自分自身が育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫し続けるのです。

  心の中の思いが 私たちを創っている
  私たちは 自分の思いによって創り上げられている

  私たちの心が邪悪な思いで満ちているとき
  私たちには いつも痛みがつきまとう
  雄牛を悩ます荷馬車のように

  もし私たちが清い思いばかりをめぐらしたなら
  私たちには喜びばかりがつきまとう
  私たち自身の影のようにして

 私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られています。私たちがどんな策略を用いようと、その法則を変えることはできません。
 「原因と結果の法則」は、目に見える物質の世界においても、目に見えない心の世界においても、常に絶対であり、揺らぐことがないのです。

 私たちの誰もが内心では手にしたいと考えている、気高い神のような人格は、神からの贈り物でもなければ、偶然の産物でもありません。それは、繰り返しめぐらされ続けた、気高く、正しい思いの、自然の結果です。
 そして、卑しい獣のような人格は、卑しく、誤った思いの、やはり自然の結果です。

 「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」

 私たち人間は、強さと知性と愛を備えた生き物です。と同時に、自分自身がめぐらす思いの主人なのです。

 人間にとって、自分自身に関するこの真実を身をもって知ることは、悟りであり、知恵とパワーの獲得にほかなりません。
 「求めよ、さらば与えられん」、あるいは「扉はそれを叩く者に開かれる」という絶対法則は、他のどんな方向にでもなく、この方向にのみ存在しています。
 知恵の寺院の扉は、忍耐とあくなき探求なくしては、決して開かれることはないのです。
(要約)

 今日の一言には、「私たちは、怒り、恨み、嫉妬心、猜疑心など否定的で暗いものを心に描くのではなく、常に夢を持ち、明るく、きれいなものを心に描かなければなりません。そうすることで、実際の人生も素晴らしいものになるのです」とあります。

 人生の中で経験する短いスパンの中では、すべてがすべて、こういう原因であれば結果はこうなる、というふうにはいかないかもしれません。
 実際、悪い人間がいつまでものさばっていたり、善良な人間が大変な苦労を強いられたりしているという現実があります。
 しかしもっと長いスパンで見れば、悪い人にはやがて天罰が下り、いい死に方が許されなかったり、逆に苦労した人がその試練を乗り越えて、その後素晴らしい一生を送った、というようなことが起こっています。

 「人生は心に描いたとおりになる」

 心が呼ばないものが自分に近づいてくることはなく、現在の自分の周囲に起こっているすべての現象は、自分の心の反映でしかありません。
 「善い人間でありたい」と心に描き続けること。それが素晴らしい一生をまっとうしていくための唯一の道なのではないでしょうか。


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