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『稲盛和夫一日一言』3/28(火)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 3/28(火)は、「一つを究める」です。

ポイント:一つのことに打ち込み、それを究めることによって、人生の真理を見い出し、森羅万象(しんらばんしょう)を理解することができるようになる。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、一つのことを究めることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 京セラフィロソフィの項目にある「完全主義を貫く」ということと、「真面目に一生懸命仕事に打ち込む」ということ、そして「地味な努力を積み重ねる」ということ、実はこの三つのことを四六時中やっていれば、物事の本質が究められるようになります。

 それは、禅宗のお坊さんが悟りをひらくために修行をすることと同じだと思います。禅宗では、日々座禅を組むだけでなく、自分たちで炊事をし、掃除をし、風呂を沸かし、また農作業をして自分たちの食べる物を作っています。そこでは、あらゆる仕事が座禅と同様、「修行」とされています。

 つまり、「仕事に一心に打ち込むこと」こそがすなわち修行であるわけです。例えば、食事を作る場合、雑念妄念を払拭して、ただ食事を作ることに一生懸命になる。そのことが、やがて悟りの道をひらくことにつながっていきます。年がら年中朝から晩まで達磨(だるま)さんみたいに座禅を組んでいれば悟りがひらける、というものではないわけです。

 「一芸に秀でる」という言葉がありますが、仕事を究めるということは、ただ単に素晴らしい仕事ができるということだけに留まらず、自らの人間性を素晴らしいものに作りあげることにも通じています。

 私たちは、一つのことを究めることによって初めて真理や物事の本質を体得することができます。究めるということは、一つのことに精魂込めて打ち込み、その核心となる何かをつかむということです。そして、一つのことを究めた体験は、その他のあらゆることに通じるようになります。私自身、そういう境地にまで行かなければ、と思っています。(要約)

 今日の一言には、「もし広くて浅い知識しかなければ、それは何も知らないことと同じです」とあります。

 先に、二宮尊徳(にのみやそんとく)のことを取り上げられている内村鑑三の『代表的日本人』という著書を紹介したことがあります。
 その中で、尊徳の素晴らしい働きが江戸幕府に伝わり、やがて殿中(でんちゅう)に招かれるまでになった、そのときの様子が次のように書かれています。
 「生まれも育ちも貧しく、教養も何もない一介の農民である尊徳が、侍と同じように裃(かみしも)を着けて城に上がり、当時の武将たちに伍して話をする。その立ち居振る舞いといい、話の内容といい、すべてが素晴らしいものであった」

 つまり、人格とは、仕事に打ち込むことによって身についていくものであって、なまじ学問を修めたり本を読んだりするだけで身についていくものではないということです。

 「一芸を究めた」と言い切れる人はごくまれでしょうが、核心をつかもうとして一つのことに打ち込み究めようとすることで、誰にも必ず真理のようなものが見えてくるとすれば、一見つまらないと思えるような目の前の仕事も、決してをおろそかにはできなくなるはずです。


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